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里親だより 第70号 平成16年11月15日
(財)全国里親会
 
里親だより
第70号
 
 
第50回全国里親大会を東京で開催
 今年も秋真っ盛りの10月10日(日)、東京・国際フォーラムで全国里親大会が開催された。今回は記念すべき第50回にあたる。里親をはじめ行政担当者など全国から約750名が参加し、熱気あふれる大会となった。
 50回の記念大会ということで国際里親養育機構前副会長のコーラ・E・ホワイトさんもアメリカから駆けつけてくれた。また新たに創設された厚生労働大臣表彰も行われた。
 午前中はあいさつや来賓祝辞、表彰式があり、50回を記念して実施された子ども作文コンクールの表彰・朗読も行なわれた。
 午後は「里親制度を飛躍的に発展させるために」と題したシンポジウムを開催。その後第50回を記念した「東京宣言」が採択され、全国里子会から歌のプレゼントがあり、和やかなうちに閉幕となった。
 前日の10月9日(土)には、台風が東京を直撃するなか、渋谷フォーラム8で「第1回全国里親研究協議会」を開催。これは、せっかく全国から集まるのなら自分たちも参加して研究発表したいという里親の要望に応えてのもので、6つの分科会に分かれ、里親が抱えるさまざまな問題を話し合った。終了後全体会を開催し、それぞれの分科会で話し合われたことを報告した。夕刻にはレセプションが開かれ、全国から集まった里親を中心に、熱心な交流が行われた。
 成功裡に終了した全国里親大会は、東京都や東京養育家庭の会をはじめ、多くの関係者の協力により開催され、参加された皆さんも含めて、改めて感謝したい。
 
全国里親大会の詳細は、次号でお知らせします。
 
 
 第50回全国里親大会を記念して「子ども作文コンクール」が行われましたが、全国から、小学生以下の部で20名及び中学生以上の部で10名の応募がありました。応募作文は選考委員会において審査した結果、次の優れた作文には、全国大会当日、それぞれ表彰状と賞品が贈呈されました。表彰式終了後、小学生以下の部及び中学生以上の部の最優秀賞を受賞された里子が朗読し、式典に出席した参加者に深い感銘を与えました。
 
作文コンクール表彰
 
小学生以下の部 中学生以上の部
最優秀賞 1名 1名
優秀賞 4名 3名
入賞 3名 3名
 
小学生以下の部最優秀作文
母の死をのりこえて 石山信一
 ぼくは、五才の時、母と妹の三人で母子寮に入りました。
 よく母をなぐり、止めようとしたぼくまでなぐりつけた父と別れて、落ちついた毎日だったけど、ある日、母が倒れ、救急車で病院に運ばれ、そのまま入院してしまいました。妹とぼくは施設に入りましたが、そこでの生活は、上級生にいじめられ、つらかったです。母が退院して、ぼくたちをむかえに来てくれた時は、うれしくて涙が出そうになりました。
 でも二か月後、又母は倒れ、再入院。「もう施設は絶対にいやだ。」というぼくの願いが聞き入れられ、母がなおるまで、里親さんの家に行くことになりました。不安でした。
 里親さんの家には、高校生の姉と小学一年生の妹がいて、この子達も里子でした。二人とも学校の時間や習い事、家の手伝いなど、規則正しく生活しているのにおどろきました。
 新しい家は、厳しい所もありましたが、ぼくも妹も自然に家族になれました。夕食には必ず両親がいます。その日の出来事をしっかり聞いてくれ、喜んだり、意見を言ってくれたりします。空手と合気道を習うこともすすめられ、形がどんどん身につき、今燃えています。
 母のことが心配でした。母の日やクリスマス、正月には病院を訪ねましたが、だんだん弱々しくなっていた母は、今年の三月亡くなりました。ぼくは病室の床を何回もたたき、泣きまくりました。
 お葬式の日は、雪が降り続く寒い日でした。岩瀬の父と母がずっとそばにいてくれ、学校や母子寮、児童相談所の先生方も来てくれました。
 決して二人ぼっちではない。ぼくは、その日、亡くなった母に「岩瀬の両親のそばで、しっかり勉強して、りっぱな大人になります。」とちかいました。
 ぼくの夢は陸上自衛隊に入ること、夢がかない、社会人になったら、今は共同墓地に眠っている母のお墓をたててあげたい。母は、きっと喜んでくれるだろう。
 
