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図125 安政元年(1854)の吉本善京筆の絵馬 
大湊町の兵主神社蔵
 
図126 宝暦2年(1753)の大吉丸の絵馬
穴水町の辺津比神社蔵
 
図127 寛政元年(1789)の絵馬 
行田市の剣神社蔵
 
 一方、風下側の両帆綱は、束ねて空中に舞わせるか、ゆるく舷側に取るかで、風上側と違って引くことはない。あるいは、束ねた両帆綱は絵画上の約束事であった可能性もなくはない。寛永期(一六二四〜一六四四)の『川口遊里図屏風』(図124)に同様の表現が見られるからである。
 では、手縄はどう操るのか。帆の裏面を見せる絵馬を調べてみると、追風の時には安政元年(一八五四)に大湊町(むつ市)の兵主神社に奉納された明神丸の絵馬(図125)のようにいずれの絵馬も両舷の手縄を後方に引いている。問題は風に対して適当な角度を保つように帆を操作しなければならない横風・追風の時で、宝暦二年(一七五二)に穴水町(石川県鳳至郡)の辺津比神社に奉納された大吉丸の絵馬(図126)のように両舷の手縄を引くか、寛政元年(一七八九)の行田市(埼玉県)の剣神社奉納の絵馬(図127)のように風下側の手縄を引き、風上側の手縄をゆるめるか、操作法は二通りある。前者は少なく、後者が多い。
 このように船絵馬から横風・逆風時の両帆綱と手縄の操り方には二通りの方法があったことがわかったが、いずれが正しいのだろうか。ここで再び今西幸蔵の帆装図(図118)と大家家の両徳丸の雛形を撮った「第五十 新式日本形船」(図120)に注目すると、両帆綱の取り方から明らかにいずれの船も横風・逆風帆走中で、風上側の両帆綱を船首に強く引きつけ、手縄は風上側をゆるめ、風下側を引いている。廻船改を職務とする浦賀奉行所同心の今西が船に通じていたことはいうまでもなく、また雛形の写真を載せる『日本海運図史』の刊行は明治四三年(一九一〇)だから、両徳丸の雛形の綱取りをしたのが大家家の北前船乗りであったことは容易に想像がつこう。それゆえ、横風・逆風帆走時には風上側の両帆綱を船首に引き、手縄は風上側をゆるめ、風下側を引くのが正しい綱の操り方としてよかろう。風下側の両方綱が雛形の写真では消され、今西の図では描かれていないのは、風下側が操帆上さして重要でなかったことをうかがわせるにたる。
 興味深いことに両徳丸の雛形の写真を見ると、帆足は、風上側を舷側に近いほど長く伸ばして大渡に取り、風下側を数本をまとめて鐶に結わえている。明治以降、横風・逆風で帆走中の弁才船はしばしば絵馬や写真に姿をとどめていても、なかなか帆足の取り方までは読みとれない。この写真が、弁才船の横風・逆風帆走時の綱取りを示すまたとない一枚であることは多言を要すまい。
 以上の横風・逆風帆走時の操帆法をまとめておくと、次のようになる。手縄は、風下側を引き、風上側をゆるめて風に対する帆の角度を調節し、両帆綱・脇取綱は風上側を船首に引いて帆なりを整え、帆足は、風上側を大渡、風下側を脇廻にとるが、常苫を葺く場合には大渡を脇廻の後方に移して、風上側を脇廻、風下側を大渡にとる。ちなみに、弁才船の操帆法が、大渡がなく、帆足を下の帆桁にとめる日本海独特の面木造りの商船である羽ケ瀬船と共通することは、明和三年(一七六六)の大絵馬(図17)を見れば一目瞭然である。
 横風・逆風帆走時の弁才船を描いた絵馬には、前述のゆるく取った風上側の両帆綱を別にしても、綱の操り方のおかしい絵馬が少なくない。秀作と評価の高い絵馬のなかから例を挙げておくと、延享三年(一七四六)の三光丸の絵馬(図9)では、手縄は横風・逆風時の操り方なのに、両帆綱は船首に引かれていない。また慶応三年(一八六七)に剣地(石川県鳳至郡門前町)の八幡神社に奉納された絵馬は、目一杯風上に切り上がる弁才船を描くことでよく知られている(図128)。逆風帆走時の帆のねじれが巧みに表現されており、手縄の操り方も申し分ないが、惜しいことに風上側の両帆綱が船首に引かれていない。
 追風であれ、横風・逆風であれ、船絵師は概して操帆法と風向きの関係には無頓着である。たとえば、前掲の白山媛神社奉納の絵馬(図123)でも、剣神社奉納の絵馬(図127)でも、横風・逆風の操帆法なのに、船名幟は追風でたなびいている。こうした食違いのない船絵馬はないといっても過言ではないが、もとより例外はある。天保七年(一八三六)に深浦町の円覚寺に奉納された絵馬(図129)がその一つで、対航する二艘の船を描きながら、風向きと操帆法に矛盾がなく、さすがに当代きっての船絵師吉本善興景映の作と感心させられる。
 操帆法とは無関係であるが、帆と関係があるので、ここで筈緒(はずお)(括(くくり)ともいう)の張り方の変化について一言述べておきたい。筈緒とは、帆を揚げた時の水縄の張力に対抗させるために帆柱の先端から船首に張る太い苧綱をいい、括玉子(くくりたまご)・根括(ねくくり)・水押台玉子(みよしだいたまご)を介して水押に取る(図130)。括玉子は、上端を輪にし、下端に括南蛮(くくりなんば)(滑車)を取りつけた棕櫚(しゅろ)綱で、上端を笄(こうがい)によって筈緒とつなぐ。根括(継替(つぎかえ)ともいう)は、一端を輪にした棕櫚綱て、笄によって水押に回した水押台玉子とつなぎ、他端を括玉子下端の括南蛮に通し、さらに水押に取り付けた舳飛蝉(おもてとびせみ)(滑車)に通して上貫木(うわかんぬき)あるいは弥帆柱(やほばしら)にとる。







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