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青少年吟剣詩舞道育成基金 ハンセン病回復者自立支援事業 協賛
少壮吟士制度発足三十周年記念 吟詠チャリティーリサイタル
―美しき まほろばの里 世界のふるさと にっぽん―
 
■場所 宮崎市民文化ホール
■期日 平成十七年六月二十六日(日)
■主催 (財)日本吟剣詩舞振興会 全国少壮吟士会
■後援 (財)日本吟剣詩舞振興会
(財)日本吟剣詩舞振興会 九州地区連絡協議会
(財)公認宮崎県吟剣詩舞道総連盟
宮崎市教育委員会
宮崎市芸術文化連盟
宮崎日日新聞社
 
少壮吟士制度発足三十周年、
笹川鎮江二代会長三回忌、
笹川良一創始会長ご他界十周年の記念すべきリサイタル
式典で挨拶を述べる河田和良財団会長
 
 少壮吟士による吟詠チャリティーリサイタルも、回を重ねながら恒例の行事としてすっかり定着し、多くの吟剣詩舞愛好家の方々に愛されてきました。本年のチャリティーリサイタルは、少壮吟士制度が発足してちょうど三十年目にあたる記念の催しであり、従来の青少年吟剣詩舞道育成基金協賛に加え、ハンセン病回復者自立支援事業協賛としても行なわれました。開場の正午には、開演を待ちわびる人々でホールが埋め尽くされ、その人気の高さをうかがわせていました。
 定刻の午後一時にリサイタルの幕が開きました。檀上に少壮吟士が勢ぞろいするなか、実行委員長である増田鵬泉吟士が挨拶に立ち、今回のリサイタルは少壮吟士制度発足三十周年を記念して、この宮崎をスタートに九月には新潟県、十二月には岡山県、来年の三月は大阪で行なう全国ツアーを企画していると話されました。宮崎でご覧になれなかった人も、時間をあまり空けずに、感動の舞台と触れ合える機会が例年よりも多くありますから、楽しみにしていてください。
 
オープニングで笹川鎮江先生作譜の
「兜」を合吟する少壮吟士全出演者
 
 挨拶が終了すると、少壮吟士全員で笹川鎮江二代会長の手による門外不出の名作「兜」が勇壮に、端麗に、吟じられ、オープニングからその素晴らしい吟詠で会場の心をつかんでいました。
 つづいて式典が行なわれ、はじめに河田和良財団会長が登壇しました。「本年は吟剣詩舞発展の大功労者であり、少壮吟士の方々から『お母さん』と呼ばれ慕われていました笹川鎮江二代会長の三回忌にあたり、また財団法人日本吟剣詩舞振興会の生みの親であります笹川良一創始会長のご他界から十周年に当たります。第二部の企画構成吟はお二人のエピソードを基につくられた、時宜を得た企画であると期待しています」と披露される演目に強い期待を寄せていました。そのあと、青少年吟剣詩舞道育成基金ならびにハンセン病回復者自立支援事業への協賛目録が増田鵬泉少壮吟士会会長から財団の矢萩保三事務局長に贈呈されました。また、九州地区連絡協議会への記念品贈呈や、祝電の披露などが行なわれ、舞台は第一部少壮吟士愛吟集へと移っていきました。
 
舞台両サイドに笹川良一先生、笹川鎮江先生の写真パネルを掲げた企画構成番組
 
 少壮吟士愛吟集では、一番の「春夜洛城に笛を聞く」から二十四番の「壇の浦を過ぐ」まで、全二十四題が吟じられました。さすが吟界のリーダーである少壮吟士の方々、技術だけではない心のこもった名調子に、会場はうっとりと聞き惚れていました。また、第二部に移る前に、景品が当たるお楽しみ抽選会も開かれ、会場は笑い声が起こるなど、一瞬和んだ空気に包まれました。
 そして、いよいよお待ちかねの第二部「美しき まほろばの里 世界のふるさと にっぽん――」が開演されました。戦前、戦中、戦後を通じて、まさに日本の国士として一身を捧げて活躍された笹川良一創始会長、その傍らにあって内助の功を尽くされると共に、吟界の第一人者として今日の吟剣詩舞道発展にその生涯を捧げられた笹川鎮江二代会長の伝記とも言うべきエピソードを題材にして創られた内容になっていました。特別出演の二人の俳優による軽妙なやり取りの寸劇を、吟剣詩舞の合間に挟みながら展開する舞台は、時には洒脱に、時には感動的に、興味深く鑑賞することができました。少壮吟士の方々の熱吟もさることながら、剣詩舞に賛助出演された剣詩舞家も、美しく素晴らしい演舞を披露してくださいました。
 
今後のチャリティーリサイタル開催予定
期日 会場
平成十七年九月四日(日) 新潟県・長岡市立劇場
平成十七年十二月十八日(日) 岡山県・倉敷市児島文化センター
平成十八年三月五日(日) 大阪府・メルパルクホール(昼夜二回公演)
*お問い合せ=全国少壮吟士会会長 増田鵬泉 電話〇六(六七六一)五五二七
 
新進少壮吟士大いに語る 【第十一回】
田中国臣さん
 
田中国臣さん=神奈川県大和市在住
(吟道国敞流国敞吟詠会)第二十六期少壮吟士
 
長い道のりの先にあった、少壮吟士という栄誉
 癌という大病を克服し、十七年の時間を要しながらも、諦めることなく努力を重ねてつかんだ少壮吟士という栄誉。田中国臣さんは旅先で、ふと聞いた吟詠に惹かれて自分から吟詠の世界に入った方です。その道程や吟詠についての思いなどをうかがいました。
 