中学生以上の部最優秀作文
里子になって 小糸裕子
 私は、生まれてまもなく、乳児院に預けられたそうです。
 三歳の誕生日を前に、児童相談所へ移りました。その面会室で、初めて、私と小糸の母は出会いました。面会を終えて、母が、私に「バイバイ」と手を振ると、私は母にしがみつき、大声で泣き叫び、どうしても離れようとしなかったそうです。母は仕方なく、「このまま連れて帰らせて下さい。」と頼みこんで、そのまま小糸家に行く事になりました。その時、母は私が普通の小学校へ行くのは無理かもしれないと、言われたそうです。こうして私は里子になりました。
 最初の頃は、あまり喋れなくて、父に抱かれると、大声で泣くので、いつも怒られていたそうです。
 小糸家には、私の他にも里子の姉と兄がいました。二人は、学校から帰って来ると、よく遊んでくれました。
 小学校入学の頃に、母から思いがけない言葉が出たのです。「実は、お母さんは、本当のお母さんじゃないし、あなた達も実のきょうだいじゃないんだよ。」と言われたときは、びっくりして、頭がまっ白でした。母は、私達に母子手帳を見せてくれました。姉も兄も私も、皆違う名前でした。
 最後に母は、「血は繋がってなくても、こうして一緒に暮らしているんだから、家族には変わりはないし、決して、恥しい事ではないからね。他の人にも隠すこともないからね。」と、話しました。
 その頃は、あまり理解の出来ない私でしたが、母の言葉で、一つだけ分かった事があります。それは、「血は繋がっていなくても、私達は家族なんだ。」ということです。
 その後、又、新しく、我が家に弟がやって来ました。小糸家は、祖父、祖母、父、母、姉、兄、私、弟の大家族になりましたが、祖父はまもなくガンのため亡くなりました。私達は、祖父が大好きでしたので、とても寂しくなりました。
 それから四年後には、また、五歳の妹が新しく我が家にやって来ました。妹は、ほとんど言葉を話さなく、耳が聞こえてないのではと思う程でしたが、半年も経つと、結構、喋るようになりました。
 それからの私は、小学六年の時にはいじめにあい不登校にもなりました。けれど母が、いつも私の事をサポートしてくれました。学校にはあまり行けなかったけれど、母の気持ちは、一番私に、勇気を与えてくれました。
 何年も暮らしていると、本当の母は、今の小糸の母だけだと思います。だけど、そんな気持ちを揺れ動かす出来事があったのです。それは、下の妹の親が見つかって、親元に帰ることになった時です。私は、羨ましくて、ついつい妹に嫉妬していました。
 中学校になると、なぜかイライラして、学校から帰ると、家族に当たる事が多くなって来ました。「一度でも、実の親の顔を見たい、会いたい。」と思う気持ちが強くなって、私は、児童相談所の先生に頼みました。しかし、私が想像していたような返事は返って来ませんでした。その時、私は諦めました。「一度、手離したのだから、迎えに来てくれるわけがない。」と思ったのです。
 高校は、私立の高等専修学校に入学できました。夜、父に「通える学校が見つかって良かったね。」と言われた時は、本当に嬉しかったです。「今、暮らしている親は、実の親じゃない、ずっと隠して行こう。」なんて思った事がありますが、いつも家族のぬくもりを、感じてきました。
 現在、私は高校二年生です。昨年は、ヘルパー二級の資格を取ることが出来ました。
 そして、又、もう一人妹がやって来ました。この妹はダウン症と言う障害を持っていますが、我が家のアイドルです。祖母と両親と六人の兄弟のいる家族九人が同じ屋根の下でくらしています。
 私の実母は、十四歳で私を出産しましたが、私は、実の母のような真似を、自分の子供にしないようにしたいです。十四年間、本当の子供のように、見守ってくれた祖母や、両親に感謝しています。「ありがとうございました。」
 
 任期満了に伴い、評議員会及び理事会において新しい役員の選任が行われ次の方々に決まりました。
 
役職名 氏名 職業等
会長 渥美 節夫 全国里親会会長
副会長 廣瀬 清蔵 北海道里親会連合会長
高瀬  NPO法人東京養育家庭の会理事長
常務 野口 房章 全国里親会事務局長
理事 網野 武博 上智大学教授
佐野 利昭 全国社会保険連合会常務理事
松尾 武昌 全国社会福祉協議会常務理事
小林きよ子 全国民生委員児童委員連合会理事
喜多 一憲 全国児童養護施設協議会副会長
(ブロック代表)
理事 坂本 アヤ 岩手県里親会長
木ノ内博道 千葉県里親会長
竹内 重富 福井県里親会長
荒堀喜代蔵 大阪里親会連合会長
松田美代子 山口県里親会長
藤本 忠嗣 高知県里親会長
橋田 村俊 長崎県里親会長
監事 外所 憲一 税理士
大内 善一 (株)福祉新聞社取締役総務部長
【任期】平成16年6月3日〜平成18年6月2日







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