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平成15年広審第104号
件名

油送船第八玉力丸乗揚事件

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成16年1月29日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(西田克史、道前洋志、西林 眞)

理事官
横須賀勇一

受審人
A 職名:第八玉力丸一等航海士 海技免許:四級海技士(航海)

損害
ビルジキール及び船底外板に凹損

原因
針路の選定不適切

主文

 本件乗揚は、針路の選定が適切でなかったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年2月12日05時45分
 愛媛県 船折瀬戸
 
2 船舶の要目
船種船名 油送船第八玉力丸
総トン数 497トン
全長 65.40メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 735キロワット

3 事実の経過
 第八玉力丸(以下「玉力丸」という。)は、船尾船橋型油送船で、船長B及びA受審人ほか3人が乗り組み、C重油1,000キロリットルを積載し、船首3.4メートル船尾4.4メートルの喫水をもって、平成15年2月11日19時40分和歌山県和歌山下津港を発し、愛媛県松山港に向かった。
 B船長は、船橋当直を自らを含めA受審人及び甲板員の3人で単独4時間交替の3直制とし、自らは00時から04時の当直にあたるほか、出入航時や狭水道を通航する際には昇橋して操船指揮を執るようにしており、瀬戸内海を西行して翌12日03時40分備後灘東部の六島南西方沖合1.5海里ばかりの地点に至ったとき、昇橋した次直のA受審人に船橋当直を引き継ぐにあたり、宮ノ窪瀬戸を経由するので同瀬戸の2海里手前で報告するよう指示するとともに、使用海図にその地点を示して降橋した。
 ところで、宮ノ窪瀬戸は、来島海峡にその南岸を接している愛媛県大島と、同島北方の同県伯方島との間にあるほぼ東西に延びる狭い水道で、同瀬戸中央に位置する鵜島によって北側の船折瀬戸と南側の荒神瀬戸とに分かれており、いずれも最小可航幅は100メートル程度で潮流が極めて強いが、瀬戸内海を東西に航行する際には来島海峡を経由するよりも距離が短縮される利点があることから、主に500総トン未満の船舶が多数通航し、漁船等の往来もあって船舶交通の輻輳する海域であった。また、船折瀬戸は、狭いが水深が十分にあってその東口にある舟折岩には目標となる舟折岩灯標があり、一方の荒神瀬戸はやや広いものの暗礁が散在して航路標識も十分でないため、一般には船折瀬戸を通航する船舶が多く、そのうえ、への字型をして舟折岩灯標を屈曲点とし、その東側は北西に向く幅700メートルの水道で、また、その西側は南西に向く幅100メートルの水道となっていたので、東側から最狭部に向かって転針しながら進入するにあたっては潮流の影響を強く受けるおそれがあったので、水道に沿って緩やかに回り込むなど慎重な操船が求められるところであった。
 A受審人は、単独の船橋当直に就き、機関を全速力前進の回転数にかけて自動操舵により西行を続け、05時20分報告を指示された宮ノ窪瀬戸の手前に差し掛かったものの、それまで他の当直者を補佐して何度か同瀬戸の通航経験があり、自分1人でも操船できるという自信があったほか、B船長が前直者として4時間の船橋当直を終えたところであり、自分の当直が終了するころには目的地の松山港沖合に到着する予定なので、それまで同船長に休んでいてもらおうと考えて報告しないまま、間もなく宮ノ窪瀬戸に入った。
 05時30分A受審人は、六ツ瀬灯標から198度(真方位、以下同じ。)1,400メートルの地点で、針路を鵜島中央部に向く284度に定めて自動操舵のまま、機関を引き続き全速力前進とし折からの逆潮流により9.5ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で進行した。
 05時37分A受審人は、舟折岩灯標から130度1,550メートルの地点に達したとき、船折瀬戸東口屈曲部の最狭部に向かって航行することとしたが、反航船など他船がいなかったので同灯標に接航して転針しようと思い、潮流の影響に配慮して同屈曲部で安全確実に転針できるよう、屈曲点となる舟折岩灯標を十分に離した適切な針路を選定することなく、同灯標から東方に100メートル足らず離しただけの315度の針路に転じ、手動操舵に切り替えて続航した。
 こうして、A受審人は、05時42分少し過ぎ舟折岩灯標が左舷正横至近に並行すると南西方に向け90度ばかり転針するため左舵10度をとったものの、逆潮流の影響を受けてなかなか舵効が得られず、続いて左舵20度としたところ間もなく急速に左回頭を始めるようになり、レーダー映像で確認したところ船首輝線が鵜島北端の松ケ埼より左方に変わる様子に驚き、あわてて右舵10度、更に右舵一杯としたが及ばず、05時45分舟折岩灯標から248度300メートルの地点において、玉力丸は、回頭が止まり243度に向首したとき、7.0ノットの速力で鵜島北端の浅所に乗り揚げた。
 当時、天候は曇で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の中央期にあたり、付近には3.2ノットの北東流があった。
 B船長は、自室で休息していたところ、衝撃を感じ直ちに昇橋して乗り揚げたことを知り、タグボートを手配するなど事後の措置にあたった。
 乗揚の結果、ビルジキール及び船底外板にそれぞれ凹損を生じ、08時45分来援したタグボートにより引き下ろされ、のち修理された。 

(原因)
 本件乗揚は、夜間、愛媛県宮ノ窪瀬戸東部から潮流の強い船折瀬戸東口屈曲部の最狭部に向かって航行する際、針路の選定が不適切で、舟折岩灯標に接航して同屈曲部で大角度転針となり逆潮流の影響を受けて操船の自由を失い、鵜島北端の浅所に向首進行したことによって発生したものである。
 
(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、愛媛県宮ノ窪瀬戸東部から潮流の強い船折瀬戸東口屈曲部の最狭部に向かって航行する場合、潮流の影響に配慮して同屈曲部で安全確実に転針できるよう、屈曲点となる舟折岩灯標を十分に離した適切な針路を選定すべき注意義務があった。しかるに、同人は、反航船など他船がいなかったので同灯標に接航して転針しようと思い、適切な針路を選定しなかった職務上の過失により、船折瀬戸東口屈曲部で大角度転針となり逆潮流の影響を受けて操船の自由を失い、鵜島北端の浅所に向かって進行して乗り揚げ、ビルジキール及び船底外板にそれぞれ凹損を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。





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