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CORM5 坊津一乗院聖教類等
−中世における僧侶と聖教の動きをめぐって−
栗林 文夫
 県指定有形文化財「坊津一乗院聖教類等」は、廃仏毀釈で寺院が全廃された鹿児島において貴重な史料である。聖教とは広義には「寺院社会内部で教義・行法に関して記録したもので、僧尼の修学や宗教活動の実践に際して活用され、かつ師弟間における原本授受または書写伝授によって法脈継承を根拠づける文献」1を指す。近年では、日本史の研究者の間でも興味関心が持たれ、様々な試みが実践され始めた史料群である。
 坊津一乗院聖教類等は全18巻から成り、聖教(狭義の意、経文・教説・仏典)・印信(密教で阿闍梨が弟子に秘法を授けた事を証明する文書)・一乗院来由記等多彩な内容となっている2。これらの聖教で興味深いのは、奥書に「いつ・誰が・どこで」書いたかという事が明記されている点である。次に「コ−240」の巻を例に取り上げ、奥書の内容を検討してみよう。
(1)(コ−240-15)・・・延文4年(1359)11月16日、大安寺(奈良市)において、金剛資道種が書写。
(2)(コ−240-17)・・・建徳元年(1370)12月1日、肥後国山鹿の金剛乗寺(熊本県山鹿市)において、金剛資隆尊が書写。
(3)(コ−240-19)・・・至徳4年(1387)11月18日、上州八幡荘大聖寺遍照王院(群馬県高崎市)において、伊集院住人広叡が書写。
(4)(コ−240-22)・・・(1)嘉元元年(1303)10月17日、相模国大山寺常楽坊(神奈川県伊勢原市)において、金剛資儀海が書写。(2)永徳2年(1382)10月15日、宝生院(愛知県名古屋市)において、広範が書写。(3)応永6年(1399)7月18日、薩摩国日置荘菩提寺総持院(鹿児島県日置市?)において、範瑜が書写。
(括弧内の寺院の所在地については推定)
(1)は奈良県から、(2)は熊本県から、(3)は伊集院の住人が群馬県で書写し、そこから移動、(4)は神奈川県→愛知県→鹿児島県日置から、最終的に一乗院まで移動した事実が確認される。特に(4)の事例は、聖教が寺院間を移動しながら書き写されていったことを示している。このような現象はどのように理解すればよいのであろうか。モノとしての聖教が一人歩きをするはずはないので、聖教の移動には人間=僧侶が介在したはずである。
 次に、その背景について若干考えてみたい。中世の僧侶の特徴の一つに「諸宗兼学」がある3。「一乗院来由記」によれば、一乗院第4世頼俊法印は高野山・根来寺・仁和寺等の諸寺で、密教だけでなく倶舎宗・法相宗も学んでいたことが知られる。また、密教における教義・行法の世代間における継承は師資相承を基本とした。師は多数の弟子を持つと同時に、弟子は複数の師に師事し、諸方面の聖教を蒐集・書写した4。師から弟子に聖教が譲与されることも多かった。師資相承は口伝を旨とし、外部には秘匿性が原則であった。このような流派集団は門流と呼ばれる。この門流は真言では野沢十二流、天台では台密十三流等と呼ばれ、更に分化していく。一人の僧侶が複数の門流に所属する事もあり、また一つの門流が寺院内だけに留まるものではなく、寺院を横断する形で、他の寺家・院家にも人脈を配する事もあった5
 以上のような理由から、ヒト(僧侶)とモノ(聖教)が東国から南九州の一乗院まで移動したのである。この背景には、現代人が想像する以上に発達した都鄙間交通が前提にあった。密教系の寺院は僧侶を介して、全国的なネットワークの中に位置した。そしてこれを利用して、当時としては最先端の「智」も移動した。その一つが独鈷の形をした「坊津日本図」6である。九州の南西端に位置する一乗院も、国内の寺院間ネットワークに組み込まれていた。これに対外交易の拠点施設としての一乗院の性格が加味され、中世の一乗院は多彩な活動を展開した7。「坊津一乗院聖教類等」という史料群は、このような一乗院の特徴の一端を我々に教えてくれる。
 
延文4年(1359)、大安寺(奈良市)で金剛資道種が書写した聖教(コ−240-15)の奥書部分
 
[註]
1 上川通夫「聖教」190頁(佐藤和彦他編『日本中世史研究事典』東京堂出版、1995年)。
2 五味克夫「坊津一乗院聖教類等」(『鹿児島県文化財調査報告書』第39集、1993年)。
3 福島金治「中世の僧の多様性」(国立歴史民俗博物館編『歴博フォーラム 中世寺院の姿とくらし−密教・禅僧・湯屋−』山川出版社、2004年)。
4 山岸常人「顕密仏教と浄土の世界」(元木泰雄編『日本の時代史7・院政の展開と内乱』吉川弘文館、2002年)。
5 上川通夫「中世寺院の構造と国家」(『日本史研究』第344号、1991年)。
6 栗林文夫「坊津歴史資料センター輝津館所蔵の『日本図』について」(鹿大史学会報告レジュメ、2005年2月)。
7 栗林文夫「坊津一乗院の成立について」(『黎明館調査研究報告』第18集、2005年)。
 
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【謝辞】
 本書作成にあたり、次の方々にご協力・ご支援を賜りました。ここに記して感謝の意を表します(順不同・敬称略)。
 
日本財団、財団法人日本海事広報協会、社団法人九州海事広報協会、東京大学史料編纂所、独立行政法人国立公文書館、財団法人東洋文庫、鹿児島県立図書館、鹿児島県歴史資料センター黎明館、坊津町教育委員会、龍巖寺、金倉円理、森尚信、有馬紀幸、松下兼次、鳥原真利子、佐藤順二、宮下喜男、竹山健一、藤田明良、栗林文夫、渡辺美季、中島敬、上田耕、上東克彦、福永裕暁、若松重弘
 
 また、次の先生方にコラムの玉稿を賜りました。ここに記して感謝の意を表します(敬称略)。
 
藤田明良(天理大学国際文化学部教授)
栗林文夫(鹿児島歴史資料センター黎明館学芸専門員)
渡辺美季(目本学術振興会特別研究員(東京大学東洋文化研究所))
松田朝由(大川広域行政組合埋蔵文化財係主事(石造物研究会会員))
 
【執筆・編集・デザイン】
 本書は、坊津歴史資料センター輝津館の橋口亘が執筆・編集し、デザインは大谷喜郎が担当しました。
 
表紙写真:『薩藩勝景百圖−海辺』「唐湊」(東京大学史料編纂所蔵)
『武備志』「日本圖」南九州部分(独立行政法人国立公文書館蔵)
 
※本書の無断転載を禁じます。


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