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平成14年横審第119号
件名

自動車運搬船フアル ヨーロッパ乗揚事件

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成16年2月6日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(大本直宏、黒田 均、西山烝一、上原陽一、小林弘明)

理事官
松浦数雄

指定海難関係人
A 職名:フアル ヨーロッパ船長

損害
全損、燃料油タンクの重油などが流出、周辺海域に漁業被害

原因
台風情報に対する解析不十分、荒天避難措置不適切

主文

 本件乗揚は、大型で非常に強い台風が東京湾に接近する状況下、台風情報に対する解析が不十分で、早期に荒天避難する措置がとられず、避難海域に向け航行中、増勢する波浪により、機関の制御ができずに操船不能の状態に陥り、圧流されたことによって発生したものである。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成14年10月1日19時00分
 伊豆諸島大島
 
2 船舶の要目
船種船名 自動車運搬船フアル ヨーロッパ
総トン数 56,835トン
全長 199.90メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 14,312キロワット

3 事実の経過
(1)船体構造等
 フアル ヨーロッパ(以下「フ号」という。)は、2000年9月22日に大韓民国で進水し、同年12月に就航したロールオンロールオフ式の船首船橋型自動車運搬船で、B&W7S60MCと称するディーゼル機関を装備し、航海速力は約20ノットで、ノルウェー王国のデットノルスケ ベリタスの船級を有し、2001年11月ドイツ連邦共和国ブレーマーハーフェンにおいて、年次船級検査が実施され勧告は付されていなかった。
 フ号は、船体上部から順に、船橋甲板、A甲板(乗組員居住区)、No.12甲板、同甲板下に4個の可動式甲板を含む計11層の車輌甲板を有し、船首から順に、No.6甲板下と船底間(以下、船底間は変わらないので省略する。)に船首水槽、No.5甲板(フリーボード甲板)下にNo.1深水槽、No.3甲板下にNo.2深水槽、No.1甲板下にNo.3バラストタンク、続いて同甲板下の中央部分がNo.4燃料油タンクで、その両舷のNo.3甲板下にNo.4バラストタンク、同様に、No.5燃料油タンクとNo.5バラストタンク、No.6燃料油タンクとNo.6バラストタンク、No.5甲板下に機関室及び船尾部が船尾水槽となっており、No.1深水槽のところにバウスラスターが設置されていた。また、船首から船橋までの長さが約42メートル、当時、船体中央部での喫水線からNo.12甲板までの高さが約23.7メートルであった。
(2)操縦性能
 フ号は、自動車専用船のため、一般的な船舶の形状と違い、箱型の船型で、深さに対し喫水が小さいので、喫水線上の風圧面積が非常に大きくなって風の影響を強く受け易く、また、船首のフレアーが大きいことから、荒天海域で船首方からの大波を受けると、縦揺れが激しくなり、波の衝撃が強くなって減速量が大きく、更に、台風などの荒天時には、プロペラが海面上に露出しては海中に没する現象であるレーシングが引き起こされ、そのため、機関回転数の制御が困難になり、回転数を増加できずに船速の著しい低下、または、前進力の喪失を招き、船体の制御ができなくなるおそれがあった。
(3)運航形態等
