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平成15年那審第30号
件名

貨物船デァ ソン サン乗揚事件

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成16年2月25日

審判庁区分
門司地方海難審判庁那覇支部(小須田 敏、坂爪 靖、上原 直)

理事官
平良玄栄

指定海難関係人
A 職名:デァ ソン サン船長

損害
船底外板に凹損、左舷推進器翼に曲損及び舵板が脱落

原因
水路調査不十分

主文

 本件乗揚は、水路調査が十分でなかったことによって発生したものである。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年1月30日17時50分
 沖縄県金武中城港内
 
2 船舶の要目
船種船名 貨物船デァ ソン サン
総トン数 1,543トン
登録長 87メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,470キロワット

3 事実の経過
(1)デァ ソン サン
 デァ ソン サン(以下「デ号」という。)は、1968年に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のB造船所で建造された船尾船橋型貨物船で、2機2軸を備え、航海速力約9ノット、最短停止距離約500メートル、旋回径約300メートルの操縦性能を有し、航海計器としてレーダー2基、GPS及び音響測深機などを、通信設備としてVHF無線電話(以下「VHF」という。)及びテレックス通信(以下「テレックス」という。)などをそれぞれ装備していた。
(2)指定海難関係人
 A指定海難関係人は、1985年に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の水産大学航海科を卒業し、同国海軍に服務したのち、外航貨物船に航海士として乗船し、1998年に総トン数500トンないし3,000トンの船舶に船長として乗船できる同国発行の海技免許を取得し、翌年12月からデ号の船長職を執るようになった。
(3)C社
 C社(以下「C」という。)は、沖縄県石川市に所在し、VHF及びテレックスを所有して主に船舶の曳航業務及び船舶代理店業務を行っていたところ、平成15年1月24日夕刻デ号の日本国内総代理店から、同船の金武中城港寄港に際しての代理店業務を依頼され、同月30日前受金の振込みを確認し、これを引き受けることとした。
 同社は、前示総代理店からデ号が初めて金武中城港に入港することを知らされたものの、海図及びきょう導の手配などは依頼されていなかった。
(4)金武中城港
 金武中城港は、沖縄県沖縄島東岸にある金武岬と同島南東岸にある知念岬との間に点在する津堅島及び久高島などの島々と、それらに沿って拡延する干出さんご礁帯とによって外洋と隔てられた中城湾及び金武湾を港の区域としており、中城湾北部には、2千ないし4万載貨重量トンの貨物船を対象とした公共岸壁を有する中城湾新港が築造されていた。
(5)中城湾新港沖
 中城湾新港に入港する大型船は、久高島の西側にある幅約0.5海里、水深約40メートルの久高口、又は、津堅島の南側にある幅約2海里、水深約55メートルの二ツ口と称する水路のいずれかを通って中城湾に入ったのち、同湾南東部にある水深約37メートルの検疫錨地、又は、同港港口の南南東方2.9海里のところに存在する平曽根と称する干出さんご礁域の北部に設けられた平曽根灯台の北方約0.8海里にあたる、水深20メートル付近に仮泊することが多かった。
 中城湾新港沖には、干出さんご礁を含む浅所域(以下「新港沖浅所域」という。)が平曽根灯台の南方1.0海里の地点から北西方に向けて拡延していたものの、同灯台のほかに、その存在を示す標識がなかったことから、同港沖に向かう船舶は、予め海図W228B(中城湾、縮尺4万分の1、以下「港泊図」という。)にあたり、同浅所域の拡延状況及び航路標識の所在を確認するなど、水路調査を十分に行う必要があった。
(6)デ号及びCの通信模様
 Cは、1月24日前示総代理店から知らされていたデ号のテレックス番号あてに、代理店契約の進捗状況を送信したところ、翌々26日になってその着信を確認することができた。
 A指定海難関係人は、前示テレックスを受信したのち、なぜかCとテレックスによる通信が行えなかったことから、第十一管区海上保安本部通信所(以下「通信所」という。)とVHFで適宜交信していた。
 Cは、1月30日10時12分前示テレックス番号あてに、岸壁まで誘導する小型船との会合地点として中城湾新港の港口沖にあたる、平曽根灯台から004度(真方位、以下同じ。)1,430メートルの地点(以下「新港港口沖」という。)を緯度経度で示すとともに、無線検疫など入港に際しての諸手続及び自社のテレックス番号などを送信したものの、その着信を確認することができなかったので、通信所に同会合地点の伝言を依頼した。
 A指定海難関係人は、11時40分通信所から前示会合地点として新港港口沖を緯度経度で示され、金武中城港に向かうようにと伝えられた。
 Cは、知らされていた番号と異なるテレックス番号がデ号の検疫前の通報に記載されていたことから、その番号あてに、14時47分検疫錨地と新港港口沖をそれぞれ緯度経度で示し、そのいずれかに仮泊するよう送信したものの、その後中城海上保安署から周囲に障害物などがない検疫錨地での仮泊を要請されたため、16時50分検疫錨地への仮泊指示を送信したところ、いずれも着信を確認することができた。
 一方、A指定海難関係人は、なぜかこれらCからのテレックスを受信しておらず、新港港口沖に仮泊するつもりで、17時15分通信所に仮泊地到着予定時刻が18時00分となった旨の報告をしたとき、指示された仮泊地を承知しているかと問いかけられたものの、新港港口沖を再確認しているものと思い、これに返答しなかった。
