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平成15年門審第107号
件名

漁船第十八光洋丸貨物船フンア ジュピター衝突事件
第二審請求者〔理事官尾崎安則〕

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成16年12月17日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(千手末年、長谷川峯清、織戸孝治)

理事官
金城隆支、尾崎安則

受審人
A 職名:第十八光洋丸一等航海士 海技免許:五級海技士(航海)
補佐人
B、C
指定海難関係人
D 職名:フンア ジュピター船長
指定海難関係人
E 職名:フンア ジュピター二等航海士

損害
第十八光洋丸・・・左舷中央やや後部及び後部外板に破口、網長が溺死、船長ほか5名行方不明、乗組員8名が骨折打撲等の負傷
フンア ジュピター・・・球状船首等に凹損及び破口

原因
フンア ジュピター・・・見張り不十分、各種船舶間の航法(避航動作)不遵守

主文

 本件衝突は、フンア ジュピターが、見張り不十分で、停止状態でまき網による漁ろうに従事中の第十八光洋丸の船団を避けずに進行し、同船団の至近において、第十八光洋丸に向け転針したことによって発生したものである。
 指定海難関係人Dに対して勧告する。
 指定海難関係人Eに対して勧告する。
 
理由

(海難の事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年7月2日02時25分
 福岡県沖ノ島北東方沖合
 (北緯34度24.9分 東経130度18.3分)

2 船舶の要目等
(1)要目
船種船名 漁船第十八光洋丸 貨物船フンア ジュピター
総トン数 135トン 3,372.00トン
全長 45.42メートル 106.65メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 860キロワット 5,516キロワット
(2)設備及び性能等
ア 第十八光洋丸
(ア)船体構造等
 第十八光洋丸(以下「光洋丸」という。)は、平成元年6月にまき網漁業の網船として建造された船首楼を有する鋼製漁船で、バウスラスター及び可変ピッチプロペラを備えており、上甲板上の、船体前部に船首尾方向の長さ約5メートル、高さ約5メートル及び幅約4メートルの、床面を船首楼甲板の高さに合わせた操舵室が、船体中央やや後部にエンジンケーシングがそれぞれ設けられ、船首楼甲板は左舷側が同室後壁線まで、右舷側が同室前壁線まで配置され、また、同ケーシングの右舷側壁は船体中心線側に寄せて設けられていて、右舷側甲板における作業性を考慮した配置とされ、主な漁ろう機械は、操舵室前の船首楼甲板(以下「前部甲板」という。)、操舵室とエンジンケーシングの間(以下「中央甲板」という。)及び同ケーシングより後部(以下「後部甲板」という。)に装備されていた。
(イ)漁ろう機械の配置
 前部甲板には、大手ロープ巻き揚げウインチ、絞りロープ巻き揚げキャプスタンが装備されていた。
 中央甲板には、右舷側前部に補助クレーン、同側中央部に環ワイヤーロープ(以下「パースワイヤー」といい、ワイヤーロープについては「ワイヤー」という。)巻き揚げダビッド(以下「ダビッド」という。)、同左舷側に、前後2台のパースワイヤー巻き揚げウインチ(以下「パースウインチ」という。)が装備されていた。
 後部甲板には、中央部に主クレーンポスト及び同クレーンブームの先端に取り付けた網捌き用パワーブロック、浮子整理ドラム、右舷側に前後可動式のネットホーラー、左舷側前部に大手ワイヤー巻き取りウインチ(以下「大手巻きウインチ」という。)及び同船尾端に裏漕ぎワイヤー巻き取りウインチが装備されていた。
(ウ)操舵室の機器の配置
 操舵室には、前面台上段の右舷側から、3台のソナーと1号レーダーが、同下段の同側から、潮流計及び3台の魚群探知器の順に設置され、中央にある操舵スタンドの左舷側に、主機遠隔操縦装置コンソール、その左側に、右から順に2号レーダー、3号レーダーが備えられ、汽笛の押しボタン及び投光器などのスイッチを備えた配電盤が操舵室左舷後部の壁に、作業灯等のスイッチが天井にそれぞれ配置されていた。
(エ)光洋丸に付属する各船の概要
 はるかぜは、総トン数6.4トン、全長11.06メートル(以下、総トン数、全長の順でいう。)で、レッコーボートと称し、投網時に網の一端を保持し、光洋丸が旋回投網を終えて戻ったとき、これを同船に渡すことを主務としていた。
 第六海幸丸(以下「六号」という。)は、85トン、39.10メートルで、灯船兼探索船として従事していた。
 第十七海幸丸(以下「十七号」という。)は、62トン、34.17メートルで、灯船兼探索船として従事していた。
 第二十二海幸丸(以下「二十二号」という。)は、214トン、46.30メートルで、運搬船として従事していた。
 第三十三海幸丸(以下「三十三号」という。)は、316トン、56.89メートルで、運搬船として従事していた。
(オ)操業形態等
 光洋丸は、大中型まき網漁業の網船で、前項の5隻と船団(以下「光洋丸船団」という。)を組み、山口県下関漁港または福岡県博多漁港を基地とし、対馬付近から島根県浜田市沖合にかけての日本海の漁場で、主としてあじ、さば等を漁獲対象としたまき網漁業に従事していて、6月から8月にかけて行う、よこわ(くろまぐろの幼魚)を漁獲対象とした昼間操業の時期を除いては、1航海を約25日間として夜間操業を行っていた。
(カ)漁具及び漁法等
 当時使用していたまき網漁具は、浮子付きの上辺ロープ(以下「浮子綱(あばづな)」という。)の長さが1,067メートル、沈子付きの下辺ロープ(以下「沈子綱(ちんしづな)」という。)の長さが1,252メートル、網丈が約350メートルであり、沈子綱には98個の鉄製環(以下「環」という。)付きの吊りロープが同綱に等間隔で取り付けられ、環にパースワイヤーが通されていた。そして、網の左側を魚捕部(うおどりぶ)あるいは魚捕側、右側を大手部あるいは大手側と呼称し、浮子綱の両端には、魚捕側に大手ロープ、大手側に大手ワイヤーが取り付けられ、同ワイヤーは後部甲板左舷側の大手巻きウインチのドラムに巻き込まれていた。
 ところで、まき網漁法は、本来、投網時に網の下部を海底に着けないで表中層の魚群を囲い込んでいたが、近年、網の下部をいったん着底させる漁法をとるまき網漁船が多くなり、光洋丸においても、綱の下部に荒手の網地を使用して着底できるようにしていた。
 光洋丸船団の夜間におけるまき網漁は、同船団の漁ろう長Fの指揮の下に、探索船兼灯船が魚群を探して水中集魚灯で集魚し終えたころに光洋丸が接近し、自船の船尾に繋いだはるかぜに、端を浮子綱に取った大手ロープのもう一方の端とパースワイヤー及び絞りロープを渡し、同船を切り離して船尾から投網しながら走り始め、灯船の周りを時計回りに一周し、はるかぜの位置に戻ってこれらのロープを受け取って巻き込み、船首部右舷側に浮子綱、その後方に絞りワイヤーを取り込み、パースワイヤーをダビッドを介して船首側のパースウインチのドラムに取り、これに合わせて、もう1隻の灯船兼探索船に光洋丸の左舷側を裏漕ぎする準備をさせ、沈子綱が着底してパースワイヤーの巻き締めに掛かることになる。
 このとき、F漁ろう長は、光洋丸が反作用で網側に引き寄せられることを防止するため、同ワイヤーの巻き締めと裏漕ぎを同時に行わせ、裏漕ぎ船に対しては漕ぐ方向や機関の使用加減の指示を出し、また、浮子綱を円形状に保持するため、はるかぜに適宜円形の崩れた部分の浮子綱を引かせて綱なりを保ちながら、パースワイヤーの両方を両パースウインチで巻いて網の下辺をダビッドの右側下方海面で閉塞したのち、灯船を網の外に出し、右舷船尾端にネットホーラーをセットし、これを介して揚網を開始するものであった。
 したがって、光洋丸がパースワイヤーを巻き締めるときは、船首部が魚捕側の浮子綱、船尾部が大手ワイヤーに繋がる浮子綱、左舷側が裏漕ぎロープ、右舷側がパースワイヤーによりそれぞれ固定された状態となり、機関はクラッチを脱とし、プロペラの回転を止めていて、風潮流で流されるほかは、自船の力では身動きが取れない状態であった。
(キ)光洋丸の船橋当直体制
 操業中は、F漁ろう長が光洋丸の船橋にいて各船の指揮及び自船の甲板作業の指揮をとっていた。
