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(2)ディアナ号遭難に関わる郷土の記録(抜粋)
ア 『嘉永七寅ノ十一月四日大地震(伊藤錬次郎手記)』
 字三軒浜ニ、ロシヤ軍ノ舟、沖ニテ地震掛リ舟ヲイタメ、水舟ニテ上陸シ、江川様御出張ニテ、舟ヨリヲカヘ大綱ヲ張、舟ノ窓トヨリ荷物ヲ海エ投込シヲ、ロシヤ人共衣服ヲ着ルママニテ、荷物ニ取付、綱ニ手ヲ掛、陸エ上リ、其品トキヒロゲ、ケン付鉄抱(砲)サハベル、横字ノ書類皆濱ノ川原エ干し申候。是迄見タ事無キ物斗リ、一目ニハ見キレヌホドノ珍敷(めずらしき)品斗リナレハ、富士郡ノ老若男女、我身ノ居処モ未ダ定メナキ事ヲ忘レ、毎日見物ニ行。髪モミダレ着物モ替ズ、其儘(そのまま)押出シ、御代官ヨリ近村エ申付、白米ヲ取寄、日々焚(たき)出シテ、馬ノ○盤ヲ見ル如ク大桶ニ入置。イ(異)人ハ時ナシニ其ノ桶廻リニ立、サジニテスクイ出シ喰ヒ、行ハ(ゆきてハ)又帰リテ朝カラ夕方迄切ナシ。只、フウチャ人(チン)壱リ(人)、三軒屋ノ仁(人)家明ケ、昼夜ケン付鉄抱ヲモチ見廻リ、其外ノ者共ハ濱ノ河原ニ犬ノ子(ね)ル如ク也。実ニ哀ナル(あわれなる)有様也。
 
『嘉永七寅ノ十一月四日大地震』(伊藤錬次郎手記)(複写)
伊藤芳亮氏蔵
伊藤家の屋号は「弥生」で、伝法村の弥生新田を拓いたとされます。手記は、伊藤錬次郎が村役場の依頼により明治24年に地震やロシア船のことを記したものです。
 
イ 『田子浦村誌』
 安政元年十一月四日、大地震の為め津波を起こし伊豆國下田港に碇泊中の露西亜國軍艦フレガットデーアナ號暗礁(あんしょう)に触れ舩體(せんたい)破損せるを以て下田港を出で同國戸田港に来泊し修繕を謀りしが航行中連日の暴風怒涛(どとう)に遭ひ(昔時は冬季西風連日吹き荒みたりし由)入港することを得ず、當村宮島字三軒屋沖に来り坐州して動かざるに至れり。(富士川の河口を港と誤り認めて来れりとも傳へらる)
 
『田子浦村誌』
富士市立中央図書館蔵
 
 各地頭は政府の命を各村の名主に達し村役人出張し白米及蔬菜(そさい)を給し各番に交替し昼夜警護を為す。怒涛烈しく舩體浸水するを以て水師提督アヒフミー・プーチャチン以下乗員五百餘名上陸す。波激しきを以て人體及荷物に綱を附け陸に引き揚げたる由傳ふ。同艦は空舩(からぶね)と為し小須、沼津、戸田、清水各港の帆船数十艘にて戸田港に向け引舩したりしも中途激しき西風の為め引舩一同己れの危きを以て各四散し遁れ(のがれ)たり。間もなく同艦沈没せり。露國人之を視て(みて)號泣(ごうきゅう)す。 (略) 同國人滞留中(たいりゅうちゅう)邦人(ほうじん)の同情を得んが為め白砂糖羅紗の小片粘りたる煙草芋(たばこいも)を分與せんとせしも當時鎖國の法令厳なる以て恐れて貰はざれし由。
 當時流行せる童謡 お前は露西亜のフーチャチン 汐風(しおかぜ)に大事の寶(たから)を乗り捨てた
 
