日本財団 図書館




 海難審判庁採決録 >  2005年度(平成17年度) >  乗揚事件一覧 >  事件





平成15年第二審第11号
件名

貨物船ダイヤ丸乗揚事件[原審・長崎]

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成17年1月26日

審判庁区分
高等海難審判庁(上中拓治,雲林院信行,吉澤和彦,井上 卓,坂爪 靖)

理事官
工藤民雄

受審人
A 職名:ダイヤ丸船長 海技免許:四級海技士(航海)
B 職名:ダイヤ丸一等航海士 海技免許:五級海技士(航海)(旧就業範囲)

第二審請求者
理事官 尾崎安則

損害
ダイヤ丸・・・左舷中央部船底外板に破口を伴う凹損

原因
操船不適切

主文

 本件乗揚は,操船が不適切であったことによって発生したものである。
 受審人Aの四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 受審人Bを戒告する。
 
理由

(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成14年4月25日19時40分
 長崎県平戸瀬戸
 (北緯33度22.8分 東経129度34.1分)

2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 貨物船ダイヤ丸
総トン数 698トン
全長 60.20メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,029キロワット
(2)設備及び性能等
 ダイヤ丸は,昭和61年3月に進水した航行区域を限定沿海区域とする船尾船橋型の液化アンモニアガス運搬船で,可変ピッチプロペラを装備し,主として,関門港,宇部港及び水島港から広島県大竹港への輸送に従事していた。本船の船橋は幅約5メートル奥行き約4.2メートルで,前窓の後方約1.3メートルのところにコントロールスタンドがあり,船体中心線上に舵輪が配置され,同スタンドの左舷側にレーダー2台が並び,普段,レーダーと前窓の間に操船者用の椅子が置かれていた。また,試運転時の最大速力は約13ノット,旋回試験の結果は左転,右転ともに,縦距約192メートル及び横距約97メートル,操舵試験において舵中央から右舵30度が取られるまでの時間は約7.5秒,後進発令から停止までの航走距離は375メートルであった。
 平成7年以降,C社の所有船はダイヤ丸一隻であった。

3 平戸瀬戸広瀬導流堤付近
 平戸瀬戸は,平戸島と九州本島間の水道で,九州北岸と同西岸の間を航行する際の最短距離にあたるため,多くの沿岸航行船に利用されていた。同瀬戸北口は,九州本島側牛ヶ首と平戸島側獅子駒埼に挟まれた幅約700メートルの水路となっており,その中央付近に広瀬があり,導流堤と広瀬灯台及び広瀬導流堤灯台が設置されていた。そのため,平戸瀬戸北口では広瀬によって水路が二分され,広瀬導流堤の東側は東水道,西側は西水道と呼ばれていた。佐世保海上保安部は,広瀬導流堤付近の潮流が速く船舶交通が輻輳しやすいことから,北航船のうち500トン未満は東水道を,500トン以上は西水道を航行するよう,また,南航船は西水道を広瀬導流堤からできるだけ離れて航行するよう,九州沿岸水路誌に記載するなどして針路法の指導を行っていた。