 船長Gは、出入港時や投網中の操船に当たり、漁場往復航時の船橋当直については、乗組員4人による単独3時間の輪番制をとらせ、自らとA受審人の2人が交替で適宜昇橋して航海状態を把握するようにしていた。
 そして、投網時は、同船長及び同受審人が船橋当直に就き、同船長が操船に、同受審人が船長を補佐し、投網を終えてパースワイヤーの巻き締めが終わった時点で、2人は降橋して甲板作業に従事し、揚網終了後、どちらかが再び昇橋して船橋当直に就いていた。
 通信士Hは、投網、パースワイヤーの巻き締め及び揚網中に在橋して、ソナーやネットゾンデで、魚群の動きや沈子綱の深さ等を監視してF漁ろう長を補佐し、G船長及びA受審人が降橋してからは、同人が同漁ろう長と船橋当直に就いていた。
(ク)光洋丸船団各船の当夜の操業における配置
 はるかぜは、光洋丸の乗組員3人が乗り組んで運航され、揚網開始後は、まき網漁具の周辺に位置していて、適宜、漁ろう長の指示に従って浮子綱の円形の崩れた部分に赴き、その部分を引いて綱なりを正す作業に従事し、揚網が進行して魚捕部が揚がったとき、これに取り付く運搬船の裏漕ぎを行う予定であった。
 十七号は、水中集魚灯を点じて集魚に当り、パースワイヤーが巻き締められて網の下辺が閉塞されたときに網の外に出て、次の漁場の探索を開始する予定であった。
 六号は、裏漕ぎ用として光洋丸側の左舷船首及び船尾から出されたそれぞれが直径22ミリメートル、長さ約32メートルの2本のワイヤーの端をブライドルに繋ぎ合わせた金具(以下「裏漕ぎ金具」という。)と、自船のえい航フックに取った直径55ミリメートル、長さ400メートルの裏漕ぎロープの端とを連結し、パースワイヤーの巻き締めから揚網を終了するまで、同船が反作用で網側に寄せられることを防ぐために、漁ろう長の指示に従って光洋丸の左舷側を裏漕ぎしていた。
 二十二号及び三十三号は、光洋丸の周辺で適当な間隔を保って漂泊待機し、網の魚捕部が揚がるころ、漁ろう長から指示のあった方が光洋丸の右舷側に接近して魚捕部の反対側の浮子綱及び網を舷側から甲板上に取り込み、この間はるかぜが運搬船の反対舷を裏漕ぎして光洋丸と運搬船の間隔を保持し、漁獲物を魚捕部から掬い上げて運搬船に取り込み、漁獲量によって水揚げ港が決められ、これに向かう予定であった。
(ケ)同船団各船及び漁具の当夜の操業における灯火の点灯状況
 はるかぜは、前部マスト灯、両色灯、船尾灯、紅色回転灯、操舵室の前後に500ワットの投光器及び同両舷に通路灯を点灯していた。
 十七号は、60ワットの連携した紅、白の全周灯2個、同じくマスト灯及び舷灯1対並びに40ワットの船尾灯を点灯していたほか、前部マストの中央後部に、ばくだん灯と称する500ワットの赤色全周灯1個を点じ、操舵室前面及び同後面に500ワットの投光器各3個並びに操舵室両舷に500ワットの傘付き集魚灯各4個をそれぞれ点じ、また、水中に600ワットの集魚灯16個を点灯していた。
 六号は、連携した紅、白の全周灯2個、マスト灯、舷灯1対及び船尾灯を点灯していたほか、前部マストの後部に500ワットの前示ばくだん灯1個を点じ、操舵室前面及び同後面に500ワットの投光器各1個並びに操舵室両舷に500ワットの傘付き集魚灯各4個を点灯していた。
 二十二号は、マスト灯1個、舷灯1対及び船尾灯を点灯していた。そして、F漁ろう長から網のセンターに寄れと指示があったとき、後部マストの前示ばくだん灯、操舵室前面の投光器及び甲板作業灯などを全部点灯した。
 三十三号は、マスト灯1個、舷灯1対及び船尾灯を点じたほか、操舵室両舷に500ワットの傘付き集魚灯各6個及び船尾部に作業灯2個をそれぞれ点灯していた。そして、F漁ろう長から二十二号に指示があったとき、後部マストの前示ばくだん灯及び前部マストの作業灯2個をそれぞれ点灯した。
 浮子綱には、これをほぼ4等分した間隔で3箇所に水面上の高さ30センチメートルの、乾電池を使用した点滅式標識灯を取り付けていた。
イ フンア ジュピター
(ア)船体構造等
 フンアジュピター(以下「フ号」という。)は、1984年に進水した船尾船橋型コンテナ専用船で、バウスラスター及び可変ピッチプロペラを有し、船首端から船橋楼前端まで81メートルで、船首楼後方に1番から5番までの貨物倉が設けられ、甲板上にコンテナを3段積みすることが可能であったが、当時は2番倉上に1個のコンテナが甲板積みされていた。
 航海船橋甲板は、満載喫水線からの高さが13.20メートルで、同甲板上に船首尾方向の長さ5.80メートル及び幅7.60メートルの操舵室が設けられており、同室内には、前面中央にジャイロコンパスのレピータ、その後方に操舵スタンドが備えられ、その右側に、右舷側より順に2号レーダー、1号レーダー、ARPA機能付きレーダー(以下、「ARPA」という。)が、同スタンドの左側に、エンジンテレグラフ、バウスラスター操作装置及び航海灯制御盤がそれぞれ配置され、後部右舷側に海図台、GPS受信機及びVHF送受信機がそれぞれ備えられ、同室両舷外側がウィングと称する暴露甲板となっていた。
 操舵室からの前方見通しは、同室内中央前面に立ったとき、船首部ブルワークによる死角があり、本件発生当時の喫水状態で、正船首の約170メートル先の水面までが死角に入る状況でそれ以外に死角はなく、同室を左右に移動することにより同死角を補うことができた。
(イ)操縦性能等
 フ号は、海上公試運転成績表によれば、最大速力が主機回転数毎分131、翼角27.9度において20.0ノット、同速力における最短停止距離及び時間が536メートル及び1分40秒で、舵角35度における左旋回の横距及び縦距が397メートル及び380メートルであり、右旋回の横距及び縦距が422メートル及び408メートルであった。
(ウ)運航形態等
 フ号は、釜山、広島港間を週に2回、釜山、舞鶴港あるいは敦賀港間の航海を週に1回の割合でコンテナ輸送に従事していた。
(エ)船橋当直体制
 船橋当直は、00時から04時まで及び12時から16時までをE指定海難関係人、04時から08時まで及び16時から20時までを一等航海士、08時から12時まで及び20時から24時までを三等航海士がそれぞれ当たる4時間3直制で、各直に操舵手1人を配して2人当直体制とし、D指定海難関係人は、狭視界時、狭水道通航時及び出入航時などに昇橋して操船指揮に当たっていた。
(オ)I社
 I社は、大韓民国ソウル市に本社を置き、約50隻のケミカルタンカー及びコンテナ専用船を運航するフ号の実質的な船舶所有者であり、かつ、同船の国際安全管理規則における船舶管理会社であり、D、E両指定海難関係人を雇用して同船に配乗していた。
 しかしながら、同社は、乗組員に対して見張りに関して注意を促していたものの、航行海域における漁船の操業形態及びその実態に関する、また、漂泊あるいは停止状態で操業する漁船の避航に関する指導啓蒙並びに当直基準の明確化を図っていなかった。

3 沖ノ島周辺における日本漁船の操業状況
 沖ノ島周辺海域は、好漁場が形成されるところであり、近年における漁船の操業状況は、まき網漁業に関しては、この海域での操業許可のある大中型まき網漁船が西部日本海区及び東海黄海海区を合わせると47船団あり、漁場形成によってはこの海域に全船団が集結することもあり、また、これに中型まき網漁業の船団も加わるので操業隻数は更に増える状況であった。いか一本釣り漁業に関しては、季節によっては、総トン数20トン未満の漁船が多数集結し、0.4ないし0.6海里の間隔で漂泊操業するところであり、沖合底引き網漁業に関しては、山口沖を許可された2そう引き14組が主体で、漁場形成によっては島根沖及び鳥取沖を許可された漁船などが、更に総トン数20トン未満の県条例許可漁船などが集まる状況であった。なお、本件発生当時においては、光洋丸船団のすぐ近くには操業中の漁船はいなかった。

4 事実の経過
 光洋丸は、A受審人、G船長及びF漁ろう長ほか18人が乗り組み、船首2.2メートル船尾4.4メートルの喫水をもって、操業の目的で、船尾端のストッパーにはるかぜの船首部を係止してえい航し、平成15年6月29日00時00分山口県下関漁港(本港地区)を灯船2隻と共に発し、途中で運搬船2隻と合流し、対馬東方沖合の漁場に至ってよこわを漁獲対象とした昼間の操業を2日間行ったのち、7月1日沖ノ島北東方沖合の漁場に移動して魚群探索をしたが好魚群に遭遇せず、夜間のあじを漁獲対象とした操業に切り替えることとし、14時ごろから船団の各船と共に錨泊待機した。
 18時ごろF漁ろう長は、抜錨し、船橋で船団の各船を指揮して魚群探索を開始したのち、2日01時ごろ集魚中であった十七号から魚群が付いた旨の報告を受け、同船に取り付いて操業をすることとし、探索中の他の各船にその旨を伝えた。
 光洋丸は、01時40分過ぎG船長及びA受審人が船橋当直に就き、H通信士が在橋してF漁ろう長を補佐し、航行中の動力船が表示する灯火及びトロール以外の漁ろうに従事していることを示す紅、白の全周灯を点灯したほか、後部マストに紅色回転灯1個、船橋回りに前部甲板及び中央甲板を照らす作業灯数個並びに主クレーンに3個の傘付き白色灯を点じたうえ、前部マストの下端後部にばくだん灯と称する500ワットの赤色全周灯1個を点じ、同船長の操船で十七号に接近し、同時45分同船の南西方約180メートルにあたる水深112メートルの、沖ノ島灯台から044度(真方位、以下同じ。)13.8海里の地点で、F漁ろう長の合図ではるかぜを切り離し、当夜の1回目の投網を開始した。
 これより先の投網準備のとき、G船長は、船橋にいるものを除く乗組員の全員が、ヘルメット、胸付き合羽ズボン及び上衣合羽に長靴の服装で甲板上に出ていたが、これらの乗組員に対して救命胴衣を着用するよう指示しなかった。
 F漁ろう長は、折からの海潮流の影響を受けて北東方に約0.6ノットで圧流される状況のもと、G船長の操船で、十七号を中心に約8ノットの速力で右回りに円を描くように、まき網及び浮子綱に連なる大手ワイヤーを船尾から繰り出し、01時50分ごろ前示投網開始地点に戻って行きあしを止め、船首が北北西に向いた状態ではるかぜから大手ロープなどを船首部の乗組員に受け取らせ、同ロープに連なる浮子綱を右舷船首部に取って固定させ、絞りロープ及びパースワイヤーの取り込みを行わせたのち、同時52分同ワイヤーをダビッドを介して船首側のパースウインチのドラムに導きその巻き締めの準備に掛からせた。
 このとき、六号は光洋丸の左舷側に接近して自船から出した長さ400メートルの裏漕ぎロープの端を光洋丸に渡し、同船で裏漕ぎ金具と連結させて西南西方に向けて航走し、裏漕ぎの準備に掛かった。
 G船長は、船首部右舷側に浮子綱が固定されたことを確認して、可変ピッチの翼角をわずかに後進側に操作して船首側の浮子綱の張り込みを行い、これに合わせて船尾側の大手ワイヤーの巻き込みが行われ、01時53分少し前大手側の浮子綱が右舷船尾端付近まで巻かれたのを確認して同ピッチを0度とし、機関のクラッチを脱としてプロペラの回転を止め、投網操船を終えた。
 01時53分F漁ろう長は、六号による裏漕ぎ及び自船のパースワイヤーの巻き込みをほぼ同時に開始させ、着底した沈子綱の絞り込みに掛かった。
 02時03分少し過ぎG船長は、船首が345度を向いていたとき、A受審人の報告により、エコートレイル機能に切り替えていた2号レーダーで左舷船首39度6.0海里のところにフ号の映像を初めて認め、このことをF漁ろう長に伝え、その後、同船に対する動静監視を続けたところ、その航跡が自船団に向かっていることを知った。
 02時11分少し前F漁ろう長は、フ号がほぼ同方位3.9海里に接近したとき、A受審人に船橋前部の上側にある前部甲板の全体を照射する投光器を点滅するよう指示し、同時13分フ号がほぼ同方位3.3海里に近付いたとき、運搬船の2隻に対し、大型船が近付いているので電灯を点けて網の近くに寄るよう指示した。
 A受審人は、漁ろう長の指示があった直後から、操舵室左舷後部の配電盤の前で後方を向いて座り、スナップスイッチを操作して同投光器の点滅を開始し、その後もその操作を続けた。 二十二号は、まき網の中心から北東方1海里ばかりで漂泊待機していたところ、漁ろう長の指示を聞き、法定灯火のほか、後部マストのばくだん灯、操舵室前面の投光器及び甲板作業灯などを全部点灯して半速力で南西進を開始した。
 このころ三十三号は、まき網の中心から南西方1,500メートルばかりで漂泊待機していたところ、フ号に先航する第三船がいたことから、法定灯火のほか、操舵室両舷の500ワットの集魚灯各6個及び船尾部の作業灯2個を点灯し、避航を促す目的で同船に向けてゆっくり北西進し、同船が避航し始めたので同網の中心の西南西方1海里ばかりのところで再び漂泊を開始した。
 02時14分少し過ぎG船長は、フ号がほぼ同方位3.0海里に、同時18分少し前には同じく2.0海里に接近し、白、白、紅、緑4灯をはっきり視認できるようになり、同船がその後も方位に明確な変化のないまま接近したが、A受審人が投光器の点滅を続けていたこともあって、探照灯で裏漕ぎロープを照射したり、六号に対しても同ロープを照射させたり、また、運搬船に、フ号に接航して同船に対し注意を喚起させるなどの措置をとらなかった。
 このころ、はるかぜは、光洋丸の左舷前方約60メートルのところで法定灯火のほか、紅色回転灯及び投光器などを点灯して船首を北北東方に向け漂泊待機していたところF漁ろう長から、フ号に網の存在を知らしめるために、浮子綱沿いに右回りで走るよう指示され、航走を開始した。
 02時23分G船長は、避航動作をとらないフ号に危険を感じ、同船が1,100メートルばかりに接近したとき、同船に向けて探照灯を照射し、同時にF漁ろう長が汽笛による短音を連吹して警告信号を行ったものの、同時23分半フ号が避航動作をとらずにわずかに右転したことを認め、自船に対して衝突の危険を生じさせたことを知ったが、自船が身動きのとれない状況にあってはどうすることもできず、探照灯の照射を続け、H通信士が同漁ろう長から汽笛の連吹を引き継いでこれを続けた。
 02時23分半F漁ろう長は、フ号が自船に対して衝突の危険を生じさせたことに驚き、投光器の点滅を続けていたA受審人に全ての投光器及び作業灯などを点灯するよう指示し、六号に対して、裏漕ぎロープを放すことを意味する「六号ストップ」の指示を出し、沈子綱が水深25メートルまで揚がっていたところで、パースワイヤーの巻き込みを中断させ、はるかぜに対してすぐに戻って船首部の浮子綱を引くよう指示した。
 六号は、無線のやり取りで他船の接近を知り、光洋丸の汽笛の吹鳴を聞いて、間もなく、自船の汽笛を吹鳴し、裏漕ぎロープをいつでも切断できるよう包丁を準備していたところ、F漁ろう長から「六号ストップ」の指示があったことから、船長が機関のクラッチを中立、続いて後進にかけたところで、乗組員が同ロープをえい航フックから外して舷外に投棄した直後、同ロープが右舷船尾方に飛び撥ねたのを認めた。
 はるかぜは、魚捕側の標識灯付近まで走り込んだとき、F漁ろう長から引き返すよう指示を受けて、反転しようとしたとき左舷後方にフ号を認め、同船に探照灯を照射しながら全速力で引き返し、光洋丸の右舷前方20メートルばかりのところで、浮子綱にフック付きロープを掛けて引こうとしたとき、同ロープに衝撃を受け、同フックを慌てて外した。
 光洋丸は、裏漕ぎロープが放たれたものの、依然、右舷側がパースワイヤーで、船首尾がそれぞれ浮子綱で固定されて身動きがとれない状況のもと、G船長、A受審人、F漁ろう長及びH通信士が、目前に迫ったフ号に対して汽笛の連吹、探照灯の照射及び投光器並びに作業灯など全ての灯火を点灯して避航を促し続けたが、及ばず、02時25分沖ノ島灯台から044度14.2海里の地点において、船首が345度を向き、その左舷中央やや後部に、フ号の船首が、前方から30度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風力3の北東風が吹き、視界は良好で、付近海域には北東方に流れる約0.6ノットの海潮流があった。
 また、フ号は、大韓民国国籍のD指定海難関係人及びE指定海難関係人ほか同国籍船員11人、中華人民共和国国籍船員3人が乗り組み、コンテナ貨物465.5トンを載せ、船首3.3メートル船尾6.1メートルの喫水をもって、同月1日21時45分大韓民国釜山港を発し、広島港に向かった。
 ところで、D指定海難関係人は、自船が日本の九州北部沖合から山陰沖合にかけての海域を航路とする運航形態をとっており、二等航海士に昇格して日が浅いE指定海難関係人に、00時から04時の深夜当直を任せていたものの、同人が前に日本に寄港する船舶に乗船した経験があるから大丈夫と考え、発航に先立ち、航行海域における漁船の操業形態やその実態についての啓蒙及び当直基準の明確化を図ったうえ、夜間、漂泊状態で操業する漁船群に遭遇したときは、これらに近付かないよう、予定針路から大きく外すことをためらわずに行うことなど、操業する漁船との衝突防止に関する指導を十分に行っていなかった。
 22時30分ごろD指定海難関係人は、釜山港沖で出航操船の指揮を終えたとき、自船が夜間操業する漁船が多数存在する沖ノ島北東方沖合を航行する予定であり、同海域における船橋当直を深夜当直の経験の浅いE指定海難関係人に任せることになっていたが、降橋する前に、漂泊あるいは停止状態で操業する漁船群を前方に認めたときは、遠距離にあるうちに双眼鏡を使用して十分な見張りを行い、密集状態であれば、早期に予定針路から大きく外すことなど、見張り及び操業する漁船群の避航に関する具体的な注意を夜間命令簿に記載するなり、前直の三等航海士に申し継ぎ事項として口頭で指示するなどして同指定海難関係人に伝達する措置をとることなく、間もなく降橋した。
 E指定海難関係人は、翌2日00時00分舌埼灯台から049度9.7海里の地点で、前直の三等航海士と交替し、操舵手と2人で船橋当直に就き、針路を126度に定め、機関を全速力前進にかけ、16.5ノットの対地速力で、折からの海潮流の影響により、2度ばかり左方に圧流されながら、自動操舵によって進行した。
 02時00分E指定海難関係人は、沖ノ島灯台から016度14.7海里の地点に達したとき、その前から船首方に漁船の灯火と思われる光芒を認めていたことから、ARPAを、6海里レンジとしてオフセンターにし、前方8海里までを探知できるようにして見たところ、前方7海里ばかりの、船首輝線のわずか左側に4隻と同輝線の右側に少し離れた1隻の映像を認めた。
 E指定海難関係人は、これらの映像の全部にベクトル表示が出ていなかったことや、右舷側の1隻と左舷側の4隻とが船首輝線を隔てて0.5海里ほどの間隔があるように見えたことから、漂泊して操業するいか釣り漁船と思い、その間を通航することとし、その後、時折目視で前方を見たり、双眼鏡を使用して前方を見たりしたものの、それぞれ一瞥するだけで、操舵室内を歩き回ったり、右舷側寄りの前部窓際で後ろ向きになって操舵手と会話したりしながら続航した。
 02時11分少し前E指定海難関係人は、沖ノ島灯台から029度14.1海里の地点に至り、正船首わずか右方3.9海里に紅色回転灯、赤色灯及び多数の作業灯を点じたうえ投光器の点滅を始めた光洋丸を、正船首わずか左方のほぼ同距離に集魚灯や作業灯を煌々と照らした十七号を、正船首少し右方のほぼ同距離に集魚灯や作業灯を明るく照らした六号を、光洋丸の船首方すぐ近くに紅色回転灯や投光器などを点灯して漂泊するはるかぜをそれぞれ視認でき、これらの4隻が至近距離で塊となっており、その間を航過できないことが分かる状況であったが、いか釣り漁船であるからある程度の間隔を空けて漂泊しているものと考え、双眼鏡を使用した見張りや、ARPAのレンジを近距離に切り替えて映像を見直し、レーダー情報と目視が一致するかどうかを確認するなどして、見張りを十分に行わなかったので、この状況に気付かなかった。
 その後、E指定海難関係人は、時折前方を見ていたものの、光洋丸や六号の灯火が十七号ほど煌々と照らされた明るさではなかったことから、一瞥しただけで船首方付近で支障となる漁船は明るい十七号の1隻だけで、その右方に見える灯火は距離が少し離れて操業するいか釣り漁船だろうと思いながら、同じ針路及び速力で進行した。
 02時18分少し前E指定海難関係人は、沖ノ島灯台から036度14.1海里の地点に達したとき、正船首わずか右方2.0海里のところに、光洋丸の連携した紅、白2灯及び白、紅2灯ほか作業灯を視認できるようになり、同船が投光器の点滅を続けているのを認め得る状況であり、そのすぐ左方にはるかぜの白、紅2灯ほか紅色回転灯及び投光器などを、正船首わずか左方の同距離に、十七号の連携した紅、白2灯及び白、紅2灯ほか煌々と照らした甲板上の集魚灯を、右舷船首約5度のほぼ同距離に六号の連携した紅、白2灯及び白、緑2灯ほか明るく照らした集魚灯をそれぞれ視認でき、これらの4隻が自船の進路を塞ぐ形で横に並び、光洋丸、十七号及び六号がトロール以外の漁法により漁ろうに従事していることや、接近するにつれて、これらが停止状態であることが分かり、このまま直進できない状況であった。しかし、同指定海難関係人は、依然として当初のレーダー情報のみに頼り、双眼鏡を使用したうえ、ARPAのレンジを近距離に切り替えて、レーダー情報と目視が一致するかどうかを確認して、見張りを十分に行わなかったので、この状況に気付かず、更に接近したとき、はるかぜが北ないし北東方に向いて航走し始めたことにも気付かなかった。
 E指定海難関係人は、大きく転舵するなどしてこれらの漁ろうに従事中の3隻及び漁具の存在を示すはるかぜを避けないまま続航中、02時23分沖ノ島灯台から041度14.2海里の地点で、前示3隻まで約1,100メートルとなったとき、ようやく前方を見てレーダー情報で得ていた漁船群の配置とは異なるように感じたことや、光洋丸から探照灯で照らされて船橋周辺が明るくなったことから、ふと、ARPAを初めて近距離に切り替えて見たところ、船首輝線に重なった2個の映像を認めたものの、速やかに操舵手を手動操舵に就け、前方の各船の配置を目視確認してこれらを避航するための操舵号令を出すなど、緊急時の操船指揮をとらなかった。
 02時23分半少し前E指定海難関係人は、沖ノ島灯台から042.5度14.2海里の地点に達したとき、自らが自動操舵のまま針路を135度に転じたところ、光洋丸に向首し、衝突の危険を生じさせたが、このことに気付かず、ARPAのデータ表示を見ようとして十七号とはるかぜの映像をこれに捕捉させ、速力が4ノットと表示されたはるかぜに対し、シグナルライトで信号を送っていたところ、同時25分わずか前、眼前に光洋丸を初めて認め、慌てて、手動操舵に就いていた操舵手に右舵一杯を令したが、効なく、フ号は原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 D指定海難関係人は、自室で就寝中に衝突の衝撃を感じて昇橋し、E指定海難関係人より漁船と衝突した旨の報告を受け、事後の措置に当たった。
 衝突の結果、光洋丸は、左舷中央やや後部及び後部外板に破口を生じ、右舷側に横転して破口等より浸水し、浮力を喪失して沈没し、乗組員全員が海中に投げ出され、フ号は、球状船首等に凹損及び破口を生じた。

5 光洋丸乗組員の救助状況
 光洋丸船団では、直ちに、はるかぜ、六号、十七号、二十二号及び三十三号によって救助作業が行われたが、G船長(五級海技士(航海)免状)、F漁ろう長、甲板長J、操機長K、機関員L及び調理員Mの6人が行方不明となり、A受審人ほか14人が救助されて下関漁港に運ばれたものの、網長Nが溺水により死亡し、乗組員8人が骨折、打撲等の傷を負った。

6 I社が本件後にとった事故防止策
 I社は、同社が管理する全船舶に、事故速報として今回の海難の概要、原因及び防止措置について記載した書面を送付して周知を図ったうえ、本件海難及び衝突予防法に関する船上訓練の実施とその実施報告書を提出するよう指示した。

(航法の適用)
 本件は、夜間、沖ノ島北東方沖合において、まき網漁業による漁ろうに従事中の光洋丸と釜山港から関門海峡に向けて東行中のフ号とが衝突したもので、漁ろうに従事中の船舶と航行中の動力船との衝突であり、海上衝突予防法第18条の規定が適用される。

(発生に至った事由)
1 光洋丸
(1)光洋丸が四方を固められて身動きがとれなかったこと
(2)光洋丸が機関のクラッチを脱としてプロペラの回転を止めていたこと
(3)G船長が探照灯で裏漕ぎロープを照射したり、六号に対しても同ロープを照射させたり、また、運搬船に、フ号に接航して同船に対し注意を喚起させるなどの措置をとらなかったこと
2 フ号
(1)D指定海難関係人がE指定海難関係人に対して、漁船の操業形態やその実態についての啓蒙及び当直基準の明確化を図らず、操業する漁船との衝突防止に関わる指導を十分に行っていなかったこと
(2)D指定海難関係人が深夜当直の経験の浅いE指定海難関係人に対して、漂泊あるいは停止状態で操業する漁船群を前方に認めたときは、遠距離にあるうちに双眼鏡を使用して十分な見張りを行い、早期に避航することなど、見張りと避航に関する具体的な注意を伝達する措置をとっていなかったこと
(3)E指定海難関係人がレーダー映像を見て、右舷船首方の1隻と左舷船首方の4隻とが0.5海里ぐらい離れており、しかも全船が止まっていたのでその間を十分通り抜けられると思ったこと
(4)E指定海難関係人が光洋丸船団を対馬海峡付近で見たいか釣り漁船の明かりに似ていたのでいか釣り漁船と思ったこと
(5)E指定海難関係人が双眼鏡を使用したうえ、ARPAのレンジを近距離に切り替えて、レーダー情報と目視が一致するかどうかを確認するなどして、見張りを十分に行わなかったこと
(6)E指定海難関係人が漁ろうに従事中の光洋丸船団の3隻、また、はるかぜ及び漁具を避けなかったこと
(7)E指定海難関係人が光洋丸船団まで1,100メートルとなったとき、速やかに操舵手を手動操舵につけ、前方の各船の配置を目視確認してこれらを避航するための操舵号令を出すなど、緊急時の操船指揮をとらなかったこと
(8)E指定海難関係人が同船団の至近で転舵して光洋丸に向首したこと
(9)E指定海難関係人が針路を135度に転じたのち、十七号とはるかぜの映像のデータ表示を見ようとしてARPAを操作したこと

