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今月の詩(6)
平成十七年度全国吟詠コンクール指定吟題から
【幼年・少年・青年の部】(絶句編)(6)
事に感ず  于濆
 
【大意】世間の人情の軽薄なさまを諷刺した詩。花が咲くと蝶はその木の枝に群がり集まってくる。ところが、花が散ってしまうともうその枝には蝶は来ない。ただ前から巣を作っていた燕だけは、その家の主人が貧乏であっても、去年の古巣を忘れずにまた戻ってくる。
 
【一般一部・二部・三部】(絶句編)(6)
胡隠君を尋ぬ  高啓
 
【大意】春の暖かいある一日、江上の風景を眺めながら胡某という隠者を訪れた詩。あちらで川を渡り、またこちらで川を渡り、そして、あちらで花を眺め、またこちらで花を眺める。このようにして、ここちよい春風のそよ吹く川のほとりの道をのどかに歩いているうちに、いつのまにかあなた(胡隠君)の家にたどりついてしまったことだ。
(解説など詳細は財団発行「吟剣詩舞道漢詩集」をご覧ください)
 
吟剣詩舞
こんなこと知ってる?(8)
 昨年四月号から始まった新企画「吟剣詩舞こんなこと知ってる?」の七回目です。読者の皆さまと双方向で意見が交換できるコーナーとして設けております。
 吟剣詩舞の歴史、人物、身近な出来事など、読者の皆さまが驚くようなこと、是非、知らせたいことがありましたら財団事務局月刊誌係まで、ご寄稿をお願いいたします(形式は問いません。写真等も歓迎です)。
 今回は、一月号の本欄で本部事務局がお答えした『女性が吟詠する際の手の組み方』について、神奈川県の松島國舟さん(財団本部参与)から投稿をいただきましたので、ご紹介いたします。
 一月号の編集終了後に頂戴した原稿なので、一部重複したりするところもありますが、投稿文書をそのまま掲載させていただきました。
 
神奈川県・松島國舟
 昨年十一月二十八日、東日本地区連協主催、東京都総連盟主管による「吟詠指導者特別研修会」(審査員講習会)が開催されました。
 講義が終わって質疑応答・質問コーナーに入り、会場より「詩吟では舞台で両手を組む場合、どうして右手が中で左手が外(上)なのか」という質問がでました。いま、デパートやスーパーでは右手が上の方が多く見受けられるがその理由を知りたい、ということでした。講師陣はもとより、会場の中にも的確に答えられる方がいない様でした。
 心の中は非常に複雑な気持ちでしたが、また僭越とは思いながらも以前に読んだ本の内容を思い出し、勇気を奮ってそのことを話しました。それが『【右】と【左】の気になる面白話』、表題が「左手を上にして手を重ねるのは、礼儀作法の基本」でした。
 的確に答えられたかどうかわりませんが、別な機会に、その時の幹部の方も非常に喜んでくださったという話を間接的ではありますが伺うことができました。
 その後各茶道の流派に電話等で伺ったり、詩吟の稽古の折りに会員から伺ったものをまとめたものが次の文章であります。的を得ているかどうかわかりませんがいささかなりとも参考になればと思います。
 
河出書房新社 河出夢文庫
『【右】と【左】の気になる面白話』
左手を上にして手を重ねるのは、礼儀の基本
 三つ指ついて夫を迎える妻など絶滅した昨今、知らない人も多いだろうが、日本の礼儀作法では、人前で手をつくときは左手を上にして、右手指を包むように両手を重ねることになっている。
 あの礼儀作法の集大成ともいえる小笠原流礼法でもそう決められている。これは立っているときも正座しているときも同じことで、安土桃山時代、千利休が大系化したお茶の作法としてまず確立したものだという。
 そのころ、戦いに疲れた武士たちは、精神の避難場所として茶室を選んだ。静かにお茶をたてることで、心の平安を取り戻したのである。
 しかし、武士は礼をするとき、手を重ねてはいなかったのだ。膝の上に両手を並べておいて挨拶をした。いざというとき刀を抜くため、両手を自由に動かせるようにしていたのである。それが武士のたしなみだったのだ。
 しかし茶室では話は別である。茶室は戦いを忘れ、心を落ち着ける場。戦闘的な右手は抑えなければならない。戦う意志がないというその意思表示が、左手を上にして右手指をつつむようにしたのである。これが源流になって、小笠原流礼法ができたという。
「びっくりデーター情報部編」より
 
 
ちなみに現在
茶道の三千家
表千家では=左上
裏千家では=右上
武者小路千家では=左上
江戸千家では=左上
大内千家では=左上
雲伝心道流茶道(ちゃどう)では=右上
宗偏流では=男性は右上・女性は左上
大日本茶道学会では=自由
有楽流では=両手横となっている。
(以下、次号に続く)


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