4 事実の経過
 ダイヤ丸は,A,B両受審人ほか5人が乗り組み,空船で,船首2.0メートル船尾4.0メートルの喫水をもって,平成14年4月25日12時30分D発電所専用岸壁を発し,平戸瀬戸を経由する予定で水島港に向かった。
 ところで,A受審人は,平戸瀬戸の通航経験が少なく,最後に通航してからすでに10年ばかり経過していたが,改めて水路誌等で水路状況を調べていなかったので,広瀬導流堤付近における針路法に関する佐世保海上保安部の指導があることを知らなかった。そのため,同受審人は,自船が西水道航行船に該当することを知らないまま,反航船がなければ東水道を通航する計画を立てていたが,最終的には,牛ヶ首付近に至って同水道を見通せるようになってから決定することとしていた。
 また,A受審人は,船橋当直を,同人,B受審人及び甲板長の3人による4時間3直制とし,自分が08時から12時及び20時から24時の時間帯を受け持ち,甲板長には00時から04時及び12時から16時の時間帯を,B受審人には04時から08時及び16時から20時の時間帯をそれぞれ担当させていた。しかし,狭視界時や狭水道を通航するときは,A受審人が昇橋して自ら操船指揮を執っていた。
 15時50分ごろB受審人は,長崎県大蟇島南方4.3海里ばかりの地点で昇橋し,単独の船橋当直を開始した。
 B受審人は,これまでに10回程度の平戸瀬戸の通航経験があったが,ダイヤ丸くらいの大きさの船は大抵西水道を通航していたことと,前日の南航の際,A受審人が西水道を通航するのを見たことから,北航時も西水道を通航するものと思っていた。
 19時20分ごろA受審人は,平戸大橋の手前で昇橋し,操船するときにいつも腰掛けるレーダーの前側の椅子に腰を下ろした。
 A受審人は,自分が指揮を引き受ける旨を口に出してB受審人に告げることはしなかったが,前示の椅子に腰掛けたとき,指揮権が自分に移ったものと自覚していた。この間,A受審人は,反航船がなければ東水道を通航するつもりであることについてB受審人に告げなかった。
 B受審人は,A受審人が前示の椅子に座るのを見て,同人が指揮を執るものと思い,舵輪について手動操舵に切り換えた。機関長は,少し前から在橋しており,船長の指示に備えて主機遠隔操縦盤の後方で待機していた。
 B受審人は,日ごろ,A受審人が指揮を執る場合でも,同人から針路や操舵の号令が出されるわけではなく,自分に任されることが多かったので,レーダーの画面を見ながら操舵し,まもなく平戸大橋を通過し,大田助瀬灯標に並航する前,黒子島に向首する針路について一度A受審人の指示を受けただけで,あとは自分の判断で針路を調整しながら航行した。
 19時37分B受審人は,南風埼灯台から270度(真方位,以下同じ。)180メートルの地点で,針路を002度に定め,機関を約10ノットの全速力前進にかけ,折からの順潮流に乗って12.6ノットの対地速力で進行した。
 19時38分少し過ぎA受審人は,広瀬導流堤灯台から193度600メートルの地点で,平戸瀬戸牛ヶ首灯台(以下「牛ヶ首灯台」という。)と鴨瀬灯浮標を重視する線を通過したとき,右舷前方に東水道全体を見通すことができるようになり,同水道に反航船を認めなかったことから,東水道を通航することに決めた。
 このとき,A受審人は,前方を向いた姿勢のまま,「東水道を通ろうか。」と言ったが,明確な操舵号令ではなかったので,その言葉がB受審人に伝わらなかった。さらに,A受審人は,舵が取られているかどうかを舵角指示器で確認せず,また,B受審人に操舵号令復唱の習慣がなかったことから,舵が取られていないことに気付かなかった。
 19時39分少し前A受審人は,広瀬導流堤灯台から199度400メートルの地点に至ったとき,なかなか回頭が始まらないことから,「もっと右にせんか。」と言い,再度右舵を発令したつもりであったが,注意を引くような口調ではなかったので,依然としてB受審人に伝わらず,舵が取られず,転針の時機を逸した。
 19時39分半A受審人は,広瀬導流堤灯台を右舷船首28度200メートルに見るようになったとき,未だに右舵が取られていないことに気が付き,振り返って,大声で「右舵一杯。」を発令した。
 A受審人は,すでに広瀬導流堤が迫って十分な回頭水域がなくなり,順潮流の影響で回頭し切れない状況であったが,東水道へ向かうことしか念頭になかったので,右転を中止することなく,操舵スタンドに駆け寄り,B受審人に改めて右舵を促した。
 B受審人は,「右舵一杯。」の号令を聞いたとき,一瞬,回頭できるかどうか不安を感じたが,船長に命令されたとおりにしようと思い,A受審人に右転を中止するよう進言することなく,直ちに右舵一杯を取った。
 ダイヤ丸は,まもなく右回頭し始めるとともに,潮流によって広瀬導流堤の方へ圧流され,19時40分広瀬灯台から227度150メートルの地点において,原速力のまま,085度に向首したとき,広瀬導流堤南側基部に乗り揚げた。
 当時,天候は曇で風力4の北東風が吹き,潮候はほぼ高潮時で,付近には2.6ノットの北東流があった。
 乗揚の結果,左舷中央部船底外板に破口を伴う凹損を生じたが,自力で離礁し,のち修理され,破口から流出した燃料油が平戸瀬戸及びその南方海域に浮遊して海岸に漂着したが,のち除去された。

(本件発生に至る事由)
(1)A受審人が広瀬導流堤付近における針路法に関する佐世保海上保安部の指導を知らなかったこと
(2)A受審人が自分で指揮を執る旨の意思表示を明確にしないで指揮にあたっていたこと
(3)B受審人の判断で転針が行われながら進行していたこと
(4)A受審人が,どちらの水道を通航するかを牛ヶ首付近で決めるつもりであることをB受審人に告げていなかったこと
(5)B受審人が西水道を通航するものと思っていたこと
(6)A受審人が東水道を通航することを決断したこと
(7)A受審人が舵角指示器を確認しなかったこと
(8)B受審人が操舵号令を復唱する習慣がなかったこと
(9)A受審人の「東水道を通ろうか。」及び「もっと右にせんか。」の言葉がB受審人に伝わらなかったこと
(10)右舵一杯の発令があったとき,すでに十分な回頭水域がなかったこと
(11)A受審人が東水道に向かうことしか念頭になかったこと
(12)右舵一杯の発令に対して,B受審人が右転を中止するよう進言しなかったこと
(13)ダイヤ丸が,回頭中,速い潮流の影響を受けたこと

