日本財団 図書館


《第一章》
障害の受容〜就学まで
相談のポイント
・発達に遅れを感じた時
・診断
・保護者の心理的サポート
・就学(就学時検診・就学相談)
 
掲載されていると便利な情報
専門医療機関一覧(精神科・児童精神科)
 
行政窓口
福祉事務所(手帳の取得・手当・減免等)
保健所・保健センター(乳幼児期相談)
児童相談所
 
福祉サービスの利用情報
 
療育機関
通所施設・療育相談機関・NPO等を含むサポート機関一覧
 
自閉症児受入の保育園・幼稚園一覧
 
障害児者対応の地域の医療受診機関
内科・耳鼻科・外科・歯科等一覧orマップ
 
乳幼児健診等について
 自治体や小児科で実施されている乳幼児健診等には、不安をあおるだけでその後の相談についてフォローがない、不安があるのに「心配ないですよ」と根拠のない慰めをされる、担当者によって言うことが食い違っていてどうしたら良いかわからないといった批判が多くあります。しかし、本来は不安の正体について一緒に考えていく専門家と出会える機会であり、子ども本人が困っているのに家族が気づくことができなかった点を確認できる貴重な機会です。ペアレント・メンターは、乳幼児健診等のメリットも十分に把握して、家族が障害に向き合っていく過程を仲間として支える重要な役割を果たすことが求められます。
 
不安に思い、混乱している家族に共感してあげられる存在
 乳幼児健診は、これからどう育っていくのか想像ができない時期に家族が体験する育児イベントです。わが子がどう評価されるのか、専門家といわれる人がどんなスタンスで自分と子どもと接してくれるのか、他の子はどんな発達をしているのか、いろいろなことが確かめられる機会です。その後、個別で呼び出しを受けたり遊びの教室などのところに誘われたりという段階を経て、親自身も少しずつ子どもの状態が確認でき、専門家に頼る方法も見えてきて、診断を受ける段階に移行していけるようにフォローアップシステムが各地で工夫されています。しかし、不当に評価されていると感じたり、専門家が無神経あるいは暖昧な態度だと感じたり、他の子と大きな違いを感じたりすると混乱してしまうことにもなります。混乱している家族には、自分だけではないと気付かせる仲間の存在が必要であり、混乱の体験を経てきたペアレント・メンターであるからこそ励ましを提供することが可能です。
 
どう理解し、どう変わっていくのかという見通しを提供できる存在
 専門家は、発達の様子のどういう所が問題なのかチェックして、家族に気付きを提供するための項目や、問題が想定された時の紹介機関などのルートを持っていますが、実際にはその後どんな成長を経て大人になっていくのか十分担握していないのが現実です。生涯を通して関わる専門職種がとても少なかったのがその原因であろうと思われます。家族はどうやって障害を自分の中で受け入れたらいいのか、将来がどうなるのか、どんな支援を受けたら良いのか、予想されるマイナスもプラスも知りたいと思うのが当然です。親子双方がどんな経過を経て成長していくのかという見通しを提供できるのもペアレント・メンターの強みです。
 
まだよく知らない支援のガイドができる存在
 育児を始めて間もない家族は、どんな機関が支援をしてくれるのかまだ知りません。ペアレント・メンターは、自分自身の経験だけでなく、幅広く現在使える地域資源情報を具体的に提供できるようにしておきたいものです。
 
我が子の乳幼児期を振り返って
 娘の誕生は貴重な昭和64年です。1歳7ヶ月違いで長男が生まれていましたから、「次は女の子!」の期待通りの娘誕生に家族も私もとても喜びました。育児書通りに「良く食べ」「良く眠り」体も大きく、10ヶ月を待たずに歩き出していましたので、本当にスクスクと成長していました。
 