 フ号は、ケイマン諸島グランド ケイマンを所在地とするB社が所有し、C社が、船舶所有者と定期傭船(ていきようせん)契約を締結して運航していた。
 C社は、ノルウェー王国オスロを本社とする海運会社で、総務、営業、運航部門などの組織を持ち、自動車専用船だけ30隻ばかりを運航していた。
 フ号の船舶管理会社は、オスロにある「D社」で、船舶所有者との間で船舶管理契約を締結し、同船の船舶管理業務を受託していた。
 船員配乗業務は、フィリピン共和国のマンニング会社Eが、D社から委託を受けて行っており、また、日本に寄港するC社運航船の代理店業務は、C社の日本子会社であるF社という。)が行っていた。
 フ号は、船体保険をG社に、船主責任保険をノルウェー王国に本社があるH社にそれぞれ加入していた。そして、同社の日本支店がI社で、日本での連絡、サーベイ機関としてJ社が指定されていた。
(4)指定海難関係人
 A指定海難関係人は、フィリピン共和国の商船専門学校を卒業後、1970年から1978年まで海軍士官として勤務し、その後、商船の航海士となり、1984年船長の資格を取得し、1995年以降船長として乗船していた。1997年3月からK社に雇用されて以来、C社運航の自動車専用船の船長として乗船勤務し、フ号には2002年4月22日アメリカ合衆国ノーフォーク港において、船長として乗船した。
 A指定海難関係人は、世界水域に就航している船舶に多数乗船し、日本への寄港はこれまで100回ほどあり、日本周辺でも台風に何度か遭遇したが、東京湾内で停泊中に台風が接近した経験はなかった。
(5)竜王埼付近の状況
 竜王埼は、伊豆諸島大島(以下「大島」という。)南東岸の波浮港港口の北に位置し、同埼周辺の海岸線は崖状に切り立ち、岩石海岸となっており、同埼から南東方沖合240メートルにかけ、岩礁の浅所が舌状に拡延していた。
 竜王埼周辺は、外洋に面していることから、日本の南方洋上に発生した台風や接近する低気圧による、風波やうねりの影響を直接に受け、その沖合は、一年を通じて波浪が高まる日が多いところであった。
(6)平成14年台風21号の動向
 平成14年台風21号(国際名ヒゴス、以下「台風」という。)は、同年9月27日03時(以下、時刻は日本標準時。)に南鳥島の南方海上で発生し、発達しながら西に進み、同月30日03時北緯21.5度東経136.0度の沖ノ鳥島北方に達したとき、中心気圧930ヘクトパスカル、最大風速90ノットの大型で非常に強い勢力となり、その後、進路を北に変え速度を徐々に上げながら、日本の南海上を北北東に進んだ。
 30日09時の72時間、48時間及び24時間の各台風予報図(以下「台風予報図」という。)によれば、10月1日09時の予想位置は北緯27.5度東経136.5度、翌2日09時の同位置は北緯39.5度東経140.5度で、関東南部の湘南付近に上陸し、その後東北地方を縦断する予想進路となっていた。
 9月30日21時の台風の中心位置は、北緯25.2度東経136.1度にあり、中心気圧が940ヘクトパスカルで最大風速85ノット、暴風域90海里、強風半径北東側260海里、その他区域210海里の大型で強い勢力を保ったまま、時速20ノットに増速しながら北進し、10月1日03時の同位置は、北緯27.2度東経136.6度に達し、中心気圧945ヘクトパスカルで暴風域及び強風半径ともほぼ変わらず、速力を更に上げ、東京湾に向かう予想進路で北上を続けていた。
 1日09時の同位置は、北緯29.6度東経137.5度の大島南方320海里にあって、中心気圧及び暴風域とも変わらず、速度を27ノットに上げて北進し、15時には大島南方120海里付近の北緯32.9度東経138.3度に達し、中心気圧950ヘクトパスカル、最大風速80ノットで東側暴風域120海里、時速33ノットで北北東に進行していた。
 台風は、18時勢力をやや弱めながら大島の南西方27海里の地点に至ったのち、20時神奈川県長者ケ埼付近に上陸し、上陸時の中心気圧は960ヘクトパスカル、最大風速65ノットで、その後、東北地方を縦断し、翌2日06時ごろ北海道苫小牧市付近に再上陸して北進し、同日15時にサハリンの西海上で温帯低気圧に変わった。
(7)乗揚に至る経緯
 フ号は、平成14年9月23日大韓民国ピョンテク港で今航海を開始し、同港で自動車を、26日同国マサン港で建設機械及び部品を、28日神戸港で自動車をそれぞれ積み込み、19時10分神戸港を出港したとき、A指定海難関係人は、台風の情報を気象ファクシミリによって初めて知り、その後海図に台風の位置を定期的に記入させていた。
 A指定海難関係人は、29日名古屋港に寄港し、自動車を積荷中、フ号の動静予定として京浜港横浜区(以下「横浜港」という。)での着岸は10月1日午前中、出航予定時刻は同日17時00分との電子メールをF社から受信した。
 9月30日09時00分A指定海難関係人は、最終の積地である横浜港の港外に到着し、荷役待ちのため錨泊したのち、台風の中心が10月1日真夜中ごろ東京湾を通過するとの予報を知り、台風の予想進路と荒天避難の航海計画を検討した結果、同日17時に出航しても避難するために十分な時間的余裕があると考えた。
 しかしながら、9月30日15時発表の台風予報図によると、10月1日15時には台風が駿河湾を通過する予想進路となっており、9月30日21時発表の同予報図では予想進路がやや東寄りになって相模湾に向かい、速度も速まっており、10月1日21時の予報位置は北緯33.2度東経138.7度に達し、暴風域が伊豆半島及び大島にかかる状況となっていた。
 A指定海難関係人は、横浜港沖合に停泊中、台風が東京湾に向け接近する状況となっていることを知ったが、駿河湾に向かいヒーブツーなどで避航することを計画し、荒天海域での自動車専用船の操船性能について考慮しないまま、予定時刻に出航しても、自船の速力と台風の現在位置などから避難海域に至るのに十分な時間があると考え、台風情報に対する解析を十分に行わなかったので、台風が増速して予想より早く接近する状況に気付かず、また、暴風域に巻き込まれて操船不能の状態に陥ることがないよう、着岸を中止して10月1日早朝に錨地から直接避難海域に向けて出航するなど、早期に荒天避難の措置をとらず、同日08時42分水先人に嚮導(きょうどう)させて大黒ふ頭T-6に着岸した。
 09時ごろA指定海難関係人は、F社から、台風接近により、港内停泊中の船舶は14時までに港外へ避難するよう、京浜港長の勧告が出される予定との電話連絡を受け、出航時刻を14時00分とすることに同意した。また、同人は、午前中に来船したF社の関係者から、東京湾内は避泊船で満杯であると聞いたこともあり、駿河湾に荒天避難すると伝え、避難経路として洲埼沖合から計画針路を200度とし、竜王埼東方を4海里ばかり離して航過したあと、大島南方沖合を西進して避難海域に至る航海計画を立てた。
 フ号は、13時30分積荷役を中止し、A指定海難関係人ほかフィリピン人23人が乗り組み、自動車など3,885台の計7,688.5トンを載せ、海水バラストをほぼ一杯の状態とし、船首8.75メートル船尾9.00メートルの喫水で、嚮導のため東京湾水先区水先人及び横須賀水先区水先人を乗せ、14時06分横浜港を発し、駿河湾に向かった。
 14時33分東京湾水先区水先人が横浜航路を出航したあたりで下船し、A指定海難関係人は、その後、横須賀水先区水先人に嚮導させて浦賀水道航路に向け南下し、15時39分浦賀水道航路南口に至り、同時43分同水先人を下船させたとき、機関を回転数毎分105にかけ、19.2ノットの全速力前進を令し、このころ風力6の南寄りの風で波高5メートルばかりの中、洲埼西方沖合に向け航行した。
 A指定海難関係人は、16時00分剱埼灯台から090度(真方位、以下同じ。)2.9海里の地点を通過し、一等航海士を補佐に、甲板手を手動操舵に、甲板員1人及び甲板実習生を見張りにそれぞれ当たらせ、台風接近のため二等機関士ほか機関部員2人が機関当直に就き、自ら操船指揮に当たり、同時27分洲埼灯台から298度4.7海里の地点に達したとき、機関を同一回転数のまま、針路を200度に定め、当て舵左舵5ないし15度をとり、増勢した風力9の東寄りの風と7メートルばかりの波浪により、5度右方に圧流されながら、平均14.8ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で進行した。
 17時00分フ号は、伊豆大島灯台から071度11.4海里の地点に至ったころ、台風の右半円の暴風域内に入り、雨が断続的に降り続き、南東ないし東寄りの風が更に強まり、風速50ないし75ノットで時折90ノットの突風も伴い、波浪が9メートルばかりに高まり、強風により船体が右舷側に傾斜した状態で続航した。
 フ号は、17時30分伊豆大島灯台から099度8.5海里の地点に達したころ、東寄りの風がますます強まって風速75ノットで連吹し、大きく縦揺れと横揺れを繰り返しながら、甲板には常時海水が打ち上げ、機関回転数が低下して65から80回転の間を上下し、平均7.9ノットの速力で、一層右方に圧流されながら211度の実効進路で進行した。
 18時00分フ号が、竜王埼の北東方3.4海里の地点を航行していたころ、台風の中心位置は、大島の南西方27海里付近にあり、中心気圧955ヘクトパスカル、最大風速80ノットで、やや勢力を弱めながらも、暴風域南東側100海里北西側60海里の範囲をもって、速度を33ノットと加速しながら北北東に進んでいた。
 フ号は、猛烈な暴風と更に高まった10メートルばかりの波浪を受け、縦揺れが大きくなり、激しいレーシングにより機関回転数が急激な上下動を繰り返していたところ、18時10分竜王埼灯台から067度2.3海里の地点で、機関が過回転を起こして突然停止し、A指定海難関係人は、一等航海士に対し、すぐさま船橋の機関遠隔装置により機関を再起動させたが、その後回転数がなかなか上がらず、そのころ台風の中心が急速に接近して気象状況及び海面状態は一層悪化し、船体の前進力が失われ、左舵35度を取っていたものの、船体制御ができなくなって操船不能の状態に陥り、フ号は、大島南東岸に向け、240度の方向に2.5ノットの速力で圧流され始めた。
 A指定海難関係人は、大島南東岸への乗揚の危険が切迫していることを感じ、在橋中の二等航海士に5分毎に船位を記入するよう指示し、18時15分ごろ機関操作を機関室に切り替えさせ、機関の出力を上げるよう指示していたものの、船体が波浪などに翻弄(ほんろう)され、レーシングが頻繁に起きる状況では機関回転数を上げることができず、同時30分フ号は、かろうじて機関の回転数毎分65となっていたが、速力が0ノットで、船首が150度を向いたまま圧流された。
 その後、フ号は、左舵一杯をとっていたものの、強風と波浪により圧流され続け、19時00分竜王埼灯台から139度570メートルの地点において、フ号の船首が150度を向いて、その船尾が水深約8メートルの浅所に乗り揚げた。
 当時、天候は雨で風力12の東南東風が吹き、波浪の高さは10メートルで、潮候は下げ潮の末期であった。
 間もなく、フ号は、波浪などの影響により、船体が反時計回りに旋回して北方に移動し、竜王埼灯台から043度275メートルの地点で、底質が岩の海底に、船首が007度を向いて船体が静止した。
 乗揚の結果、船底外板に破口などを生じて機関室に浸水し、舵板が二つに分断され、プロペラなどが損傷した。また、燃料油タンクの重油などが周辺海域に流出した。
(8)乗揚後の措置等
 A指定海難関係人は、乗揚後直ちに機関を停止して遭難信号を発信し、19時30分D社に乗揚事故、船体及び乗組員の状態について、衛星電話を使用して報告した。22時ごろ付近にいた護衛艦を経由して救助を求め、翌2日05時00分海上保安庁のヘリコプターがフ号の上空に到着し、06時35分乗組員16名を吊り上げて救助し、14時48分残り8名が同様に救助され、フ号の船体は放棄された。
(9)乗揚後の経過
 C社は、乗揚の報告を受け、2日L社とスコピック条項付きNO CURENO PAYのロイズ救助契約標準書式(2000年版)によるフ号の救助契約を締結した。
 また、Iからの指示を受けたJ社は、2日Mセンターに、油汚染防除の指導及び助言を行う7号業務を委託し、L社にはフ号船内の燃料油などの油抜き取り作業を依頼した。
 3日J社、Mセンター、海上保安庁の機動防除隊及びL社の各関係者は、流出油対応策を協議し、4日東京都大島町は、東京都大島支庁、東京都水産試験場及びN漁協を含んだ「大型貨物船座礁事故対策本部」を設置し、海上保安庁、Mセンター、船主代理のD社、I社、J社及びL社の各関係団体も、同本部が主催する対策会議に毎日参加し、フ号の船体状況、油抜き取り及び流出油状況などが報告された。
 J社は、Mセンターの指導及び助言を受け、「フ号からの流出油の対応について」、「フ号に対する2号業務実施方針」等の対応計画を策定した。
 J社は、流出油への対応策として、昼間、漁船1隻とタグボート2隻をフ号周辺に配置して監視し、薄い油膜を発見したときは航走拡散及び放水等で対処し、夜間、タグボート1隻で監視態勢をとり、その他、オイルフェンス、油吸着材、油処理剤、高粘度油回収ネットなどの防除資機材を波浮港に集積し、7号業務を継続維持することとした。
 また、中・大規模の油が流出した場合には、波浮港への油侵入防御、フ号周辺海岸の漂着油、他の沿岸への漂流油接近の対策について、排出油の防除、消防船による消火及び延焼の防止その他海上防災のための措置である2号業務を委託し対応することとした。
 Mセンターは、2日夕刻J社から、7号業務の委託を受けて大島町に2名を常駐させ、船外へ排出した油防除措置の指導・助言に当たり、油防除資機材の手配、流出油への対応計画等の作成、オイルフェンス展張指導、オイルスキミングネットの展張及び使用方法指導、オイルスネアーの取扱指導、前示対策会議等への出席、海岸清掃作業の指導などの活動を、同月30日まで続けた。
 一方、L社は、2日から2週間かけて船底及び船内調査を行った結果、吊り上げ、浮上等々での救助方法をとることが困難と判断し、船体など救助不可能の旨を船主に報告し、同月21日24時00分をもって船主がフ号の全損を宣言し、5日の猶予期間後の26日に救助契約が終了した。
 また、L社は、5日から船内に残っている燃料油の抜き取り作業を開始し、前示救助契約が終了した26日以降も、引き続き同作業を行っていたものの、低気圧等の影響により風波やうねりが高くて作業ができない日が多く、160.3キロリットルを回収したところで、11月13日Iとの契約が解除され、同作業を終了した。