(原因の考察)
 ダイヤ丸は,A受審人が指揮を執り,B受審人が操舵に従事して,平戸瀬戸の牛ヶ首沖合に至った。A受審人はそのころ東水道を通ることを決断し,操舵号令のつもりで,最初に「東水道を通ろうか。」,次に「もっと右にせんか。」と言ったが,曖昧な言い方で,明確な操舵号令になっていなかったために,B受審人に伝わらなかった。このとき,A受審人が明確な操舵号令を発していれば余裕を持って転針が行われたはずで,本件は発生していなかったと認められる。
 また,実際に右舵が取られたのは導流堤まで200メートルもないころで,右舵一杯でも結果的に回り切ることができなかった。A受審人が,導流堤までの距離と順潮流を考慮し,転針を中止して西水道に向かっていれば,やはり本件は発生していなかったと認められる。
 したがって,A受審人の「東水道を通ろうか。」及び「もっと右にせんか。」の言葉がB受審人に伝わらなかったこと,すなわち,操舵号令が不明確であったこと,右舵一杯の発令があったとき,すでに十分な回頭水域がなかったこと,及び,回頭中,速い潮流の影響を受けたことは,総合すると,船長の不適切な操船に帰するものであり,いずれも本件発生の原因となる。
 一方,B受審人が「右舵一杯。」の号令を聞いた時,右転を中止するよう進言していれば,A受審人が右転を思いとどまり,本件は発生していなかったと認められる。したがって,B受審人が右転を中止するよう進言しなかったことも本件発生の原因となる。
 A受審人が広瀬導流堤付近における針路法に関する佐世保海上保安部の指導を知らなかったこと,自分で指揮を執る旨の意思表示を明確にしないで指揮にあたっていたこと,どちらの水道を通航するかを牛ヶ首付近で決めるつもりであることをB受審人に告げていなかったこと,舵角指示器を確認しなかったこと,及び,B受審人が操舵号令を復唱する習慣がなかったことは,いずれも本件発生に至る過程で関与した事実であるが,本件と相当な因果関係があるとは認められない。しかしながら,海難防止の観点から是正されるべき事項である。
 A受審人が東水道を通航することを決断したこと,及び,東水道に向かうことしか念頭になかったこと,また,B受審人の判断で転針が行われながら進行していたこと,及び,B受審人が西水道を通航するものと思っていたことは,いずれも本件発生の原因とならない。

(海難の原因)
 本件乗揚は,夜間,順潮流を受けながら平戸瀬戸を北航中,操船が不適切で,平戸瀬戸広瀬導流堤に接近して十分な回頭水域がなくなった状況下,東水道に向けて転針したことによって発生したものである。
 運航が適切でなかったのは,船長が,明確な操舵号令を発しなかったばかりか,十分な回頭水域がなくなったのに転針を中止しなかったことと,操舵にあたっていた当直者が,転針を中止するよう進言しなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
 A受審人は,夜間,順潮流を受けながら平戸瀬戸広瀬導流堤付近を北航中,操舵号令のつもりで発した言葉が操舵者に伝わらず,必要な時期に東水道への転針が行われなかった場合,すでに十分な回頭水域がなくなったうえ,順潮流に圧流されやすい状況であったから,転針を中止して西水道に向かうべき注意義務があった。しかし,A受審人は,東水道へ向かうことしか念頭になく,転針を中止して西水道に向かわなかった職務上の過失により,潮流に圧流されて広瀬導流堤南側基部への乗揚を招き,左舷中央部船底外板に破口を伴う凹損を生じさせ,燃料油を流出させて付近海域を汚染させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 B受審人は,夜間,船長の指揮の下,操舵に従事しながら平戸瀬戸を北航中,広瀬導流堤を右舷側至近に見るようになったところで右転を指示された場合,順潮流のなか回頭し切れるかどうか不安を感じたうえ,西水道を通航する方法もあったのであるから,転針を中止するよう船長に進言すべき注意義務があった。しかし,B受審人は,命令されたとおりにしようと思い,転針を中止するよう船長に進言しなかった職務上の過失により,命令どおり右舵一杯を取って乗揚を招き,前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては,海難審判法第4条第2項の規定により,同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文 平成15年3月3日長審言渡
 本件乗揚は,操舵号令が不明確で,転針時機を失したことによって発生したものである。
 受審人Aの四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。


参考図





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION