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招待作品
交響的組曲「ユーカラ」
Symphonic Suite“Ykara”
プロローグ Prologo
ハンロッカ Hanrokka
サンタトリパイナ Santatoripaina
ハンチキキー Hanchikiki
ノーペー Np
ケネペ ツイツイ Kenepe-tuitui
 
早坂 文雄(1914〜1955)
Fumio Hayasaka
 
 1914年仙台生まれ。幼時に札幌に移る。作曲は独学で勉強したが、1939年、雅楽的な色彩の濃い管弦楽曲「古代の舞曲」でワインガルトナー賞を受賞。その後、上京して東宝に入社。戦後は「新作曲派協会」に加わって作品を発表する一方、映画音楽を現代音楽の一ジャンルとして考え、すぐれた映画音楽の方法論を打ちたてた。1955年に死亡。
 
早坂文雄が東洋的境地をめざした遺作「ユーカラ」
西村 雄一郎
(音楽評論家)
 
 1955年(昭和30年)6月9日、東京交響楽団の第71回定期演奏会で、早坂文雄の交響的組曲「ユーカラ」は初演された。曲は東京交響楽団の依頼によるもの。場所は日比谷公会堂、指揮は上田仁であった。この演奏を聞いた武満徹は、私のインタビューに答え、こう語っている。
 「音楽を聴いて、あれほど涙が出て、感動したことはなかったですよ。演奏が終わってすぐ、早坂さんの所へ駆けつけ、『療養に専念してください。身体を治すことの方がもっと大事ですよ』と言い続けました」
 早坂は肺結核だった。武満は、早坂の寿命がそう長くないことを予感して、思わず口から出た言葉だったのだ。
 早坂文雄は、1914年(大正3年)に仙台で生まれている。四歳の時、札幌に移住。北海中学4年の頃から、ハーモニカを吹いて音楽に親しむが、母親が死亡、父親が出奔したために、兄弟を養いながら自活の道をたどらねばならなかった。そんな時に出会ったのが、伊福部昭(のちに作曲家)と三浦淳史(のちに音楽評論家)である。彼らは札幌で、「新音楽聯盟」を結成し、サティなどの現代音楽をいち早く紹介していく。
 1936年に早坂の管弦楽曲「二つの讃歌への前奏曲」が、日本放送局(NHK)の懸賞募集二席に入賞。続いて1939年に管弦楽曲「古代の舞曲」でワインガルトナー賞を受賞。東宝社長の植村泰二にその才能を認められ、同年、上京し、音楽監督として東宝に入社する。
 戦後は毎日映画コンクールの音楽賞を、1回から4回まで連続受賞し、押しも押されもせぬ映画音楽の第一人者となった。特に黒澤明監督の「羅生門」「七人の侍」、溝口健二監督の「雨月物語」「近松物語」は、映画音楽の傑作として、海外からの評価も高い。
 一方、終戦直後の1946年に、作曲家の清瀬保二、松平頼則たちと「新作曲派協会」を組織。その例会でピアノ協奏曲、弦楽四重奏曲、「管弦楽のための変容」など、純音楽の作品を次々に発表した。晩年は“汎東洋主義”を表明し、日本やアジアの美学を、能や雅楽を使った作品のなかで具体化していく。
 序奏と五楽章から成る「ユーカラ」は、喀血をくりかえしていた最晩年の一年間を費やした、集大成のような作品である。「ユーカラ」とは、アイヌの口承による民族叙事詩。しかしそのことには、あまりとらわれない方がいい。早坂自身も「原詩は叙事であるが、音楽は描写的な叙事をせず、之を直観的に抽象化し、形而上の世界のものとすること」(東京交響楽団の機関誌「シンフォニー」12号)と書いている。
 また「管弦楽法は、従来の西洋の伝統である肉付を主とした常識的な手法を避け、『線』と『点』を主とした東洋的感覚によった方法を意図した」ともいう。メロディアスで描写的な曲というより、余剰のない緊張感をたたえ、抽象画のような趣きと深い詩情をたたえて、早坂の憧れた独自の世界を築いている。それは早坂が無窮の天地、黄泉の世界へ同化していくようにさえも思える。
 この曲から思い出すのは、早坂が影響を受けたという、同じ北国の作曲家、シベリウスのことである。彼も後期になるに従って、そのフォルムを極端に簡素化し、フィンランドの民族叙事詩「タピオラ」を標題にした交響詩を書いている。この曲によって森閑とした抽象の世界を語り尽くした後、彼は作曲の筆を絶つ。
 それに対し、早坂は次の作品の構想を立てていた。「ニルヴァーナ」(梵語で“涅槃”の意味)というタイトルまでも用意していた。だが、その願いはかなわなかった。「ユーカラ」を初演した5ヶ月後の10月15日、早坂は、突然その生涯を閉じる。その意味では、武満の予感は当たったわけだ。病名は肺水腫。41歳という若さだった。結局、「ユーカラ」は、早坂の純音楽の遺作となった。
 彼の死は、後に続く若き多くの作曲家たちを悲しませた。武満徹は「弦楽のためのレクイエム」を、芥川也寸志は「エローラ交響曲」を、黛敏郎は「涅槃交響曲」を書いて、偉大なる先人の死を悼んだのである。
 
 
 