 歩き始めたころから「目線が合わない」「他人に抱っこされるとむずかる」「多動」が目立ち、経験したことも無い難題に出会い始めていました。子育ての経験はしてきたものの、得体の知れない違和感を抱きつつ、子育てや日々の生活に追われ娘の成長に疑問を投げかける暇もありませんでした。そんなときに1歳半検診を受ける時期がやってきました。
 長男も言葉が遅く少し悩んだ時期もありましたので、その当時娘の言葉についてはごく普通であると母子手帳には記録していました。内科検診で聴診器を当てたり口腔内を見る際にかなり娘は抵抗して泣き叫びました。正直とても恥ずかしい気持ちでいました。「なんで?」と同年齢の子どもと比較して私の疑問ははっきり浮かび上がり、保健師に言葉の問題よりも目線が合わないことや後追いをしないこと、自分で行なえばいいのに私の手をとって物を取らせる行為が何なのかが分からず質問をしました。はっきりした答えは返ってこなかったと記憶していますが、とても親身に相談事を聞いてくれたことで安心して帰宅しました。帰り際に「自宅を訪問するかも知れません」といわれたのを覚えていました。ちょうど2歳になるころ保健師が自宅に訪れ、家の様子や遊び方を聞かれ答えましたが、このときに私は乗り気ではなくかえって「家にいなければ良かった」と思っていました。たぶん自分の子どもが他の子どもと違うことに対してうすうす気づき始めていて、自己防衛心が働いたのでしょう。しかしこの出会いがなければ、療育のスタートがだいぶ遅くなっていたことだろうと、娘の障害がはっきりしてからは保健師の来訪にとても感謝しています。
 保健師の勧めで当時の保健所の相談を利用しました。2回目の際「次回、児童精神科医が診察に来るが受診してみますか?」と進められ、やや不服ながらも承諾。保健所の受診を経て娘が2歳5ヶ月のときに療育センターへの受診にとつながっていきました。このときに障害のことを知らされ、これからの育児や自分がどう向き合っていけばいいのか気持ちの整理がつかず、医師に質問もろくにできず自分の情けなさを痛感しました。わけが分からなくなるとはこんなことなんだなと、当時を振り返って思い出します。おなかの中には3番目の子どもがいて、自分の人生への悲観、重圧、不安など、ふとした時間の空きができたときに暗い気持ちになり涙がこぼれていました。
 しかし、子どもは私の気持ちなど梅雨知らず、毎日公園で遊び楽しく暮らしていたようです。良く寝る子どもたちだったので、それだけは救いでした。家族の協力で新しく加わった私の通院もなんとかこなし、3人目の出産後の娘の療育や長男の預け先など、少しずつ私の見通しももてるようになった反面、その後の忙しさや体験したことも無い生活にとても不安を抱いていました。
 3人目の出産後、娘が3歳から療育センターの外来でのグループ活動に参加しました。週1回でしたが私にとっては貴重な時間。そして3人の子供を一人で抱えての大移動。療育への大きな一歩を踏み出したときです。近所の方が見るに見かねて長男を預かると申し出ていただき、とてもありがたかったのを覚えています。年度が替わり1年単位のグループに参加したときには、年中から幼稚園に通う長男は近所の方に預かってもらえることになり、3番目の次男は私の母が来て面倒を見てくれました。いよいよ娘との1対1の療育のスタートがやってきました。日々の療育や娘の次年度の幼稚園の選択と通園の併用など、療育センターの職員の方に相談に乗っていただいていましたが、日常の忙しさには気力も体力もくたくたで、あまり先のことに考えが及びませんでした。結果としては長男とは違う幼稚園(障害児を昔から受け入れている)を選択し通園と併用で、月・水・金は幼稚園、火・木は通園という生活を選び、またまた忙しい生活を選択してしまいました。
 幼稚園よりも先に通園の入園式があり、先輩お母さんの暖かい拍手の中入場の場面になりました。拍手を聞いたときに、自分自身が受け入れてもらえるような嬉しさと拍手をされる有り難味で涙が止まらなくなりました。このときの出来事は今でも鮮明に覚えています。
 
 ちょっとの勇気でも踏み出すには大変な努力が必要かもしれません。いろいろな出会いの中には、子供のためにそして自分のために何かを始めるきっかけが、必ず待っていると私は思います。応援していますよ!


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