日本財団 図書館


○本書は松浦史料博物館が開催する企画展「子孫永宝―平戸藩主 松浦家と海展」(会期:平成17年7月16日〜9月20日)の解説書として作成したものです。
○掲載している資料は、すべて松浦史料博物館の所蔵資料で、展示資料の中から主なものを選んで掲載しています。
○本企画展は日本財団助成事業です。
 
第1章 代表的資料写真とその解説
蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)(部分)
江戸時代 伊藤景忠(いとうかげただ)筆 松浦史料博物館蔵
 
 平戸藩主松浦(まつら)家の出自は平安時代末期から確認される松浦党(まつらとう)にあります。松浦党は「海の武士団」ともいわれますが、漁業・塩業・海上交易等、海と深い関わりがありました。蒙古襲来にさいしては、水軍を率い元軍と戦いました。文永の役では、文永11年(1274)10月16、17日にわたり平戸近海が襲われ松浦一族数百人が討たれました。弘安の役では、元・高麗の東路軍(とうろぐん)と、元・南宋の江南軍(こうなんぐん)の合流地点として平戸島が選ばれています。
 
唐船之図(とうせんのず)
(寧波船(にんぽうせん) 部分:楽歳堂旧蔵)
長崎県指定有形文化財
江戸時代 松浦史料博物館蔵
 
 唐船之図は1隻のオランダ船と、11隻のジャンク船が描かれた資料(巻子装(かんすそう))です。平戸は1500年代半ばに、中国人海商で後期倭冠の首領、王直(おうちょく)が本拠を置き国際港としてアジア各地に知られるようになりました。ポルトガル船が1550年に平戸に入港したのもこのためです。本資料は平戸藩により1700年代中頃に作成されたもので、それぞれの船には詳細な寸法が書き込まれています。これは他に類例を見ない世界的にも貴重な資料であるとされています。
 
オランダ船(せん)
船首飾木造(せんしゅかざりもくぞう)
長崎県有形指定文化財
17世紀 松浦史料博物館蔵
 
 慶長14年(1609)、オランダ東インド会社のパイレン号・フリフェーン号の2隻が平戸に入港しました。そして、正式に国交が開かれ平戸にはオランダ商館が開設されました。1628年、台湾におけるオランダ人と日本朱印船乗組員の抗争から平戸オランダ商館が閉鎖される事態が発生します。1632年までこの閉鎖は続きますが、この間、平戸藩主と姻戚関係にあたる幕府要人のみがオランダ人側の味方となり江戸幕府に水面下で働きかけ等をしました。再開後、平戸オランダ商館はアジア各地のオランダ商館の中で最大の利益をあげました。しかし、寛永14年(1637)の島原の乱を機にポルトガル人の日本来航が禁止され、寛永18年(1641)、平戸オランダ商館は長崎出島に幕府から移転を命じられました。
 この木像は平戸オランダ商館と取引を行っていた平戸商人が開いた寺院に伝わったオランダ船関係資料です。
 
『楽歳堂(らくさいどう)・新増書目(しんぞうしょもく)』
(外篇蛮国(がいへんばんこく))
江戸時代 松浦静山(まつらせいざん)筆 
松浦史料博物館蔵
 
 平戸藩9代藩主 松浦清(まつらきよし)(静山(せいざん):1760-1841)は、20歳のとき平戸城内に楽歳堂文庫を創設しました。この文庫には静山が多方面にわたる貴重な資料が収められました。その内容は貴重な図書・絵画・道具・洋書(ヨーロッパの図書)などでした。これらには「楽歳堂」という印とともに、「子孫永宝」(しそんえいほう)という後世までの宝を意味する印が押されていました。また、楽歳堂に所蔵する資料の目録・解説を静山自ら書き記しています。


目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION