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船の科学館開館30周年記念 海・船セミナー2004 この人海と船を語る 講演録

 事業名 海事科学知識の普及啓蒙活動
 団体名 日本海事科学振興財団 注目度注目度5


<第4回> 森から海へのメッセージ
作家 C.W. ニコル氏
 
 
 
司会 皆様、大変お待たせいたしました。船の科学館開館30周年記念 海・船セミナー2004、本日は第4回目といたしましてC.W.ニコルさんをお迎えいたしました。その前に皆様にお伝えしたいことがあります。皆様が3回目に受講されたときに見学しました“海王丸”はご存じのように、10月20日、台風23号の影響により、富山で座礁してしまいました。テレビ、雑誌、新聞等で皆様ご存じかと思いますが、かなり大きなダメージを受けてしまいました。これについて、私どもから問い合わせをしましたところ、航海訓練所のほうでは近くの造船所にいったん入れ、応急修理をいたします。その後、横浜の造船所に持ってきて、完全に修理をして元の状態に戻すというお話を聞いておりますので、その点だけ皆様にご報告いたします。
 それでは第4回目の講師、ニコルさんをお迎えいたします。皆様のお手元にあります資料は、日本海事新聞社様から提供していただきました。
 ニコルさんはあまり縛られてお話しするのは得意ではないということで、いつもは森の話や自然の話ばかりだそうですが、今日は先ほどご本人とお話ししましたら「僕は本当は海の話、船の話をしたい」ということで、今日は来ていただきました。ですからご本人も非常に楽しみに来られたということを、この場をお借りして皆様にご案内させていただきます。それではニコルさんをご紹介いたします。皆様、どうぞ拍手でお迎えください。(拍手)
ニコル 照れてしまって、海が大好きな先輩達がたくさんいらっしゃる前で、僕がしゃべると罰が当たるのではないかという感じです。父は戦争から帰って来なくて、僕は3歳ぐらいから10歳まで母と一緒だったんです。僕の生まれはウェールズです。クジラではないですよ。ウェールズという国があります。イギリスのウェールズというと僕たちは不愉快です。ウェールズはウェールズのウェールズです。隣の国はイングランド、僕の母は私を紳士に育てなければいけないと思って、イングランドで僕に教育を受けさせたけれど大嫌いだったんです。休みがあったら、何があっても自分の生まれた国に帰らなければ我慢できなかったんです。ウェールズ語の歌のようなしゃべり方や皆が陽気で優しくて、全然こうじゃないんです。
 しかし私はとても恵まれて、10歳のときに母は背の高い、ハンサムな男と付き合い始めたんです。やっと私が納得する相手でした。それまではずいぶん意地悪したんです。その人は英国海軍のエンジニアでした。ジェームズ・ネルソン・ニコル、ネルソンという名前はどうしてかと言うと、ヴィクトリー号がスペインとナポレオンのフランスの海軍と戦ったときに、ジョン・ニコル、僕の曾曾曾曾曾ぐらいのおじいちゃんがそこでガナーでした。僕が11歳のときに、新しいお父さんができたんです。そして僕の名前はニコルになって、それからの僕の人生は本当に幸せだと思う。
 親父が27年英国海軍に入っていたんです。母がガミガミ言うから引退しましたけれど、僕にとって親父は永遠の海軍軍人です。すごくいい人で、僕にとってはヒーローです。それから11歳から海、海の男に憧れてしょうがない。でもこの親父が、母と結婚して僕を息子にして間もなく1年半、“バーミンガム”という巡洋艦で世界中を回っていたんです。また未亡人のままですが、憧れの男はずっと海にいたんです。私に港から必ず切手、スタンプを送ってくれて、文はあまり上手ではないのですが、ハガキとか書いてくれました。ますます僕は親父が行った国、港、文化に興味を持って、それまで学校であまり勉強しない子が勉強し始めたんです。
 私は船が好きなので、この船は動かないと聞いて、ちょっとがっかりしたんです。本当はエンジンの鼓動を聞きながら動きながら話がしたいです。僕は11歳のときに、カナダ、ケベック州の毛皮商人、インディアンたちと一緒にカナダの大きな川でカヌーを漕ぎたかったんです。言っておくけれど、これはカヌーじゃなくて、カヤックです。カヌーはこれで漕ぎます。
 カヌーに乗りたかったけれど英国ではでもどこにもない。しかしゴミ捨て場に田舎のお風呂が捨ててあったんです。これは長くて、カヌーになるのではないかと思って、友だちと一緒に川に運んで行った。あの当時の子供は必ずナイフを持っているんです。栓がないから、木で栓を作って、自分のハンカチを突っ込んで、栓をぶち抜いて、古いぼろ板を見つけて、パドルをつくりました。11歳の男の子で不器用で下手です。今度「友だち」に乗ろうと言ったんですが、でも雨の後だったんです。冬で彼がびびってしまった。僕もびびっていたけれど、男はやるといったらやるしかない。僕は乗るからと、押した。
 カヌーの漕ぎ方はこれだけじゃないんです。1人で漕ぐとか、こうやってJストロークで、パドルをこうやって漕ぐと回るでしょう。だから漕いで、こうなって、まっすぐになってしまいます。当然それを知らない。だからこうやって漕いで、グルグル川の真ん中まで行って永遠と流されるんです。そしてあのお風呂はどうして捨てられたかと途中でわかった。漏れてくるんです。(笑)
 結局町の真ん中で、橋の下を通って、お風呂に乗った男の子がここまで水の中にいる。それで警察や皆に助けられたて、母はすごく怒りました。