 Cは、17時40分中城海上保安署からデ号が中城湾内を北上している旨の連絡を受け、同船に対してVHFで検疫錨地を緯度経度で示し、そこに仮泊するよう改めて指示したところ、18時20分通信所からデ号の乗揚を知らされ、19時頃同船との交信でその事実を確認した。
(7)本件発生に至る経緯
 デ号は、A指定海難関係人ほか25人が乗り込み、空倉のまま、船首2.3メートル船尾5.5メートルの喫水をもって、平成15年1月23日16時00分(日本標準時)台湾高雄港を発した。
 A指定海難関係人は、高雄港を発航したのちに中城湾新港への寄港を本社から指示され、代理店としてCが当たることを知らされていたが、同月26日Cからのテレックスで代理店契約が未だ交わされていないことを知り、沖縄県粟国島沖合の領海外で漂泊し、Cからの指示を待つこととした。
 ところで、A指定海難関係人は、中城湾新港への寄港が初めてであったばかりか、手持ちの海図W182B(奄美大島至沖縄島、縮尺50万分の1)では、中城湾内の情報が著しく乏しいため、入湾することに不安を感じていたが、Cに連絡がとれる状況となってから港泊図を手配することとし、入湾前に、同社に同図の入手、又は、中城湾内のきょう導を依頼するなどの措置を講じなかった。
 こうして、A指定海難関係人は、同月30日11時40分通信所からVHFで金武中城港に向かうよう伝えられたので、直ちに粟国島沖合を発進するとともに、沖縄島南端の喜屋武埼沖から同島南東岸に沿って北東進したのち、二ツ口を通って新港港口沖を目指し、そこに仮泊するつもりで、通信所に同沖の到着予定時刻を20時00分と報告した。
 Cは、デ号の新港港口沖到着予定時刻が日没後であることを通信所経由で知り、同船に対してテレックスで、14時47分仮泊の場所として検疫錨地と新港港口沖を示して送信し、その後中城海上保安署からの要請を受け、16時50分検疫錨地に仮泊するよう送信したところ、着信の確認がとれたため、デ号が検疫錨地に向かうものと判断した。
 一方、A指定海難関係人は、中城湾内の水路状況に不案内であったばかりか、なぜかCからの前示テレックスを受信していなかったため、検疫錨地の場所も、そこに仮泊するように指示されたことも知らないまま、16時51分中城湾の南側に位置する久高島の沖合に差し掛かったとき、折から久高口を南下する台船を曳いた引船を認めたため、二ツ口からの入湾予定を変更し、近道となる久高口を通って新港港口沖に向かうこととした。
 A指定海難関係人は、久高口を北上したのち、16時59分久高島灯台から261度1,000メートルの地点で、針路を津堅島中央部に向けて031度に定め、機関を全速力前進にかけ、9.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で手動操舵により進行し、17時14分わずか過ぎGPSで船位を確認したところ、新港港口沖の南方にあたる平曽根灯台から172度4.6海里の地点にいることを知り、同沖に向けて354度に転じて続航し、同時15分通信所に仮泊地到着予定時刻の変更を通報した。
 転針したとき、A指定海難関係人は、正船首わずか左に平曽根灯台を視認する状況となったので、同灯台が新港港口沖付近を示すものと考えたばかりか、船首方に新港沖浅所域が拡延していることも知らないまま、その後投錨に備えて船首配置に一等航海士と甲板手を、船橋配置に副船長、三等航海士及び甲板手をそれぞれ就けて進行した。
 A指定海難関係人は、17時38分わずか過ぎ新港沖浅所域の南東端付近にあたる、平曽根灯台から165度1,700メートルの地点に差し掛かったとき、右舷前方から接近する他船を避けるつもりで、針路を344度に転じたことにより、同浅所域内に進入する態勢となって続航した。
 Cは、VHFの通信範囲内にデ号が到達したころを見計らって交信するつもりでいたところ、中城海上保安署から同船が既に中城湾内を新港港口沖に向けて北上していることを知らされ、17時40分デ号に検疫錨地に仮泊するようVHFで改めて指示した。
 A指定海難関係人は、平曽根灯台から165度1,250メートルの地点に達したとき、Cから検疫錨地への仮泊を指示されたため、左転して検疫錨地に向かうこととし、左舵一杯及び微速力前進を令して旋回中、デ号は、17時50分平曽根灯台から211度1,800メートルの地点において、200度に向き、3.0ノットの速力となったとき、浅礁に乗り揚げた。
 当時、天候は晴で風力3の北風が吹き、潮候はほぼ高潮時で日没時刻は18時10分であった。
 乗揚の結果、船底外板に凹損、左舷推進器翼に曲損及び舵板の脱落をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。
(8)乗揚後の措置
 A指定海難関係人は、直ちに船体の損傷状況及び流出油の有無を確認させるとともに、乗揚地点をGPSで確認し、事後の措置に当たった。
 Cは、18時20分通信所からデ号が乗り揚げたようだとの連絡を受け、直ちにVHFで同船との交信を試みたものの、19時ごろデ号から乗揚の事実と油の流出はない旨の報告を受け、事後の措置に当たった。

(原因)
 本件乗揚は、沖縄県金武中城港内の中城湾新港に向かう際、水路調査が不十分であったことによって発生したものである。
 
(指定海難関係人の所為)
 A指定海難関係人が、沖縄県金武中城港内の中城湾新港に向かう際、初めての寄港であったから、中城湾新港の港口沖に拡延する浅所域に乗り揚げることのないよう、大縮尺の海図W228Bを入手し、同浅所域の拡延状況及び航路標識の所在を確認するなど、水路調査を十分に行わなかったことは本件発生の原因となる。
 A指定海難関係人に対しては、水路調査が不十分であったことを深く反省し、その必要性を再認識したことなどに徴し、勧告するまでもない。

 よって主文のとおり裁決する。





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