 11月13日以降Iは、J社を介し、O社に燃料油の抜き取り作業を行わせることとし、同社は、14日から22日まで船内で同作業用の資材及び機器などの設置作業を行っていたところ、23日及び24日は祭日等で休業し、25日は波浪が大きいことにより同作業を中止していた。
 フ号は、岩礁が存在する海底に船底全体が乗り揚げた状況で、乗揚後、他の台風や低気圧による波浪の影響を受け、船底などの破壊が進むとともに、車輌甲板の落ち込みや船体がホギング状態になって外板などの変形が進行し、これに伴って、積載していた自動車なども押し潰され、船内各所では、漏れ出した車輌のガソリンが気化した状態になっていたところ、発火源は特定できないものの、車輌の蓄電池などの電気系統や鉄板同士の接触などの火花により、気化したガソリンなどに着火し、11月26日早朝船内で火災が発生し、船首部に数本の火柱、船尾部に黒煙、船体前部が煙に包まれて炎上を始めた。
 火災発生直後、Mセンターは、J社から、消防船による消火措置の依頼を受け、2号業務を受託し、東京湾で待機業務配置に就いていた消防船「きよたき」を波浮港に回航させ、適切な情報を与えて消火活動の支援を行った。
 ところで、きよたきは、航行区域を沿海区域とする、長さ40.0メートル、総トン数263トンの化学消防船で、消防設備として泡水兼用の放水銃4個を設置し、泡原液、粉末消火装置、オイルフェンス等の油処理資材を備え、船長ほか4人が乗り組み、東京湾を離れ、26日14時55分波浮港に到着し、現場の水路事情に詳しい波浮港漁業協同組合員を乗船させ、15時25分から日没まで放水による消火作業を行った。
 きよたきは、翌27日以降も引き続き消火作業を行った結果、28日夕刻にはほぼ鎮火状態となり、29日早朝鎮火状態を確認後、波浮港を離れて横須賀港へ帰港した。
 鎮火したあと、フ号は、船骨材等が崩壊して車輌甲板及び船体外板が押し潰され、船首部及び船尾部だけが海面から浮き上がり、船体中央部上甲板が圧縮されて海面と接し、船体が弓なり状態で残骸になった。
 船骸撤去について、J社は、火災によってフ号の船体形状などが変わったことから、平成15年1月に船骸撤去作業の国際入札をやり直し、シンガポール共和国のサルヴェージ会社と契約を結び、同社が同作業を開始し、同年7月9日第1回目の解体した船骸650キロトンを陸揚げし、同年中に水面上の船骸の解体及び陸揚げを予定し、2年以内に全ての船骸の撤去を完了させることとしている。
(10)流出油の状況及び周辺漁業への影響
 乗揚後、船底の燃料油タンクから大部分の重油が流出し、10月2日以降、毎日、乗揚地点の周辺海域、竜王埼、波浮港口など大島南岸付近の海岸に浮流油及び油膜が観察されたが、船内燃料油の瀬取り作業の結果、機関室内の残油はほとんど抜き取られ、10月27日以降は流出油量が極端に減少し、波浮港内への侵入はなくなったものの、火災の鎮火後、フ号が船骸状態となった後も油汚染が続いた。
 乗揚による漁業被害としては、小型定置網、採貝、採藻、イセエビ刺網及び一本釣の各漁業が波浮港周辺で行われていたことから、本件乗揚による海面及び海底占有、油流出、鉄片の散乱及び海底移動などによる磯根漁場の破壊により、大島漁業者(各漁業協同組合と組合員)に、放流貝死滅、定置網及び前示漁業の休漁損害、漁場復旧損害、漁獲減少損害などが発生した。
 漁業補償については、大島漁業者とフ号船主側とが裁判所の責任制限訴訟の場において取り扱われており、現在、双方の調査が行われているところである。

