日本財団 図書館


 僕は一生懸命アピールしました。日本の捕鯨をずっと弁護しました。クジラ獲りは大好きだけれど、あまり捕鯨のことを言わなくなった理由があります。1年ちょっと前にある会社が捕鯨のデータをぼかしていた。沿岸捕鯨の正しいデータを出していなかった。南氷洋に行く捕鯨は僕も一緒に行きました。そのデータは本当にいいデータで信じられます。でも沿岸捕鯨の会社の指示でデータをぼかした。それで日本の捕鯨への信頼がだめになったのです。嘘はだめですよ。信用を失ったら、それをつくるためにはものすごい努力をしなくてはいけない。
 僕は基本的に、日本は沿岸捕鯨を続けるべきだと思うけれど、国際オブザーバーを乗せてほしい。日本人は信用できないのかというと、信用できます。しかし圧力はひどい。私は大地に住んでいて、いろいろと経験してほとんど楽しかったけれど、ときどき大変でした。沿岸捕鯨を続けて、捕鯨の文化も続いてほしい。
 今日は私が日本の船、勢子船から捕鯨船、それから“飛鳥”まで楽しんで乗っていますが、いま日本はどうして好きですか、どうして日本国籍をとったのかと特に若者に聞かれます。私がどこの国よりも日本に長く住んでいます。若いときから住んでいます。私のいとしい人々はほとんど日本人です。日本の自然が大好きで、海から見ると、北に流氷があって、南に珊瑚礁がある島国はほかにはないでしょう。
 そして日本の自然がつくった素晴らしい文化があります。日本人がわれわれ日本人というのですが、本当は地域ごとに文化は違う。しかし一つの言葉はつながっている。そのうえに日本人は植民地にはなりませんでした。ほかのアジアの国は全部植民地になった。植民地メンタリティー、植民地だった国は3世代、4世代あとでも、何でもほかの人のせいにする。日本人はそれはしない。また言論の自由がある。宗教の自由がある。旅の自由がある。
 私は海軍が大好きで、格闘技が大好きだけれど、たぶん皆さんと同じように戦争を憎んでいます。平和を約束して守った国はほかにどこにあるか。ブータンぐらいか、スイスか。英国は第二次世界大戦のあとでマラウイ、ケニア、フォークランド諸島、アデン、いまはイラクへと行っています。僕は平和が大好きです。平和がないと何も正しい道に行けないのではないかと思います。
 こういう場所で僕は案を出したい。日本は国際コミュニティに入っています。困っている人を助ける義務もあって、どういう助けがいちばんいいか。私の意見では陸上自衛隊がイラクに行くのには猛反対です。絶対いい結果は生まれないと思います。それなら日本人の技術、文化、お金も汗も愛情も使って、世界一の病院船をつくったらどうか。その病院船はハイテクで、いまだったら船の上からでもモスクワ、ニューヨーク、パリ、ロンドン、どこでも一流の医者と連絡が直接できて、オペができます。その病院船は、困った国にいつでも行けるようにする。そして病院船が練習船でもある。ボランティアや、世界中の看護婦とか医者とか、それだけでなくエンジニアと船乗りが必要です。
 それからヘリコプターも必要です。アンビュランスボートも必要で、どうせライフボートを乗せなくてはいけないなら、いちばん優れた救急船もどうですか。そのような夢を日本がやったら、世界中が理解すると思います。それに病院船なら守れます。もちろん戦場に行くなら、自衛隊が乗って、船を守らなければならないし、敵味方なしで手当てする。地震があったときに、日本はそういう船が行けたらどうかと私は思います。
 このアイデアは新しくないらしいです。前も人が出しているけれど、いまの時代ではやるべきだと思います。日本は豊かになりました。僕は“飛鳥”は大好きです。日本は大型クルーズ船をどんどんつくって世界中を回るのもいいかもしれませんけれど、病院船をつくって、人の助け、優れた訓練、技術、いい船のつくり方をまた一つの国のプロジェクトとしてやればどうか。皆さんの考えはどうですか。いいですか。お願いします。
司会 それではいまニコルさんからご提案があったのですが、ご意見のある方、またこんなことを聞いてみたいという方がありましたらぜひ、お手を挙げてください。