 親父がやっと帰って来たんです。ポーツマスに迎えに行って、親父の船が入ってくると、本当に胸を張っていました。バンドがいくつか鳴って、あちこちの船のサイレンがオーホーホーと鳴って、すごく素敵だったのです。現役の軍艦に乗って、感動してしょうがない。僕は絶対に海軍に入ると決めました。“ヴィクトリー号”は隣に模型がありますが、あれはまだ現役のイギリス海軍の船だとご存じですか。その“ヴィクトリー号”が千七百六十何年かちょっと忘れたけれど、素晴らしい船です。海軍の人が案内します。何かいんちきなものが何一つない。その当時のまま、つくり直すときは、そのままでつくり直しています。
 僕は12歳になったけれど、戦とかに興味があるでしょう。大砲はどのぐらい遠くへ飛ぶとか、ここで何人死んだとか、本当に男の子はひどいですね。親父はだんだんおとなしくなったのです。彼は戦争の経験はもちろんありますが、絶対に言わない。聞いたことがないです。ネルソン甲板の上でネルソン提督はピカピカの制服を正装して、勲章を全部つけて出たんです。「提督、頼むから、目立つから、撃たれるから」と言ったんですが、彼は撃たれるのは水兵のためだと応え、そして彼は撃たれたのです。そして下へ運ばれ死にました。
 ネルソンが死んだところで親父が言ったのです。この船はつくるために150年から300年の多くの木、3000本切られました。ニレの木、マツの木、いろいろな木々が約3000本切られたのです。大きな素晴らしい木です。この船をつくるために森が切られたと親父が言ったのです。鉄の弾や鉄の大砲をつくるためにも、昔はコークスで、石炭は使っていなくて全部炭でした。黒い火薬をつくるためにヤナギの炭を使っていました。ヤナギの墨がいちばんいい。これは確かに素晴らしいものだけれど、森は犠牲になった。
 僕の親父は15歳までしか学校に行っていません。15歳のときに16歳と言って海軍に入ってしまったのです。でも本が好きで本をよく読んでいました。それから僕は本当に考えたのです。親父はいつも言っていたんですが、世の中は全部つながっている。誰か偉い人が、海は七つあると言ったけれど、海を知らない人だな。海は全部つながっているから一つだ。そのようなことをいつも言っていました。
 僕は親父に憧れて、親父も僕を認めてくれると思って、海軍cadet(士官候補生)に入りました。このシステムは普通の学校へ行きながら、12歳から海軍の訓練を受けるのです。われわれはめいめい鉄砲を与えられます。これは本物の鉄砲です。ただボルトのピンがないから、弾を入れても撃てない。もし戦争があって、この部品だけを替えたら、撃つことができる。その鉄砲が皆の魂と言われ、きれいにしなければいけないのです。これは不思議な光景だと思うんです。ガリガリの子どもたちが、背中に鉄砲を背負って、自転車でsea cadetのところまで行って、それから訓練するのです。
 月1回、本当に鉄砲を撃つとか、機関銃を撃つ、小さな大砲のドリルをやったり、大好きでした。親父は猛反対で、鉄砲やそういうものを子供に教えるのはナチスドイツだと怒っていましたが、でも僕は好きだった。もちろん鉄砲だけじゃなくて、規律正しくするとか、ロープワークもやっていました。それからカッターですが、これは15、6のたくましい若者がやればいいけれど、ガリガリの12歳の少年たちがやるとおかしなものです。でもすごくいい運動でした。それから海軍の歴史もいろいろ教えてくれました。
 僕は本当に海軍が好きだった。不思議に陸軍で教えない護身術は海軍で教えていたんですが、これを柔術と言っていました。これはなぜかと言うと、日英同盟のあの時代に、日本海軍が大きな船をたくさん英国でつくったのです。軍艦“三笠”もそうだし、最後は大正時代に“金剛”をつくりました。そういう大きな軍艦から駆逐艦まで英国でたくさん造ったのです。そのときは海軍の方と技術家を初めから送り、船ができあがると、だんだん人が多くなるのです。
 たとえば“金剛”をつくったときに3年かかったのですが、最後に日本人は3000人います。どういうところにいるかと言うと、バローというところです。バローはウェールズの北西で、“三笠”もそこでつくられて、ミカサストリートはまだあります。たとえば“金剛”をつくったときに最後に3万人しかいない小さな町で3000人の日本海軍の人たちがいる。すごいでしょう。パブへ行けば、日本海軍が当然います。明治時代の人はけっこう飲んだらしいです。(笑)
 小説のために調べるため、そういうところにも行っていろいろ調べましたが、小説はほめるばかりではだめです。あれだけ水兵がいて、酒もあるし、女性もいるし、喧嘩ぐらいはやっているだろう。そうすると記録は残ります。日本海軍の悪さを捜しましたが、バロー、ポーツマス、ロンドンで、明治、大正時代、記録は何もありません。記録を消したのではないです。ほかの記録はあります。冬の荒海のときに、岸壁で犬の散歩をしていた男の子がいた。そして犬が波にさらわれ、男の子が犬を助けようとして波にさらわれ、日本の水兵に男の子も犬も助けられた。それは新聞に残っていて、町から小さな勲章をもらったとか、そういうものはいっぱいあったんです。だからあの時代、20世紀の始まりの20年の間は日本の海軍とイギリスの海軍はとても仲がよかったんです。先輩たちはわかっていて、知っていることを言ってごめんなさい。


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