海老澤 敏
新国立劇場副理事長
日本交響楽振興財団理事・同 作曲賞選考委員
 
 
 第26回日本交響楽振興財団作曲賞の選考を行なう委員会は、平成15年(2003年)11月21日(金)午後、経団連会館において開催された。
 今年度は、前年度と同様に応募者が少なく、作品数は9点に留まったが、そればかりではなく、応募作品の質、作品内容について、すべての選考委員から、ほとんどまったく積極的な評価がなされなかった点、長い作曲賞選考の歴史の中でも、きわめて例外的な事態が招来された。これはまことに残念なことではあるが、現実として認めざるをえない。
 いわゆるこの第1次選考委員会で、原則として3点の入選作品(日本交響楽振興財団奨励賞)が選ばれ、翌年7月に催される〈現代日本のオーケストラ音楽演奏会〉で実際に演奏され、その中から作曲賞が選ばれる(選ばれないこともある)という形で、このコンサートが作曲賞第2次選考委員会を兼ねるというのがいつものプロセスである。しかし、今回は、最初から作曲賞に価する応募作が一つもないという現実が選考委員の総意として第1次選考委員会で確認されたため、この〈第28回現代日本のオーケスオラ音楽演奏会〉は、第2次作曲賞選考委員会の機能を果すことはなくなったのである。
 第1次選考委員会では、こうした事態を踏まえて、この作曲賞の意義、あるいは今後の運営をどうするかについて、かなり長い論議が戦わされた。
 私のように、創作者、作曲家として、この〈作曲賞〉に選考委員として参加している者でない立場から、そしてこの選考委員会の座長として、シンフォニックな音楽作品の創造のために果しているこの作曲賞の重要な役割を認識し、評価している者の立場から、今までもいくつかの重要な問題点を挙げて来た関係から、今後の運営について、委員諸氏の意見、主張を紹介し、また私自身の見解、提言を試みることが責務であろう。ここではそうした試みを敢えておこなう余裕を持てないのが残念であるが、第1次選考委員会で、検討され、また結論を得た今後の応募、選考の方式について、簡単にご紹介しておこう。この作曲賞について、従来から論議の的であった、募集時期や二つの選考時期についての変更である。これは別の形で、すなわち〈募集要項〉などで周知方を広報するので、そちらに詳細はゆだねたいが、応募しようとされている作曲家にとっては、創作の時間の使い方などの点で、有効なものとなるだろう。
 私にとって、シンフォニックな作品の創作は、作曲家にとって「労多くして報い少なし」のまこと典型的、象徴的事例と言えよう。また技術的にこうしたシンフォニックな作品はとりわけ専門化し、複雑化し、閉ざされた世界を形づくりやすいものであろう。聴き手、聴衆にどう聞かれ、関心をそそり、彼らのよろこびとなるべく努力を惜しまないでほしいというのが、私の切なる願いである。
 私たち、作曲賞選考委員会のメンバーに対する叱咤激励を、そして若い作曲家たちに対する暖かい配慮を、そして彼ら自身の真剣な意欲とに期待したい。
 
 
矢崎 彦太郎(指揮者)
Hikotaro Yazaki
 
 1947年東京生まれ。上智大学数学科に学んだが、音楽の志を捨てがたく東京芸術大学指揮科に再入学、金子登、渡邊暁雄、山田一雄に学んだ。
 1970年日本フィルハーモニー交響楽団指揮研究員となり、小澤征爾、秋山和慶に教えを受ける。1972年東京ユース・シンフォニー・オーケストラのヨーロッパに演奏旅行参加後、ヨーロッパにとどまり、スワロフスキー、コシュラー、フェラーラ、チェリビダッケ、デルヴォーらのもとで研鑚を積んだ。
 1974年ジョン・プレイヤー指揮者コンクール、1975年ブザンソン指揮者コンクール、1976年ジノ・マリヌッチ・コンクールに上位入賞。
 1975年イギリス・ボーンマス交響楽団への客演を皮切りにロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団、BBC交響楽団、バーミンガム市交響楽団、コロンヌ管弦楽団、リヨン管弦楽団、スイス・ロマンド管弦楽団などに客演を重ねた。ノルウェー国立放送管弦楽団首席客演指揮者を経て、1986年ホフ交響楽団(ドイツ)の首席客演指揮者に就任。
 1989年にはホフ交響楽団の音楽監督兼首席指揮者に就任(1996年まで)。1994年よりフランス国立トゥールーズ室内管弦楽団首席客演指揮者、2000年よりバンコク交響楽団名誉指揮者、2002年より東京シティフィルハーモニック管弦楽団首席客演指揮者を務めている。2001年3月フランス政府より芸術文化勲章シュヴァリエを授与された。パリ在住。
 
THE TOKYO SYMPHONY ORCHESTRA
 
 1946年創立。音楽監督・常任指揮者に秋山和慶、正指揮者に大友直人、指揮者に飯森範親、首席客演指揮者にユベール・スダーンを擁する。活動の特色の一つに邦人作品を含む現代音楽の初演があり、その功績が認められ、これまでに文部大臣賞、音楽之友社賞、京都音楽賞大賞、毎日芸術賞、モービル音楽賞、サントリー音楽賞など数々の賞を受賞している。文化庁からは日本の音楽界を牽引していると認められた芸術団体支援事業に選定されている。新国立劇場においては1997年のオープニングからオペラ・バレエ公演を担当。新潟市とは準フランチャイズ契約を結び1999年から定期演奏会や特別演奏会などを開催。海外公演も19ケ国67公演を数える。近年は「ラッヘンマン:オペラ マッチ売りの少女」(2000年、演奏会形式)、「黛敏郎:オペラ 古事記」(2001年、演奏会形式)、「アダムズ:エル・ニーニョ」(2003年)など話題作の日本初演を数多く行い、高い評価を得ている。このたび、川崎市とフランチャイズ契約を結び、ミューザ川崎シフォニーホールでも定期演奏会をスタートさせるなど、活動の場を拡げている。







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