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図52 明治19年(1886)の吉村重助筆の絵馬 
河野村の八幡神社蔵
 
 他方、吉村派とそっくりな絵馬を量産した平井義重は、吉村重助と同様、大坂に住む船絵師という以外には何もわからない。落款物は明治二五年(一八九二)頃に鮎川町(福井市)の加茂神社に奉納された絵馬が最初であり、あとは河野村の磯前神社と国兼町(武生市)の大潮八幡宮にそれぞれ奉納された明治二九年の一面と磯前神社に奉納された同三二年の一面(図54)以外にはない。明治二九年の二面のうち磯前神社の一面(図55)はブリガンチン一艘を描き、大潮八幡宮の一面は弁才船二艘、ブリガンチン三艘、バーク一艘の都合六艘を描くが、とりわけ洋式帆船はなかなかの出来で、絵馬籐の描く洋式帆船にはないリアルさがあって、絵馬籐よりも優れている。
 平井派の無落款物は吉村派と同じく多数を数え、一見したところでは吉村派との識別が困難なほど酷似した画風をもっている(図56・57)。平井も吉村も同じ大阪市西区新町通五丁目に店を構えていた。どうやら両者は版画の共用も行なっていたようで、今のところ同系の絵師と考えるよりほかなかろう。
 以上の主流絵師以外にも、少数の作品を遺した船絵師がいる。たとえば、慶応元年(一八六五)に粟崎(金沢市)の粟崎八幡神社に奉納された浪花芳宗筆の絵馬は絵馬籐に似ており、明治一一年(一八七八)に中条町(新潟県北蒲原郡)の荒川神社に奉納された尾道の絵馬喜筆の絵馬(図58)に至っては完全な絵馬籐の模倣である。このほか出雲崎町(新潟県三島郡)の羽黒神社に明治四〇年に奉納された絵馬と鳴滝神社に同四三年に奉納された絵馬を描いた新潟の雲浦梅林もいる。地方出来の絵馬はいずれも肉筆で、大坂以外の地方の絵馬屋の作品に共通する個性的な面白さは多分にあるが、本格的な船絵師の絵ではないので、大坂の船絵師と比較して云々する方が無理というものである。
 ともあれ、明治時代以後の第五期は絵馬籐作品に象徴される濫作の時代であって、船舶画史の視点からみれば退廃期というべき時期である。ために美術的感銘を呼び起すような船絵馬は微々たるものになって、やがて大正時代から昭和時代初期にかけての終焉期を迎える。
 
図53 吉村重助筆の絵馬 河野村の磯前神社蔵
 
図54 明治32年(1899)の平井義重筆の絵馬 
河野村の磯前神社蔵
 
図55
 
明治29年(1896)の平井義重筆のブリガンチンの絵馬 河野村の磯前神社蔵







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