(原因の考察等)
 本件は、フ号が、東京湾に接近する台風を避けるため、横浜港での積荷役を中断し、避難海域とした駿河湾に向け航行中、大島東方沖合において、台風の暴風域に巻き込まれ、レーシングにより機関回転数を制御することができず、前進力が失われて操船不能の状態に陥り、同島南東岸へ圧流され、竜王埼付近の浅所に乗り揚げたものであるが、以下、その原因について検討する。
 船舶が台風から避難する場合、台風の規模と進路・速度、風浪の発達の予想、気圧の降下状況、台風中心からの自船の離隔距離、危険・可航半円のいずれに入るか、現在位置からの避難距離及び要する時間、船の堪航性と凌波性を含む耐航性などを考慮した解析を行わなければならず、本件時のように東京湾内で停泊中ならば、同湾内で錨泊などして台風に備えるか、または、湾外の安全な海域でヒーブツーなどの荒天対応措置をとるかどうか、台風に関する気象・海象情報の収集及び解析、自船の荒天時の操船性能、避難する場合の時期及び避難経路などについて、総合的に検討したうえで、早期に対処する必要がある。
1 東京湾内での避泊
 フ号が避難する時点で東京湾内に多数の錨泊船がおり、大型船の適当な錨泊地がないことと、自動車専用船の特殊な船型から、予想される強風に錨の把駐力が耐えられず、走錨する可能性が大きく、これに伴って他船との衝突などを引き起こす危険があることから、東京湾内で錨泊などして、台風から避泊できたとは認められない。
2 台風21号の気象・海象情報の収集及び解析
 フ号は、JMHの気象ファクシミリによる地上解析図、台風予報図及び沿岸波浪予報図、ナブテックス、代理店からの電子メールなどにより、気象・海象情報を定期的に収集することができ、A指定海難関係人は、9月28日神戸港を出航したとき、台風の存在を初めて知り、以後、その位置を海図に定期的に記入させていた。
 台風は、大型で非常に強い勢力に発達して関東方面に向けて北上し、30日09時及び15時発表の台風予報では、10月1日24時にその中心が伊豆半島付近に達して関東地方が暴風圏内に入り、9月30日21時発表の同予報では、10月1日24時の中心位置が三浦半島付近、同日03時発表の同予報では、同日22時に同半島付近に上陸となっていて、9月30日15時からの予想進路はほぼ変わらなかったものの、進行速度が徐々に早まる予報になっていた。そして、9月と10月に日本へ接近する台風が、緯度30度付近から進行速度を一気に早めていく傾向にあることは、海事関係者の経験則によるところでもあって、気象情報を十分に解析すれば、横浜港からの避難時期を早めて、フ号が台風の暴風域に入ることを避けることができた。
 本件当時、10月1日17時の出航予定時刻が京浜港長の避難勧告により14時に早まったが、台風は進行速度を早めており、この時刻に出航しても、危険半円の暴風域に向かって進行することになり、これから逃れることは困難な状況で、船体が翻弄されて操船困難に陥る可能性が強く、これを回避して避難海域に安全に到達するには、自動車専用船の操船性能、台風の予想進路・速度など諸条件を検討すると、同日早朝横浜港の錨地を出航すれば、避難海域に余裕を持って到着することが推認できた。
 このためには、A指定海難関係人は、9月30日時点で、安全な避難計画を十分に検討したうえで作成し、代理店などの関係者と打ち合わせ、10月1日の着岸を中止し、できる限り早期に出航するとの決定を行う必要があった。
 ところが、A指定海難関係人は、陳述書に述べているように、9月30日横浜港に入港した際、台風が10月1日真夜中に東京湾を通過するとの予報を知り、予想進路、速力などから、出航予定時刻の1日17時に出航しても避難海域に到着するのに十分な時間があると考え、その後、台風の予想進路及び逓増(ていぞう)する速力、フ号の避難経路、暴風域への進行及び船体特性による船速の低下、可航半円に達するための避航時間などを十分に検討しないまま、1日大黒ふ頭に着岸して積荷役を開始し、14時06分避難海域に向け出航した。
 以上のことから、A指定海難関係人は、台風の気象・海象情報を種々入手でき、また、関係者から助言を得ることができたにもかかわらず、避難時期を早める必要があるかどうか判断できるよう、同情報などを十分に解析しなかったと認めるのが相当である。
3 荒天操船による避航
 船舶が荒天に遭遇し、風速が卓越するとか船速が小さくなって風速と船速との比が大きくなる場合、風下への圧流は増大し、保針のための当て舵も非常に大きくなり、遂には舵角を一杯にとっても、操舵によって対抗できなくなり、操船不能な状態に陥る。
