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 海難審判庁採決録 >  2004年度(平成16年) > 乗揚事件一覧 >  事件





平成15年那審第63号
件名

漁船第八天松丸乗揚事件

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成16年6月24日

審判庁区分
門司地方海難審判庁那覇支部(小須田 敏、杉崎忠志、加藤昌平)

理事官
平良玄栄及び熊谷孝徳

受審人
A 職名:第八天松丸船長 操縦免許:小型船舶操縦士

損害
船底外板に破口を生じ、のち廃船処理

原因
船位確認不十分

主文

 本件乗揚は、船位の確認が十分でなかったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年6月27日19時50分
 沖縄県石垣島南岸沖(東ノ瀬)
 
2 船舶の要目
船種船名 漁船第八天松丸
総トン数 11トン
登録長 14.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 242キロワット

3 事実の経過
(1)第八天松丸
 第八天松丸(以下「天松丸」という。)は、昭和49年7月に進水し、最大とう載人員が4人、従業制限が小型第1種の延縄漁業(はえなわぎょぎょう)などに従事するFRP製漁船で、上甲板上には船首側から順に、船首甲板、前部甲板、船室、操舵室及び船尾甲板を配していた。また、航海計器として、船室内前部に無線方位測定機、無線機及び磁気コンパスなどを、同室内後部にGPSプロッタ兼魚群探知機及びレーダーなどをそれぞれ置き、操舵室に主機遠隔操縦装置と舵輪を設けるとともに、遠隔操舵装置として遠隔管制器を備えていた。
(2)受審人A
 A受審人は、昭和59年に転職して漁船に乗り組むようになり、同62年7月に一級小型船舶操縦士の免許を取得したのち、八重山漁業協同組合に所属するまぐろ漁船などの船長職を務めていたところ、天松丸の所有者から運航を依頼され、平成15年6月23日に船長として同船に乗り組んだものであった。
(3)本件発生に至る経緯
 天松丸は、A受審人ほか3人が乗り組み、まぐろ延縄漁の目的で、船首0.6メートル船尾1.3メートルの喫水をもって、平成15年6月23日18時00分沖縄県石垣港内にある石垣漁港を発し、石垣島南東方約76海里の漁場に至って操業したのち、同月27日07時00分同漁場を発進して帰途に就いた。
 ところで、石垣漁港を基地とする漁船は、石垣島南東方にある漁場の往復航時に、同島南岸から竹富島東岸に達する東ノ瀬と称する干出さんご礁帯の切れ間に設けられた釜口と称する開発保全航路(以下「釜口水路」という。)を航行することが常であった。
 また、A受審人は、数多く釜口水路を航行していたことから、同水路入口の側端から南方に拡延する東ノ瀬について承知しており、前示漁場から釜口水路に向けて接近するときには、同瀬に著しく接近することがないよう、専ら同水路の入口を示す石垣港登野城第1号灯標(以下、灯標の呼称については「石垣港」を略す。)及び同第2号灯標(以下、両灯標を総称して「釜口水路入口灯標」という。)を目指すようにしていたものの、釜口水路周辺に顕著な建造物があることも知っていた。
 A受審人は、発進したのち、豊富な経験を有する甲板員1人と3時間交替でそれぞれ単独の航海当直にあたることとし、16時00分登野城第2号灯標から144.5度(真方位、以下同じ。)23.1海里の地点で、同甲板員から当直を引き継ぎ、いつものように釜口水路入口灯標を目指すつもりで針路を323度に定め、機関を全速力前進にかけて6.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で自動操舵により進行した。
 A受審人は、その後左舷船首方から夕日を受ける状況となり、船首方の物標などを見定めることができないまま、釜口水路入口に近づくころとの判断から、19時20分遠隔操舵装置に切り替え、遠隔管制器を携えて操舵室から船尾甲板右舷側に移動したとき、登野城第2号灯標から154度3.2海里の地点に達していたが、そのうち釜口水路入口灯標が正船首方に見えてくるものと思い、岸線などを表示させていたGPSプロッタやレーダーを見るなどして船位の確認を十分に行わなかったので、このことに気付くことなく続航した。
 A受審人は、その後なかなか船首方に釜口水路入口灯標を視認することができないため、次第に不安を感じるようになり、日没後の19時43分わずか過ぎ一旦機関を停止したのち、ゆっくりと右旋回しながら北西方に目を向けて同灯標を探したものの、依然としてGPSプロッタやレーダーを見るなり、釜口水路周辺にある顕著な建造物を利用するなどして船位の確認を十分に行わなかったので、釜口水路入口灯標の南方約1海里の地点に達していたことに気付かなかった。
 A受審人は、折からの風潮流により東方に圧流されたものと考え、西方に移動しながら釜口水路入口灯標を探すこととし、海水の変色状況から浅礁域の存在を判断することが困難な状況下、見張りの補助として船首甲板に甲板員を立たせ、19時46分少し前登野城第2号灯標から181度1.0海里の地点で、270度に針路をとり、機関を微速力前進にかけて3.0ノットの速力で進行した。
 A受審人は、19時50分わずか前船首甲板にいた甲板員の叫び声を聞き、あわてて右舵一杯にとったものの及ばず、天松丸は、19時50分登野城第2号灯標から191度1,900メートルの地点において、船首が315度に向いたとき、同じ速力のまま、東ノ瀬東端部に乗り揚げた。
 当時、天候は晴で風力4の南南西風が吹き、潮候は下げ潮の初期にあたり、日没時刻は19時36分であった。
 A受審人は、直ちに機関を停止して事後の措置にあたり、天松丸は、翌々29日来援した引船によって引き下ろされ、石垣港に曳航された。
 乗揚の結果、船底外板に破口を生じ、のち廃船処理された。

(原因)
 本件乗揚は、沖縄県石垣島南岸沖において、同島南岸にある釜口水路に向けて接近する際、船位の確認が不十分で、日没後の薄明時、同水路入口の側端から南方に拡延する東ノ瀬に向首進行したことによって発生したものである。
 
(受審人の所為)
 A受審人は、沖縄県石垣島南岸沖において、同島南岸にある干出さんご礁帯の切れ間に設けられた釜口水路に向けて接近する場合、同水路入口の側端から南方に拡延する東ノ瀬に向首進行することのないよう、船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、釜口水路入口灯標を目指すつもりで定針したことから、そのうち同灯標が正船首方に見えてくるものと思い、GPSプロッタやレーダーを用いるなどして船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により、日没後の薄明時、釜口水路入口灯標の沖に達していたことに気付かないまま東ノ瀬に向首進行して乗揚を招き、船底外板に破口を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。





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