(原因の考察)
 光洋丸は、事実認定のとおり、十七号及び六号とともにまき網漁業による漁ろうに従事中で、停止状態であり、一方、フ号は、関門海峡西口に向け東行中であった。 海上衝突予防法第18条により、フ号は避航船の立場にあったから、大きく転舵するなどして光洋丸、十七号及び六号の3隻を避けなければならなかった。フ号が、見張りを十分に行っていれば、前方に存在するこれらの3隻がトロール以外の漁法により漁ろうに従事中であることを早期に認めることができ、その後動静を監視していれば、これらが至近距離の間隔で停止状態にあることが分かり、また、光洋丸に3.9海里まで接近したとき、同船が船橋前部の投光器の点滅を開始したのであるから、これを視認することで、同船が自船に対して注意喚起をしていることが分かり、余裕をもってこれらを避けることが可能であった。そして、更に接近したとき、はるかぜの付近海面上に点滅灯を認めることができ、同船の動きや同点滅灯の状況から、はるかぜが自船に対して漁具の存在を示すための注意喚起をしていることが分かり、はるかぜ及び漁具をも避ける措置をとることが可能であった。そして、前述の3隻、はるかぜ及び漁具を避けるための措置をとることを妨げる要因は何ら存在しなかったものと認められ、かかる、E指定海難関係人が十分な見張りを欠いたこと及び停止状態の漁船群に接近したことは、D指定海難関係人が操業する漁船との衝突防止に関わる指導を十分に行っていなかったこと、及び降橋するとき、漁船群を前方に認めたときの見張りと避航に関する具体的な注意を伝達する措置をとっていなかったことによるものと認められる。
 一方、光洋丸は、漁ろうに従事中であり、当時、船首尾を浮子綱、右舷側をパースワイヤー及び左舷側を裏漕ぎロープで固められて身動きがとれない状況であったから、接近するフ号に対して注意喚起信号や警告信号を行って避航を促す措置をとるべきであった。光洋丸は、レーダーによりフ号の映像を6.0海里に認め、その動静を監視していたところ、同船に避航の様子が見られず、3.9海里に接近したとき、同船に対し船橋前部の投光器の点滅を開始してその後も注意を喚起し、その後フ号が3.0海里、2.0海里に、そして更に接近しても同船が、依然避航の様子を見せないことを認めたとき、自船の探照灯で裏漕ぎロープを照射したり、六号に対しても同ロープを照射させたり、また、運搬船に、フ号に接航して同船に対し注意を喚起させるなどの措置をとらずに、衝突の2分前、フ号が約1,100メートルに迫ったとき、警告信号を開始して衝突するまで続けたものであり、光洋丸が、自船の探照灯で裏漕ぎロープを照射したり、六号に対しても同ロープを照射させたりしてフ号に対して注意を喚起していれば、同船が光洋丸と六号がロープで繋がっていることを視認でき、いか釣り漁とは違う漁法で漁ろうに従事していることを早期に判断でき、また、光洋丸の船長が、運搬船に、フ号に接航して同船に対して注意を喚起させるなどの措置をとっていれば、フ号が光洋丸の船団に気付き、そのままの針路で進行することを阻止することが可能であり、その措置をとることを妨げる要因は何ら存在しなかったものと認められる。
 したがって、D指定海難関係人が、E指定海難関係人に対して、漁船の操業形態やその実態についての啓蒙及び当直基準の明確化を図らず、操業する漁船との衝突防止に関する指導を十分に行っていなかったこと、降橋するとき、漂泊あるいは停止状態で操業する漁船群を前方に認めたときは、遠距離にあるうちにレーダーや双眼鏡を使用して十分な見張りを行い、早期に避航することなど、見張りと避航に関する具体的な注意を伝達する措置をとっていなかったこと、E指定海難関係人が、双眼鏡を使用したうえ、ARPAのレンジを近距離に切り替えて、レーダー情報と目視が一致するかどうかを確認するなどして、見張りを十分に行わなかったこと、漁ろうに従事中の光洋丸船団を避けなかったこと及び同船団の至近で転針して光洋丸に向首したことは本件発生の原因となる。
 E指定海難関係人が、光洋丸船団まで約1,100メートルとなったとき、速やかに操舵手を手動操舵に就け、前方の各船の配置を目視確認してこれらを避航するための操舵号令を出すなど、緊急時の操船指揮をとらなかったこと、及び針路を135度に転じたのち、十七号とはるかぜの映像のデータ表示を見ようとしてARPAを操作したことは、船橋当直を預かる航海士の行動としては是認できないところであるが、同指定海難関係人がここに至るまでに、見張りを十分に行っていれば、前方の光洋丸船団の展開状況から、早期に避航動作をとったものと認められ、原因とするまでもない。しかし、この時点において、大舵角の転舵をしておれば、同船団を避航できる距離にあったことでもあり、このことは、海難防止の観点から是正されるべきである。
 E指定海難関係人が、レーダー映像を見て、右舷船首方の1隻と左舷船首方の4隻とが0.5海里ぐらい離れており、その間を十分通り抜けられると思ったこと、及び光洋丸船団を対馬海峡付近で見たいか釣り漁船の明かりに似ていたのでいか釣り漁船と思ったことは、見張りが不十分になった理由とはなるものの、原因とするまでもないが、今後、この経験を生かし見張りの重要性について十分に配慮し、レーダーで前方に漂泊あるいは停止状態で操業する漁船群を認めたときは、双眼鏡を使用して十分な見張りを行い、レーダー情報と目視が一致するかどうかを確認し、密集状態であれば、十分な余裕のあるときに予定針路から大きく外すことなど、漁船との衝突を防止する安全意識の高揚が求められるところである。
 光洋丸の船長が、自船の探照灯で裏漕ぎロープを照射したり、六号に対しても同ロープを照射させたり、また、運搬船に、フ号に接航して同船に対し注意を喚起させるなどの措置をとらなかったことは、本件発生に至る過程において関与した事実であるが、光洋丸は、フ号が3.9海里に接近したときから衝突に至るまで、船橋前部の投光器の点滅を続けて同船に対して注意を喚起しており、それにも関わらず本件が発生したものであり、E指定海難関係人が前述のとおり目視による見張りを十分に行っていない状況では、そのような注意喚起をしても気付かない可能性があり、本件衝突と相当な因果関係があるとは認められない。しかし、このことは、まき網漁業の操業形態を知らずに接近する船舶に対しては、早期にその形態を知らしめることが必要であり、海難防止の観点から是正されるべき事項である。
 次に、光洋丸が四方を固められて身動きがとれなかったこと、及び機関のクラッチを脱としてプロペラの回転を止めていたことは、本件発生に至る過程において関与した事実であるが、まき網漁業においては、網船がパースワイヤーの巻き込み開始から揚網を完了するまでの間は漁法上から、また、可変ピッチプロぺラ装備船においては、プロペラの絡網防止のため必然的にこの状態を続けねばならないことであり、本件衝突と相当な因果関係があるとは認められず、原因とはならない。しかし、このような状況のときは、海難防止の観点から、警告信号を早期に行うことや注意喚起信号を最も有効な方法で行うことが求められる。

(海難の原因)
 本件衝突は、夜間、沖ノ島北東方沖合において、関門海峡に向けて東行するフ号が、見張り不十分で、停止状態でまき網による漁ろうに従事中の光洋丸船団を避けずに進行し、同船団の至近において光洋丸に向け転針したことによって発生したものである。
 なお、光洋丸において、多数の乗組員が行方不明となったのは、同乗組員が救命胴衣を着用していなかったことによるものである。
 フ号の運航が適切でなかったのは、船長が、深夜当直の経験の浅い二等航海士に対して、航行海域における漁船の操業形態やその実態についての啓蒙及び当直基準の明確化を図らず、漁船との衝突防止に関わる指導が不十分であったこと、降橋する際、同航海士に見張りや操業する漁船群の避航に関する具体的な注意の伝達措置が不十分であったこと、及び同航海士の見張りが不十分であったことによるものである。

(受審人の所為)
 D指定海難関係人が、二等航海士に昇格して日が浅いE指定海難関係人に、00時から04時の深夜当直を任せる際、航行海域における漁船の操業形態及びその実態についての啓蒙並びに当直基準の明確化を図り、夜間、漂泊あるいは停止状態で操業する漁船群に遭遇したときは、これらに接近しないように予定針路から大きく外すことをためらわずに行うことなど、漁船との衝突防止に関わる指導を十分に行っていなかったことは、本件発生の原因となる。
 D指定海難関係人に対しては、海難審判法第4条第3項の規定により勧告する。
 E指定海難関係人が、夜間、福岡県沖ノ島北東方沖合を関門海峡に向けて東行中、レーダーで前方に漂泊あるいは停止状態の漁船群の映像を認めた際、レーダーのレンジを適宜近距離に切り替えて的確な情報としたうえ、双眼鏡を使用した見張りで、レーダー情報と目視が一致するかどうかの確認を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
 E指定海難関係人に対しては、海難審判法第4条第3項の規定により勧告する。
 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図1

参考図2
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参考図3
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参考図4
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参考図5
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参考図6
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