質問 今日のお話はたいへん興味をもって拝聴しております。フリートーキングで自分の気分の思うままに、好きな海を語り合うことはなかなか素晴らしい語り口で、耳をそばだてて聞いています。私は品川に住んでいる猪狩と申します。先生と同じように、私も実は捕鯨船の体験があります。当時、昭和32年、33年に南氷洋へ行った経験があります。それと北洋捕鯨は2回あります。当時の仕事は水産庁のほうの仕事です。捕鯨監督官という立場で行き、非常に今日は興味をもって拝聴しました。リタイヤしていますし、いまは好きなことをやって、歌ったり、笑ったり、踊ったりの生活をしていますが、いま年に1回でもクジラグッズ展とか、そういうことをやって興味を持って多士済々な人が集ってくるのを楽しみにしています。
 いまの牛肉の話やアマゾンを開発して、その脂肪のたっぷりしたのを日本人に輸出するという、空恐ろしい話を聞いて、一皮めくると政治の世界は大変なことだと思っています。そういうことはともかくとして、やはり日本の食文化として、いま北太平洋のほうではアイスランドとか、ノルウェーとかはクジラを獲っているようですが、日本は日本独自で調査捕鯨としてミンククジラを獲っています。食文化としてどちらかと言うと、クジラがなくてもあまりいまの日本の食生活には、そう大きな影響はないのですが、それに携わったり、関西とか特に九州の方はクジラの肉には非常に興味を持ってやっています。
 先生のいまの考え方として、沿岸の捕鯨を存続させたいとおっしゃっています。世界的なスカンジナビアの国と比べて、日本のいまの捕鯨のあり方、先行きについては、いま細々と調査捕鯨ということでやっていますが、どんな見通しを持っておられますでしょうか。ちょっとそこのあたりをお願いします。
ニコル これは本当に気をつけないと地雷を踏むような、水雷にぶつけるような話ですけれど、日本政府は南氷洋の捕鯨を復活したいでしょう。特にミンククジラが十分いると科学的にいくら証明しても、外国は反対するでしょう。私は外国をよく知っている日本人ですが、人間は頭だけで動いたらいいけれど、感情で動くでしょう。僕は南氷洋捕鯨の復活は国際的な面からみると、まだまだ不可能だと思います。私が力があったら「やれ」と言いますが、日本政府はそれが難しい。でも調査捕鯨はとてもいいデータを取っています。データを取ったあとで、肉を捨てないで利用するということは日本人らしいと思います。
 では捨てればいいのか。日本はいいことをしていると思います。ただ沿岸捕鯨となると、先輩にこういう話をして申し訳ないですが、沿岸は日本人が決めるのです。日本人がどれだけ獲っていいか、どういう獲り方をするかということを世界に約束したけれど、日本でやることは正しいと思います。そうしないと捕鯨の技術が失われてしまうのです。
 それは日本人がいらない。捕鯨の技術はもういい。それなら僕も納得します。たまにクジラの肉を食べたいですが・・・。(笑)
司会 ありがとうございました。ほかにいらっしゃいますか。
質問 日本に来てけっこう長いという話で、日本人になられたのですが、やはり心と外見は外国人というのは避けて逃げられないと思うのですが、日本に来られていながらもウェールズと日本とのつながりはどういう風に思われるかという質問です。
ニコル 私は最初、日本に来たのは42年前で、国籍をいただいたのは9年前です。2年前に僕は森の財団をつくりました。いままで儲けたお金は全部、この20年の間に森を買って、森の再生に命をかけていましたが、その森を財団にしました。その森の財団はウェールズの森と姉妹森になりました。これは世界で初めての姉妹森です。
 森の復活ということで、森を材木だけではなく、いろいろな恵み、教育の場所、癒しの場所としてウェールズと交流しています。
質問 サッカーのワールドカップでウェールズ対イングランドの試合があったのですが、観られましたか。
