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なきじん研究
山原の(津)と山原船
2006 Vol. 14
今帰仁村歴史文化センター
 
 
発刊のことば
 「山原の津(港)と山原船」を発刊することになりました。平成17年10月25日から12月25日まで今帰仁村歴史文化センターにおいて「山原の津(港)と山原船」の展示会を開催致しましたが、本巻はその展示をベースに編集したものです。
 山原船が津(港)を介して果たした役割を追っていくと、当時の社会の動きを知る手がかりとなることに気づかされます。沖縄では自動車が出現する大正まで、物資の運搬のほとんどが海上輸送でした。当時の貢租(税)は米や麦などが主でした。
 『琉球国旧記』(1731年)を見ると、「江港」とあり、江は河口の入り江にあたり、そこは山原船の停泊地となり津(港)としての役割を果たしていたことがわかります。沖縄本島北部(山原)の村々に津があり、舟を中心とした往来があったことがわかります。大正になり自動車が出現すると、山原の郡道の整備が進められ、海上交通から陸上交通へと移っていきます。陸上交通に移行する前は、海上交通が主で、運搬は山原船が主流でした。
 「山原」の名を被った船は山原と那覇、泊、そして山原と東海岸の与那原を往来していたことに由来しています。山原船を中心とした時代は、村(ムラ)・島(シマ)を中心とした生活でした。その村で生まれ育ち、人生を閉じるのがほとんどでした。歴史を読み取る一つの指標となるものです。
 展示会「山原の津(港)と山原船」は、津(港)や山原船を通して海上輸送が主であった時代を見て行こうとするものです。山原の津々浦々の海上輸送の様子や津(港)が果たした役割を「山原の津(港)と山原船」を通して描きだしたものです。
 「山原の津(港)と山原船」の展示会の開催、及び本巻を発刊するにあたり「社団法人沖縄海事広報協会」の助成を受け、多大なご協力とご援助をいただきました。感謝申し上げます。
平成18年3月
今帰仁村教育委員会
教育長 田港朝茂


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