平戸藩10代藩主松浦熈(まつらひろむ)(観中(かんちゅう):1791-1867)は、父、静山が有名なため存在感が薄いのですが、その業績は同等に位置するものがあります。静山の交流する幕府関係学者等が幼少時より、熈の家庭教師的存在になり、理想的環境におかれました。静山も幕府内部で出世するよう期待しますが、平戸藩家臣は反対し、そのために心労が重なり隠居しました。藩政においては緊迫する対外危機に藩をあげて取り組むなどしています。また、父母と誕生した平戸をこよなく愛しました。そのため貴重な資料・文化財・史跡が平戸に残る大きな要因となったのです。
作者の久間貞八(1752-1813)は平戸藩士で本来絵師ではありませんでした。貞八は10代藩主熈が幼少の頃は、江戸藩邸で藩主夫人等と関わる奥向きの仕事に携わるなどしています。貞八は隠居後、絵に専念して南蘋派(なんびんは)の画風を習得し、徐
晋(じょこうしん)と号しました。この孔雀之図は熈が命じて平戸で描かせたものですが、どうしても瞳を書き込むことができず、瞳を観察するために平戸から江戸まで足を運んだという伝承が残っています。