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'05剣詩舞の研究◆7
青年・一般の部
石川健次郎
 
剣舞「児に示す」
詩舞「雪梅」
剣舞
「児(じ)に示す(しめす)」の研究
陸游(りくゆう)作
〈詩文解釈〉
 作者の陸游(一一二五〜一二〇九)は南宋の代表的な詩人で著作も多く、その内容も国家に対する至誠を述べたものや、風景詩などがあるが、まず今回の作品「児に示す」を理解するために作者の生涯について述べて置こう。彼が誕生した頃の国家はいわゆる北宋で、都は中原(河南省の黄河流域一帯で、この地を制することは中国全土を支配すると云われた)の京(べんけい)(開封)にあって栄えたが、陸游が二歳の年に宋は北方民族の金軍に侵略された。中原をすてた宋の遺臣達は江南にのがれ、皇帝の子高宗を奉じて杭州を南宋の都とした。しかし遺臣達は勿論のこと宋の民衆も皆が皇帝の軍隊が再び敵を討ち破って、中原に都が戻る日を願ったという。陸游も当時は官をはなれた父と共に故郷の江南(紹興)に逃れ、十三歳の頃から詩を学び、三十五歳で南宋の官界に入った。しかし、南宋王朝は成立当初から抗戦派と和睦派が対立し、彼はその争いを批判したり、主戦論を唱えたため免官になったり地方に左遷されたりした。八十五年の生涯という当時としては破格の天寿を全うした陸游は七人の男児に恵まれ、その息子達に示したのがこの作品で、云わば辞世の歌である。
 詩文の内容は『死んでしまえば、すべての事はむなしく、残る何ものも無いとは知っているが、それにしても悲しく残念なことは、九州(中国全土のこと)の同じさ(統一)を見ないことである。王師(皇帝の軍隊)が北方の中原に金軍を攻め込んで都を開封に奪回したときには、忘れないで先祖の祭をして、乃翁(汝の父親、即ち陸游のこと)に知らせて欲しい』というもの。
 なお中国史によると作者の願いであった金は一二三四年に元(蒙古軍)によって滅ぼされ、南宋も一二七九年に元によって歴史の舞台から姿を消したのである。
 
北宋の都、京(開封)の賑わい
 
〈構成振付のポイント〉
 前項で述べたように、この詩は遺書のようなものだから、詩文の字句からは舞踊構成としての資料は希薄である。しかし作者の祖国に対する情熱を考えると、彼の願望などを含めて、構成内容を充実させるとよい。一例を述べると、まず前奏では年をとっても丈夫で元気のよい作者陸游が、多くの息子達の前に登場する様子を威厳を持って見せ、起句は扇で息子達を諭す振りから、抽象表現で自分と外界に存在する一切のもの(森羅万象)の関係を能の型などを参考にして見せる。承句からは自分の刀を上手に置いて拝礼した直後に四方に斬り込んで周囲の敵を討ち倒す。転句は一度納刀するが、直ぐ北方の敵に攻撃を仕掛けようと勇み立ち、鞭(むち)(扇)を和睦派の役人達に取上げられ、陸游は一人抜刀してなお執拗に攻めようとするが、同じ役人たちに背後から斬られ、ひどくくやしがりながら倒れる。結句は立ち上って自分の願望はこの様であると息子達に述べた後、冒頭と同じ様式で威厳を持って後奏で退場する。以上は一人称振りでの振付例だが、役変りする構成も可能である。
 
〈衣装・持ち道具〉
 作者陸游は本来武人ではないのだが、憂国の志を武人に見立てて、衣装は黒か白の紋付きを着用する。
 扇は白無地か又は地味な色無地がよい。
 
詩舞
「雪梅(せつばい)」の研究
方岳(ほうがく)作
〈詩文解釈〉
 作者の方岳(一一九九〜一二六二)は南宋の詩人で(き)門(安徽省歙県)の出身。三十三歳で進士となり、後年江西省の南康・袁(えん)州の知事になった。詩文構成にすぐれ名言佳句が多い。さてこの詩は春の雰囲気を詠じたもので、少々理屈っぽいがウイットにとんだ作品である。
 春の詩題には、梅の花や降る雪をテーマにしてよく詠まれるが、それに人の情趣が揃ってこそ本当の春が味わえると述べている。詩文の意味は『梅の花が咲いてても、降る雪がないと生き生きとした美しい眺めにならない。また雪が降っても詩情が沸いてこないような風景では見る人の心をだめにしてしまう。
 さて、夕暮れどきに詩が出来た、丁度その時空から雪が舞ってきた。梅と雪と詩心が一体に合わさって、これで春のムードを十分に味わう事ができた。』というもの。
 この絶句では通常避ける用語のくり返しを、あえて意識的に使った機知の効果をねらっている。つまり起句では「梅」と「雪」、承句では「雪」と「詩」、転句は「詩」と「雪」を連鎖的につないで、結句ではそれらが一体となってこそ完全な春なのだと結んでいる。
 
春を呼ぶ雪中梅(イメージ)
 
〈構成振付のポイント〉
 この作品は、詩作の上での工夫に特色があるが、詩文の流れには否定の云い回しがあって、舞踊作品としての振に直接結びつかない難点がある。そこで振付のためには多少詩文とは異っても、詩心を通して構成した方が内容が理解されると思う。
 まず前奏は、作者が梅の花見に出かける風情で登場するが、途中から坂道を上る思い入れや梅の木を探索する目くばりなどを見せる。起句からはやヽ抽象的な動作で扇(紅ぼかし)で紅梅の花が次々と咲く様子を舞うが、花が開く動きだけでなく、空間に点在する動きを工夫する。承句からは白扇に替えて、雪のイメージで起句と同じ様な動きを見せるが、途中から二枚扇にして激しい動きで盛り上げる。転句は紅、白の扇を重ね持ちしながら色の重ね具合に綾を見せ、後半は承句の後半に似た白扇での激しい動きを見せる。結句は扇を半開きにした持ち方を工夫して、最後は鳥の姿に模して春の大空の中を飛び去る形で退場する。
 なお構成例としては「弘道館に梅花を賞す」(徳川景山)や「寒梅」(新島襄)の様に厳しい雪の中で梅が開花すると云った例もあるので、やや目的は異なるが参考にしたい。
 
〈衣装・持ち道具〉
 抽象的な動きが多いので、なるべく薄い色無地の着付がよい。扇は梅の花や雪のイメージのものを二本づつ用意するとよい。
 
今月の詩(2)
平成十七年度全国吟詠コンクール指定吟題から
【幼年・少年・青年の部】(絶句編)(2)
太田道灌蓑を借るの図に題す  作者不詳
 
【大意】太田道灌があるとき供も連れず、一人馬に乗って狩に行ったが、途中ひどい雨にあい、ある藁屋の戸をたたいて蓑を借りようとした。すると、その家の娘が出てきて、八重山吹の一枝をさし出した。娘はそれなり一言も発せず、道灌は花を見ていても、どういう意味かいっこうに判断がつかない。さすがの英雄道灌も、この時ばかりは心の中が千々に乱れて、まるでもつれてほどけぬ糸のようであった。
 
【一般一部・二部・三部】(絶句編)(2)
河内路上  菊池渓琴
 
【大意】南朝時代からの老木はあたりにたちこめた冷たいもやに包まれて、さびしく立ちならんでいる。思えば楠公の事蹟も六百年もたった今となってはむなしい一場の夢と化した。このことをいくたびか天に向かってたずねてみたが、天の答えるはずもなく、ただ金剛山の麓に夕暮れの雲が寂しく帰って行くのを見るばかりである。
(解説など詳細は財団発行「吟剣詩舞道漢詩集」をご覧ください)


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