ウ 『加島村誌』
 當國之義ハ別而(べっして)大地震ニテ百姓家(ひゃくしょうや)作物置小家(さくものおきこや)ニ至迄皆潰レ途方(とほう)ニ暮レ(くレ)罷リ在リ候處(ところ)エ同十一月二十七日暁七ッ時頃川成嶋村字新濱宮島村字三軒家入道口(にゅうどうぐち)境海岸エ異國船漂着同廿八日九日迄ニ異人五百人右両村地内エ上陸十二月七日豆州戸田港エ引佛イ(ひきはらイ)ニ相成候云々(異國舩ハ露國軍艦ニシテ強風避難ノタメ清水港ト誤認シ来リ擱坐(かくざ)シタルモノナリトイフ)
 
『加島村誌』
富士市立中央図書館
 
エ 『袖日記』
 十一月二十八日 今日、大地震ゆるに付、他(よそ)行く留め云い次来る処、今日無事也。ヲロシヤ異国船小須浜へ着。間門村(まかどむら)海へも来る。異人陸に上り火にあたり食を乞う。英夷(えげれす)国と戦い負けて逃げ来る船也と申事也。船將フウチャチント云人。ヲロシア船の由。小田原、沼津出勢見分。韮山御出張。
 十一月二十九日 異国船見物ニ、当町方よりも大勢下加島へ行。大宮司、黄羅紗陣羽織(きらしゃじんばおり)馬上ニて大勢供人、槍、砲具ニて見物ニ行処、韮山ニ出会、無據(よんどころなく)頼れ守護しているよし。明日帰町。
 十二月二日 韮山殿様、計らいニて、異国船を小須港漁船ニて、沖へ引き出スよし。異人、みかんを皮ながら食ス。酒をしきりニ求めて云り。又、笑い画を大ニ喜ぶ。
 十二月十日 町方壱人へ申付。先達而(せんだつて)異国船浜へ着くの節、異人と品物交易いたし候者之有り候ハバ、早速町方へ差出申す可く候。内証にて相済べく候後日に顕レ(あらわレ)候ハバ曲事(くせごと)ニ相成べき由、云渡し之有り候。
 
『袖日記』(富士宮市指定文化財)(複写)
横関及彦氏蔵
日記には、造り酒屋「枡屋」(横関家)の当主が、安政の地震やロシア船のことを記録した物です。
 
 先日、柚野村の人、異人見物に行、百文程の品交易いたし候を、彼地ニて見付けられ、縄付(なわつき)に相成、柚野村名主へ預け候よし。
 小田原様の家中の小者一人、異人と交易いたし、韮山之手ニて御召捕ニ相成り、未だ牢舎のよし。
 
オ 『史談速記録(富士重本)』
 
『史談速記録』(富士重本)
富士山本宮浅間大社蔵
浅間大社の宮司であった富士亦八郎が幕末の出来事を明治28年東京の史談会で語ったことを記録した物です。
 
 十一月廿七日、駿河の富士郡宮嶋村の海岸に黒船が来たと云ふ事で村民が大に動揺致しまして、夜中私方へ注進が有ました故、私ハ支配下の者へ至急に命令を下して各小銃をもたせ、同所に出張致して海岸の松林に幕張を致しますと、右の船はバッテーラをおろし上陸を初めました処が、端舟計りでは間に合ぬと見へて元船から太綱を陸へ張り、細綱にて體を縛り海中に飛込て大綱を手繰りて上陸致します中にハ大浪に打たれて太綱を放ち細綱にて引き上られる者は半死半生になって陸に上ります、其様子を見まするに強て暴行を働く様子も見へませぬ故、火を焚き(たき)或は湯を沸して與へ彼是手當を致まする中に、晝後に至りまして伊豆の韮山に江川太郎左衛門と云ふ幕府の代官職が有まして、夫れが出張致しまして、又八郎殿にハ何故此の処に御出張で有かと尋(たずね)で御座ります故、当村にハ拙者支配所が御座って今朝未明ニ注進が有ましたに依て取り敢えず出張致しましたと答たる (略)


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