 フ号は、台風の暴風域に向かって進行する状況で、これに巻き込まれ、東寄りの暴風及び船首方からの10メートルばかりの大波を受けて航行中、縦揺れが激しくなり、レーシングにより機関の回転数が大きく上下し、乗揚の50分前には機関が停止し、その後、回転数を上げることができずに船体の前進力を失い、操船不能に陥ったものであるが、操縦性能の項目で述べているように、自動車専用船の特殊性から、台風中心付近の暴風域に入れば、このようなことは予想されたことであった。
 したがって、本件の場合、台風の危険半円の暴風域に入ったフ号が、ヒーブツーなどの荒天対応措置をとって船体の安全を確保するには、舵効の得られる最低速力が保たれることが前提条件であり、機関の回転数を制御できない状態になっては、船体制御ができず、いかなる荒天突破の特殊運用措置をもってしても、台風の暴風域から避航できた可能性はほとんどなかったものと認められる。
4 避難経路の選定
 フ号が、計画した避難海域の駿河湾に向かうには、剱埼沖合から大島の西方海域、または、本件時の東方海域を経由する2通りの針路があるが、いずれも神子元島沖合を通過することになり、台風の暴風域に向かって進行していくことに変わりはなく、暴風域内に入らず、可航半円で荒天避航して船体の安全を図ることが肝要であって、本件時の避難経路以外の針路を選択したとしても、避難する時機が遅すぎたことにより、本船が暴風域から十分に離れることができず、船体が危険な状態に陥るおそれがあったと推認できることから、針路の選択を原因として摘示するのは相当でない。
 以上を総合すると、フ号が、横浜港を出航したのち、台風の可航半円に至ってヒーブツーなどの荒天対応措置をとるには、船速が低下する暴風域に入らず、避難海域に到達するまでの余裕を持った航行時間を確保することが第一であった。
 しかしながら、本件は、荒天下での操船性能、大島ほか周辺の地勢・海域状況及び避難経路を考慮したうえで、台風情報に対する解析を十分に行っていなかったことが、横浜港から避難する時期を早める必要があるとの判断に至らず、その結果、安全に避難海域に到着することができずに乗揚を招いたものと認められる。
 なお、京浜港長の避難勧告について付言すると、京浜港長の14時00分以降、防波堤外に避難することというのは、その時刻に出航し、東京湾で錨泊又は湾外で避難すれば安全であるということでなく、京浜港横浜・川崎区の防波堤内に着岸、係留している船舶に対し、台風接近による船舶の損傷、流失などに伴う港内の混乱や危険を起こさせないよう、防波堤外に避難しなさいと勧告しているのであって、14時に出航して台風から安全に避難できるかどうかは、各船舶の船長が、自己責任に基づき、種々検討して最終判断を下すべきものである。
 最後に、フ号の乗揚後、船舶及び積荷が全損となり、油流出による環境汚染及び重大な漁業被害を引き起こしたうえ、船舶火災まで発生し、更に、船骸撤去に長期間を要する事態となっているが、海難の再発防止のために、本件のように、港内などに停泊中、台風が接近する状況となって避難する場合、外国人船員が、日本近海を通過する台風の経路などについて、詳細を知らないことがあり得ることから、当該船舶の船舶所有者、船舶管理会社、運航会社、代理店などの関係者は、台風及び付近海域の特殊な状況などの情報を収集して、前広に提供し、避難方法について、従来以上に船長と十分に検討したうえ、対処する必要があると思料される。 

(原因)
 本件乗揚は、大型で非常に強い台風が伊豆諸島南方洋上を北上して東京湾に接近する状況下、横浜港沖合に停泊中、台風情報に対する解析が不十分で、早期に荒天避難する措置がとられず、夜間、大島東方沖合を避難海域に向け航行中、暴風域での増勢する波浪により、レーシングを生じて機関の制御ができないまま、船体の前進力が失われて操船不能の状態に陥り、大島南東岸の浅所へ圧流されたことによって発生したものである。
 
(指定海難関係人の所為)
 A指定海難関係人が、横浜港沖合に停泊中、大型で非常に強い台風が東京湾に向けて接近する状況を知った際、台風情報に対する解析が不十分で、早期に荒天避難する措置をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
 A指定海難関係人に対しては、勧告しない。

 よって主文のとおり裁決する。





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