10. 恩納村瀬良垣−移動集落−
恩納村瀬良垣は1673年以前金武間切の村、以後は恩納間切(村)の一つである。沖縄本島の西海岸にあり、瀬良垣の集落を国道58号線が南北に通る。海岸に小さな岬があり、一帯に小島が散在する。その中の一つにインディーパナリという島がある。ンディー(カブ)パナリは平坦地があり、村の人たちが畑に使っていたという。サーシパナリの島があり、サーシヤー(屋号)が畑をしていたことに因む。
瀬良垣の集落は海岸沿いの兼久地に発達しているが、かつては山手の古島にあり、そこからの移動集落である。海岸には数多くの小島がある。古島からの移動集落であるが、御嶽が現在の集落の西側に位置し、古島にはないので、神アサギは集落と共に移動する傾向にあるが御嶽は新設したのか(古島と御嶽の確認必要)。
・インディバナリ
(瀬良垣ビーチになっている)
・ユクビシバナリ
・ウフシジ
・サーシバナリ
・サーシヌクヮバナリ
・フナウキグムイ
恩納ノ口管轄の村で神アサギがあり、集落は山手の古島から現在地に移動している。古島に戦前まで祭祀で拝んでいたフルジマガーがある。かつて村船二隻あり、主に米穀税を湖辺底まで運んでいた。上納米の一俵は三斗入れてあった(『恩納村誌』554頁)。
現在小さな港をなし、小島の近くにイツツグムイやマチダチグムイなどのクムイ(小堀)があり、クムイでガツン(メアジ)がよくとれたという。モズクの栽培が盛ん。
近世の瀬良垣村に村船が二隻あり、そこから米や麦、砂糖、藍、木材、薪、炭、山原竹、竹ガヤなどを運んだ。泊港や那覇港からは酒や日用雑貨、壺屋の焼物などの品々を運んだ。
フナウキグムイは小さな港になっている。かつて山原船が碇泊していた港である。風は小島に遮られ穏やかな入江になっている。大正末頃まで、薪・芋・竹などを山原船で運びだしていた。
中央の小島がサーシノパナリ
サーシヌクヮーの小島
サーシヌクヮーから集落をみる
『琉球国高究帳』に「たんちや村」とあるが、『琉球国由来記』(1713年)には村としては登場しない。その頃の恩納間切の地頭代は谷茶大屋子を名乗った。谷茶の浜に谷茶浜大口と呼ばれるリーフがあり、リーフの割目から山原船が往来した。
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