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競艇沿革史

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


阿左美水園競艇組合
一 阿左美水園と桐生競艇
 ここ桐生競艇場は県下でもその風光をうたわれている群馬県の東南端、新田郡笠懸村にある。この地は、日本の歴史を変えたといわれる我が国最古の遺蹟「岩宿遺蹟」の地であり、いろいろな面で歴史的色彩の豊かな地である。
 さて、この桐生競艇場では、現在、桐生市営の十日間と競艇場の所在する新田郡笠懸村及びこれに隣接する同郡薮塚本町、山田郡大間々町で組織する「阿左美水園競艇組合」営の四日間をもって開催施行されている。
 この頃では、開催日ともなると阿左美水園営の場合でも一日に少なくて五千人、多い時には一万人近いファンを魅了する文字どおりの白熱レースが展開され、売上金も年々上昇の途を呈している。昭和四十三年度にはいってからは一日の売上金は六千万円から九千万円に達し、この種の事業がになう公益事業、福利事業をはじめとした幅広い地方行財政に貢献し、大きくその目的を果たしている。
 阿左美水園競艇組合営の初開催が昭和三十二年五月、桐生市営より約半年遅く始められている。今年はちょうど十一周年目だが、去る五月に、三日から六日までの四日間、恒例の記念レースが開催され、この間の売上金額入場人員は、それぞれ一億八千二百万円、二万五千七百人と、阿左美水園競艇組合営始まって以来の記録を挙げている。
 開催以来十一年。言葉で綴ればただこれだけのことに過ぎない。しかし、桐生競艇、いな、阿左美水園競艇組合の誕生と経過は、決してなまやさしいものではなかったのである。私達が今日、すくなくとも阿左美水園競艇組合を語るには、今日までの長い年月この事業を成功させるために幾多の難関を克服しつつ今日への基礎づくりにと、あるいは事業の発展推進のために奔走してきた人々の数々の業績と経過を知らねばならないのではないだろうか。
二 阿左美水園競艇組合設立以前
(一)笠懸村と公営競技
 笠懸村が、歴史的色彩の豊かな土地であることは前述したが、このことは公営競技場設置問題についても言えそうである。というのは、現在の桐生競艇場設置以前、つまり昭和二十五年の頃から二十七・八年の頃にかけて既に、競馬場や競輪場等の誘致運動がさまざまな形で当時盛んにとり沙汰されていた経緯からもうかがえるようである。そこで、この文中では、これら競馬・競輪問題の起った当時を振り返ってその頃の模様に触れてみたい。
 まず、当時、これら競輪・競馬誘致運動について実際にその運動と取組んできた人、同村竹沢地区に住む田村時太氏はその起因について概ね次のように語っている。それによると先ず第一点として挙げられるのが地方財政への寄与ということになる。もともとこの種の事業である競輪・競馬の施行目的が、法的にもこの点を根拠としていることを考えれば当然の問題である。この運動のはじまった昭和二十五・六年といえば、役場の記録からもわかるとおり、この地域一帯を襲った自然災害は膨大な影響を農家経済へ及ぼした。
 大風・冷害・干害と隔年毎にやってくる自然災害のうちでもケイショウ土地帯であるこの辺一帯の農民にとって、年間を通じてこわいのは干害であった。したがって農業を主とする経済収入にたよらねばならないこの地方の歴代の為政者にとって干害対策は常に政策の主柱をなしてきたことも否めない。古くは約三百年前の江戸幕府の頃、地方開拓の偉人としてこの地方の人々から崇(あが)められてきた岡登景能公による岡登堰用水路工事の完成にはじまり、今日でもなお農業構造改善事業のうち農地の区画整理とあわせて近代技術導入による畑地灌漑事業が推進されている。思うに、現在競艇の施行されている阿左美沼も、もともとは、灌漑用溜池として設けられ、村の財政と住民の経済的基礎を固めるべく考えられたものであったが、今日に至って当初の目的以外に競艇場として収益をあげ、それをもって地方財政を潤そうという点など時代の推移から生れてくる政策の産物としておもしろい現象ではなかろうか。
 次に競技場を設置する場合の地理的な条件が挙げられる。この阿左美沼周辺は、以前、観光の面から県が開発計画の東毛部の拠点としたことからもうかがえるが、海なし県群馬にとって、ここは水と花の都として知られており戦後間もないこの時代、広く隣接県にもまたがって行楽地としての名をはせていた。
 同じく、地理条件に含まれる条件の一つとして交通機関が考えられる。桐生、伊勢崎における名産『織物』の盛んな明治二十年代に私鉄として開通されたのが始まりである現在の国鉄両毛線桐生駅・岩宿駅をはじめとして国・私鉄等あわせて十二ヵ所を数えられる乗・下車駅の点在は、当時まだ自家用車の普及していない頃としては他所に見られない交通上の便があったわけで、ファンの輸送に欠かすことの出来ない必須要件として数えられるほか、競技用敷地の確保ということについても相当面積の村有地を有していたことなど、公営競技場誘致の場所として、さまざまな条件が自然のうちに備わっていた故である。
 ところで、これら競馬・競輪場誘致運動について、もうちょっと触れてみたい。競馬にかんする話題が云々されたのが昭和二十五年頃、この運動は実に三年間にも及んだという。この頃、村長の職にあった籾山琴次郎氏、その後任として就任した赤石晋一郎氏なども住民と運動家の間に立ってよき相談役として関係した人で、当時の困難な村財政の中にあってよくその職責を果たし、大いに住民の信望を得た人である。
 競馬場の誘致運動に並行して、農林省や県の関係機関・関係者の現地視察もしきりと行なわれ、測量も前後一週間をかけて行ない青写真の完成をみた。この時、視察調査にあたった農林省関係者の中からは『もしも、この競馬場誘致が実現したならば、おそらく東洋随一の競技場として大きな反響を呼ぶことだろう。また丘を駆り水しぶきをあげて沼のほとりを駆けめぐる立体的なレースが瞼(まぶた)に浮かぶようだ』という評を得たという。
 運動は次第に盛り上がりいよいよ資本金の調達へと進められた。三百万円という資本金は桐生市をはじめ隣接町村の新里村・粕川村・薮塚本町、あるいは大間々町へと呼びかけて募ったが、結局、三百万円という資金の調達が出来ないままに関係者の努力のかいなく不成功に終わらねばならなくなったのである。
 考えてみれば当時人口八千人の笠懸村総予算でさえ千二百万円であったというから、資本金三百万円の調達ということがいかに困難であったかということもわかるし、仮りに競馬が開催されるようになったとしても、今日のような公営競技場花ざかりとまでいわれる程、その売上げが上昇の途をたどるであろうなどということは、当時、運動家の一部を除いては想像もつかなかったことであろう。同時に終戦を五ヵ年しか経過していないこの頃の町村財政の苦しさも想像出来る。
 続いて昭和二十七年、今度は競輪場誘致運動が起こった。これはたまたま、この年に新設された村営グランドをめぐって、グランドの運営委員会あたりから話題の端を発している。新設はされたものの開店休業という状態のグランドをどうにか生かして活用したいという関係者の意向であったのだろう。しかしこの問題も競馬運動の場合とほぼ同じ過程を経て、資金ぐりやら村民感情の交錯する中で自然忘れられてしまった。
 さて、阿左美沼を中心にしてこれら競馬競輪誘致運動が盛んにとり沙汰されていた昭和二十六年、中央では第十国会においてモーターボート競走法の成立をみるに至った。これに伴って、翌二十七年には群馬県モーターボート競走会が創立されるや、いきおい、ボートは阿左美沼をその競走場の候補地として今度は外部からの運動を展開してきたのである。
 このような世情の中で、村の指導者層の中から、またしても誘致運動のきざしが芽を吹くわけだが、これまで述べてきた公営競技と笠懸村に関する過去の一連の出来事をとおして考え合わせた場合、今日阿左美水園競艇組合の在る事はあるいは全くの偶然ともいい切れない要素を多分に含んでいた結果とも言えはしないだろうか。
 以上、笠懸村と公営競技についてその経緯と概況をたどってみたが競馬競輪、そして競艇と、いかにもこの土地柄や人柄が、公営競技好みという印象を受けないでもない。だが、これら一つ一つの出来事をとおして運動してきた人達の多くは、少なくとも公営競技という特殊な事業の本質と性格を充分に研究し、認識した上で、正しい批判に立った地方財政の確立と、地域住民の将来を願いながら力を尽してきたのであるということを今日私達は、競艇開催以降における過去の実績の数々から理解する事が可能なのではあるまいか。
(二)戸田競艇視察と阿左美沼堤塘敷地賃貸借契約
 昭和二十八年といえば、いわゆる町村合併問題が大きくクローズアップされた時の事である。この問題は桐生市とその周辺の笠懸村・薮塚本町・大間々町(現在阿左美水園競艇組合を組織している町村)へも波及してきた。この問題は、国の広域行政方針と町村合併促進法のもつ主旨からいって当然、自治行財政面で困窮をきたしていたこれらの町村に必然的に波及してきた問題であったろうが、このような時代の移り変りの中で、阿左美沼の所在地である笠懸村も、県の合併に関する審議を経て昭和二十九年四月、桐生市への合併勧告を受けるに至った。
 こんな事から、競艇場誘致運動の芽も吹き出した時点で遠ざけられ、関係者や村民の関心は合併問題へと引き寄せられていった。即ち笠懸村の存続の是非をめぐって賛否両論の中で住民の心は大きく揺れ動き翌三十年三月まで村の行政問題の焦点を独占した。また、合併問題から生じた税の滞納は想像をはるかに上まわり、村の財政は増々苦しさを加えていった。時に、就任早々の籾山琴次郎村長は、この合併問題を収拾すべく、また、財政の確立と健全化を旗印として自分の報酬を返上して村政に身を挺したのである。
 一方、村内の情勢と並行して、桐生市の識者、早川政雄氏、野間恒次氏並びに田中義賢・紙谷喜久雄氏等の競艇場誘致に関する働きかけは相変わらず続けられ、まず阿左美沼堤塘敷地賃貸借契約の申込みから始められていった。ちょうどこの頃、国が示した競走場建設指導方針によれば、競走場が各地に濫立された場合を憂慮し、競走そのものの健全な発展に支障を来たすということで、昭和二十九年十月末日以降の競走場新設はこれを一切認めないということになった。このために早川氏等の競艇場誘致運動家は、期限日の十月末日を目前に控えて、いよいよ笠懸村との交渉に拍車をかけ、日増しに活発化していった。
 一方、はたらきかけを受けた方の笠懸村は、競走場誘致に対する村民の反対から非常な難局を呈していた。当時、村議会の常任委員長をしていた橋場利蔵氏(現村議・阿左美水園競艇組合議会議長)は、この頃を振り返って、次のように述懐している。
 『当時私は、議会議長であった関口七雄氏をはじめ議員仲間であった阿左美修三氏や斉藤眞次氏らと共に競艇場誘致に賛成を唱えていた一人でしたが、当時の事でもあり、また公営競技が大衆娯楽として一般に浸透しきっていなかった事から、人によってさまざまな解釈がなされ、競馬・競輪はやった経験をもっていた人でも、いざこの種の競技場誘致となるとその効果よりも害を強調した。また議会筋あるいは地元民の中からは、未知の出来事ということから強い反対が起ったことはいうまでもなかった。競技場があまりにも身近にあることは、子ども達の教育、特に、学校教育に悪影響を及ぼすのではあるまいか、また家庭あるいは個人の財産の崩壊につながるのではないだろうか等々、さまざまな心配が心配を生み誤解が誤解を生んでいった。しかし私達、競艇場誘致に賛成していた者は、競艇場誘致その後において笠懸村と、その村民が被るであろう利害について知る必要があったので、近くの前橋競輪場や隣村の相生に設けられていた場外売場等の視察を行ないながら将来の見通しについて研究してみました。その結果、学校建築をはじめ教育施設の拡充、一般市財政への寄与という点で、その事業効果が前橋市政あるいは相生村村政のあらゆる面に生かされているという事も細部にわたって知ることが出来、笠懸村へ競艇場を誘致する事が現在の村の情勢では非常にプラスになるであろうと、ますます確信が深められた』という。
 かくして、村の議会は、個人個人のさまざまな理論に基づいた意見の相違から脱皮する事が出来ないままに、いくたびもの関係者協議会が催された。そんなある日、昭和二十九年十月十四日のことである。埼玉県戸田では県営によるモーターボート競走が、いよいよ初開催を迎えることになったのである。前々からこの情報を群馬県モーターボート競走会関係者から得ていた橋場利蔵氏は、村議会のモーターボートレースの視察という腹案を実行に移すべく、村長赤石晋一郎氏はじめ関係議員に図った。もとより、競艇場誘致反対者の多くは、競艇に対する潜在的な嫌悪感からきているものではなかろうか。という判断からでもあった。事実、この頃の反対者の多くは、そういう傾向がみられたし、十数年後の今日でも、公営競技の是否をめぐる論議の源となっている。
 さて、戸田ボート視察の一件は、さっそく全員協議会に図られ論議を尽した末に実施というところへこぎつけた。一年近くにもわたって論議が尽され、幾重もの紆余曲折を経て競艇場誘致の第一歩が遂に踏み出されたといってよい。戸田競艇場視察後間もなく開催された村議会では即刻、阿左美沼堤塘敷地賃貸契約案が可決決定された。
 以下、当初契約書の内容を参考までに掲載する。


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