――少壮吟士になるまでに、どれくらいの時間がかかりましたか?
田中 「少壮吟詠家コンクールが受けられる三十五歳から挑戦し、五十二歳のときに三回目が通りましたので、ずいぶんと長い時間がかかりました(笑)。一回目が平成十三年、二回目が平成十四年、三回目が平成十六年ですから、一回目が通ったあとは、比較的スムーズにコンクールを通過することができましたが、それでも時間はかかりましたね」(笑)
――少壮吟詠家コンクールを受けられたきっかけは何ですか?
田中 「私は少壮吟詠家コンクールの前に、一般の全国コンクールを受けていました。そのうち少壮コンクールが受けられる年齢になりましたので、宗家のほうから受けてみないかといわれ、少壮吟士のこともあまり知りませんでしたが挑戦してみました。一般のコンクールを受けているときに、一般の大会が終わってから続いて少壮吟詠家コンクールを行なっていた時期がありまして、少壮吟士になろうという方は、やはり吟もうまいと感激したことを覚えています」
――初めて挑戦したときの印象はいかがでしたか?
田中 「少壮吟詠家コンクールに挑戦したての頃は、東日本大会止まりで、何故落ちるのか良く理解できませんでした。全国大会に出られたのは、挑戦して十年ほど経ってからだったと思います」
――挑戦してもなかなか入選できなかったときの心境は、どのようなものですか?
田中 「コンクールは土曜、日曜に行なわれますが、帰ってくると胸にポッカリと穴が開いたような空しさに襲われました(笑)。あるとき、大会で一日費やす時間があるのなら他のことでもしようかと思い、もし次回コンクールを受けて落ちたら、止めようという気持ちが強くなっていました。コンクールに対する取組み方も、なんとなく出ている感じでしたから」
――しかし、その後、取組み方に違いが出てきたのは、なぜですか?
田中 「審査講評などをお聞きして、ああすればいいのか、こうすればいいのか、ということが段々わかりだしてから、真剣に取組めるようになり、コンクールに前向きな姿勢で臨めるようになりました」
――わかるにつれて、吟詠も変わりましたか?
田中 「そうですね、決選大会の前日まで懸命に練習するようになりましたね。これなら受かるかなと思ったときもありましたが、やはり落ちました(爆笑)。でも、その翌年まさかとは思いましたが、ついに一回目を通過することができました。それが平成十三年のことです」
――受かったときの心境はいかがでしたか?
田中 「やっと受かった、念願がかなったというのが正直な心境でした。ずっと受かることがなく、自分の不甲斐なさも感じていましたが、逆に、その気持ちが奮起させたのでしょう。そのあとは、スムーズに行きました」
――平成十五年があいているのは何故ですか?
田中 「実は十五年に癌の手術をしまして、それも一月に入院しなければならず、急に出場できなくなってしまいました」
――いまは大丈夫ですか?
田中 「はい、おかげさまで、元に戻ってきました」
――いま少壮吟士になられて、その立場をどのように思いますか?
田中 「吟詠の世界を守りつつ、発展させていくことを要求される立場だと思いますので、責任感を強く感じますし、失敗はできませんね」
 
インタビュー後、新装成った金刀比羅宮前で
 
――今日的吟詠は音楽性も大切だと思いますが、何かご意見はありますか?
田中 「笹川良一創始会長が吟詠は国民芸術だとおっしやっていましたが、芸術性を高めるためにも近代吟詠は音楽性やアクセントなどがやはり重要だと思います」
――話は変わりますが、田中さんは、いつごろから吟詠を始められましたか?
田中 「大学に入って、自由な時間ができるようになってからです。学生時代に家族で旅行に出かけたことがありまして、たまたま旅行先で吟詠の大会が行なわれており、屋外で練習をされている方がいまして、それが素晴らしい吟詠だったものですから頭に残っていました。そんな折、これもたまたまですが、神奈川県の青少年センターで無料の吟詠講習会があり、素晴らしい吟詠が頭にあったものですから、やってみようかという軽い気持ちで参加したのがはじまりです」
――いつから先生につかれて習われましたか?
田中 「しばらくは無料講習会で習っていましたが、どういうわけか『君は何万人に一人の声を持っている』などと誉められまして(爆笑)、それなら本格的に始めてみようと講習会の先生のお世話になり、その後、現在の宗家について習うようになりました」(笑)
――田中さんにとって吟詠の魅力とは何ですか?また吟詠の難しさを感じることはありますか?
田中 「あの独特な曲の流れといいますか、節回しなどに魅力を感じますね。難しい点はたくさんありますが(笑)、吟詠を続けていますと、いろいろな壁にあたります。その壁を乗り越えられないときもありますし、あるとき急に乗り越えることができることもあります。乗り越えて、乗り越えて、今があると思います。そして、若いときより、吟詠におくウエイトもずいぶん大きくなっています」
――いま少壮吟士に挑戦している人たちに、何かアドバイスはありますか?
田中 「上位のコンクールになるほど、技術だけでは駄目で、やはり心技体がついてこないと全国大会をパスするのは難しいと思います。私も、大会前日は喉を休めるために声を出さないよう、体調面にも気を使ってきましたから、そういうこともしっかり勉強しながら、挑戦してください。また、いい吟に沢山触れること、名流大会だとか武道館大会を見るのもいいですね。あとは練習あるのみだと思います。頑張ってください」
――最後になりますが、今後の抱負などありましたらお願いします。
田中 「今が終わりではなく、ここからがスタートだと思いますから、さらに技術面、精神面を高め、邦楽である吟詠を極めるためにがんばっていきたいと思います」
――本日はインタビューにお答えいただきありがとうございます。お体に気をつけて、今後も頑張ってください。


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