ニコル 観ていないです。ウェールズはどちらかと言うとサッカーは下品とされていて、ラグビーじゃないとだめなんです。どういう理由かというと、サッカーですと、フィールドの中に紳士がいるんですが、周りは野蛮人です。ラグビーはフィールドの中に野蛮人がいて、周りは紳士です。(笑)
 悪い冗談をすみません。
司会 それでは最後にもう一方お願いします。
質問 『地中海遠征記』という本が出まして、そして今日お話を伺って、海軍とのつながりがよくわかりました。日本は戦前までは海洋民族と言われていたようですが、海に対する関心が徐々に少なくなっているということを言われています。人によっては日本人というのは嫌海民族、海が嫌いな民族であると言い切る人もあるぐらいです。ニコルさんはいろいろ北欧の人たちとのつき合いがあるらしいのですが、日本人を見て、海洋民族としての素質とか、どのへんに原因があって、こういう海に対する関心が薄れてきているのか、そのへんをちょっと客観的にご覧になっていると思いますので、感想がありましたらお聞きしたいと思います。
ニコル まず日本の歴史を大昔から見ると海から来た民族もたくさんいましたでしょう。長旅をして来た民族もいます。日本で船のかたちや漁業が優れているのです。でも大陸から来た人たちもいます。その大陸の人たちは、ひょっとしたら海は好きではなくて、海に慣れていない。でも日本人の中で海が大好きな民族もいます。ただコメ文化を背負っていた幕府が西洋のことを恐れたか、日本人が恐れたかわからないけれど、船づくりとか、大航海は長年禁止にしたでしょう。でもあの当時、本当に海に行きたかった人たちは絶対にいました。あの海の向こうには何があるかと思っていた人たちはいます。いたのですが、抑えられた。しかし箱を開けてみて、あの短い間にロシアの艦隊と戦って勝った、すごい海軍をつくった。南氷洋の探検にも行った。いろいろなことがあったでしょう。
 西洋人の中でも船に乗ってすぐ船酔いするとか、海が怖いという人がたくさんいます。それは遺伝子の組み合わせでどうやって出てくるか。私は船酔いしなくて、酒で酔うけれど、船で酔わないのです。僕は海を見て、船を見るだけでも血が騒ぎますが、どうして黒姫に住んでいるのかと思うようになります。あなたは海が好きで、船が好きでいらしたでしょう。
 ちょっと時間がオーバーになったのですが、第二次世界大戦で日本海軍が駆逐艦と巡洋艦を地中海に送ったんです。その日本海軍が第一次世界大戦で世界で勲章を一番もらっていた人たちです。ものすごく勇敢で、僕はずっと調べて、小説を仕上げて来年出ますが、よければ読んでくださいね。ありがとうございました。
司会 それではこのへんでニコルさんのお話を終わりにいたします。本日はどうもありがとうございました。もう一度ニコルさんに拍手をお願いします。(拍手)
 本日はどうもありがとうございました。(拍手)
 
平成16年11月6日(土)
於:“羊蹄丸”アドミラルホール
 
■講師プロフィール
C. W. ニコル
 
 
1940年7月17日、ウェールズに生まれる。
1967年から2年間、エチオピア帝国政府野生生物保護省の猟区主任管理官に就任。
シミエン山岳国立公園を創設し公園長を務める。
1972年から、カナダ水産調査局淡水研究所の主任技官、また環境保護局の環境問題緊急対策官として、石油、化学薬品の流出事故などの処理にあたる。
1980年、長野県黒姫に居を定め、以降、執筆活動をしている。
1995年、日本国籍を取得。
2001年、自ら荒れた森を購入し、生態系の復活を試みる作業を16年間行い、NPO法人「アファンの森 基金」を設立した。
2002年、財団法人C. W. ニコル・アファンの森財団を設立。
 
著書
『ティキシー』角川書店
『勇魚』文藝春秋社
『風を見た少年』講談社
『TREE』徳間書店
『FOREST』徳間書店
『北極カラスの物語』講談社
『魔女の森』講談社
『盟約』文藝春秋社
『遭敵海域』文藝春秋社
『裸のダルシン』小学館(2002年児童福祉文化財の推薦を受ける)
他、多数。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION