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【研究論文2】
北朝鮮に取り込まれる韓国
 
西岡 力(東京基督教大学教授・北朝鮮に拉致された
日本人を救出するための全国協議会常任副会長)
 
1. 盧武鉉政権がすすめる「反米親金正日路線」
 筆者は、本プロジェクトの研究成果をもとに『北朝鮮に取り込まれる韓国』という単行本を3月に出版した。本来なら、東京財団へ報告書を提出し、それを単行本に収録するのが順序だと思う。しかし、朝鮮半島情勢が緊迫するなか、特に韓国内政の深刻な状況を、一刻も早く多くの日本人に知ってもらうことが、国益に合致すると考え、拙著出版を急いだ。
 3月10日から17日まで韓国を訪問し、同じ問題意識を持つ韓国人ジャーナリスト、学者、元長官、元情報機関幹部、拉致被害者家族ら、北朝鮮から亡命した元高官、元化学者、元工作員ら、在韓日本特派員、日本大使館韓国専門家らと面談し、様々な議論を展開した。
 また、訪韓中の3月12日に韓国国会が盧武鉉大統領弾劾訴追決議を可決するという大事件が起き、その日以降、国会前や市内中心地で展開された弾劾反対の左派の集会をじっくり観察できたことも、大きな収穫だった。15日には全羅南道光州市を訪れ、1980年5月に起きた光州事件の記念館・記念公園を見学し、夜には地元新聞の主筆ら幹部とかなり長時間、内政、外交、北朝鮮政策などについて討論できたことも有意義だった。
 それらをふまえて、韓国がいま重大な岐路に立っていることをあらためて実感した。具体的にいうなら、金大中政権に続いて盧武鉉政権がすすめる「反米親金正日路線」が若年層を中心に多くの支持を集め、建国以来大韓民国が取ってきた「米韓同盟、日韓友好、自由民主主義、市場経済路線」を根本的に覆しつつある。
 この動きに対して、広範な層が強い危機意識を持ち、声をあげ始めた。具体的には保守言論と知識人、多くの元職と一部現職の政府・軍・情報機関幹部、保守系キリスト教会、北朝鮮からの亡命者、合理的思考方式を持つ多数国民である。しかし、ハンナラ党、民主党の両野党は、この危機意識を完全に共有しないまま保守路線を明確に打ち出すことがなく、機会主義的動きを続けている。そのため、盧武鉉政権の「反米親金正日路線」を認めるかどうかという重大な争点が隠されたままになっている。その構図については前掲拙著で詳しく述べたのでここでは繰り返さない。
 来年度本プロジェクトでは、同じ問題意識を持って、4月の総選挙結果と盧武鉉大統領弾劾訴追決議を巡る動きを検討していく。
 本年度報告では、その前提としておおかたの日本人がまだ明確に認識できていない韓国の「反米親金正日路線」の深刻さについて、韓国人拉致問題に対する韓国政府の対応を例にとって説明しておきたい。端的に表現すると、金大中政権以降の韓国は自国の拉致被害者救出を拒否した。まさに、金正日の拉致というテロに協力支援を行っているのだ。その経緯を具体的に紹介する。
 次に、韓国の親北朝鮮化を作り出した北朝鮮の工作の実態について、北朝鮮の秘密工作指針文書をもとに分析しておく。
 
2. 拉致被害者救出を拒否する韓国政府
 2000年6月の南北首脳会談の直前、金大中政権が韓国人拉致被害者救出を拒否した事件があった。2000年3月15日、韓国拉致被害者家族会は結成以来第2回目の会合をソウルで開き、そこに筆者も参加した。集会後、家族会幹部らと夕食をとっていたとき、事務所に次のような電話があったと伝えられた。「自分は中国で宣教活動をしている韓国人宣教師だが一時帰国している。中国に自力で脱出してきた北朝鮮に拉致された漁船員に会った。韓国大使館は彼を助けようとしない。困った彼が私に助けを求めてきた。帰国して関係機関に相談したところ、家族会ができて活動中と聞いて連絡した」(注1)
 この連絡を受けた家族会は、詳しく事情を聞いたところ、中国で身を隠しながら助けを求めているのは、1970年4月29日、黄海で北朝鮮警備艇に拿捕された漁船ポンサン22号の船員・李在根氏と判明した。李氏は韓国政府が作成した拉致被害者名簿に入っている拉致被害者であった。家族会は韓国大使館が協力を拒否しているという状況下で、自分たちだけでは救出は困難と考え、マスコミとチームを組んで救出に当たるという作戦を立てた。まず、映像が必要と考え、ちょうど拉致家族の番組を作るために取材中だった洪性X(サンズイに秦)・「大田放送」プロデューサーとカメラマンを、それから、活字メディアではこの間、中朝国境地域で北朝鮮難民の取材を豊富に行ってきた金容3・『月刊朝鮮』記者を参加させた。家族会からは、崔成龍氏が加わり、拉致被害者救出チームが結成された。彼らは中国に飛び、4月20日、キリスト教関係者にかくまわれていた李氏と会った。
 チームの目の前で李氏は青島韓国領事館の北朝鮮担当者に電話した。
 
「なんとか国へ帰れませんか」
担当官「兄弟が見捨てたあなたのような人を、どうやって国が面倒を見るんですか?」
「私の兄は労働者なのに、息子2人を大学へやり、また3人の娘も高校を卒業させて嫁にやったから、蓄えを使い果たしたんです。いまは年老いて引退していて、金がないので呼び寄せられないと兄は私に弁解しているんです。仕方がないから、こうしてあなたにお願いしているんですよ」
担当官「あなたも話の分からない人ですね。兄弟の力を借りて韓国に行く手段を講じるべきでしょう。なぜ国家に面倒をかけるんですか。あなた、大韓民国に税金を払っていますか?」(注2)
 
 韓国外交官が、拉致された自国民の保護を公然と拒否しているのだ。
 
 この電話に至るまで、李氏と在中韓国大使館・領事館の間でも次のような驚くべきやりとりがあった。
 1998年、このままではみな餓死すると判断した李氏は北朝鮮で結婚した妻と息子をまず中国に逃がしそのあと自分も脱出した。家族と合流した李氏は1998年10月5日、北京の韓国大使館に電話をかけ、自分は拉致された韓国民で中国まで逃げてきたから韓国に連れていってくれと願ったところ、事情を聞いた北朝鮮担当官という人物は一方的に電話を切ってしまった。翌99年4月1日青島の韓国領事館を直接訪問し救出を訴えたところ、本国に電話するから待てといわれ500元の「車代」を渡されて追い払われ、その後3回電話したが「韓国政府から返事がないから待て」という返事ばかりを聞かされたという。99年12月には事情を知って一時帰国した韓国人宣教師が韓国から電話で、「国家情報院に話を付けたから瀋陽の韓国総領事館にいって経緯を告げよ」と連絡を受け、行ってみると、「いまは韓国へ行けないから、帰りなさい」と一言の下で拒絶された。
 困り切った韓国人宣教師が結成されたばかりの家族会に電話をしてきたのが先に書いた2000年3月だったのだ。
 救出チームは先の電話のやりとりを録音したテープを持って北京の韓国大使館を訪れ、李氏救出を迫った。その結果、2000年4月27日、在中韓国大使館は李氏とその妻、息子に韓国国民であることを証明する旅行証明書を発給した。
 しかし、韓国政府は李氏をすぐ韓国に帰国させなかった。李氏らはそれから約3か月近く、韓国国家情報院の指示で中国内で潜伏生活をさせられ、7月23日になってやっと韓国に帰国できた。南北首脳会談前に李氏が帰国し、拉致を実行した北朝鮮と李氏らを約2年間助けなかった韓国政府への批判が高まることを怖れての処置だった。現場取材した大田放送と『月刊朝鮮』に対しても、まだ中国に李氏らが潜伏しているのだから安全のために報道を控えるようにとの要請があり、首脳会談前の報道を抑えようとした。『月刊朝鮮』はそれでも、母体新聞である『朝鮮日報』に情報を流して首脳会談前の6月3日に同紙が第一報を伝えた。(注3)
 2000年後半に朝鮮戦争休戦後の拉致被害者家族会が分裂した。一方は李在根氏救出にあたった崔成龍氏が代表になった。崔代表が『月刊朝鮮』などと協力して李在根氏を救出したという情報が、自力で中国に脱出し隠れている韓国人拉致被害者のところに伝わり、崔代表のところには救出を求める手紙やテープなどが人づてで届けられた。2000年9月には崔成龍氏が斡旋し中国で拉致被害者・李成一氏が兄と姉に再会した。李成一氏は1967年、漁船で操業中に拉致された被害者で、韓国政府作成名簿に入っている。李氏は北朝鮮に残した息子らを連れてくると言い残し北朝鮮に戻り、翌2001年5月に「遺骨を故郷に埋めてくれ」といい残し病死した。
 2001年には拉致被害者・陳正8氏が中国の隠れ家で書いた手紙が人づてに崔成龍氏のところに届く。陳正8氏は1967年4月、黄海に漁船で操業中に拉致された拉致被害者で、自力で中国に脱出していた。やはり韓国政府作成名簿に入っている。崔氏が陳氏の家族を捜し出し、国際電話で通話をさせる1方、韓国政府に救助を要請した。しかし、韓国政府は陳氏救出に消極的で、そこで崔氏は金演光・『月刊朝鮮』記者の同行を得て中国に向かった。某所に潜伏中の陳氏と合流した崔氏らは国際電話で韓国政府と交渉して数日後、やっと韓国外交官に陳氏を引き渡し、保護を求めることができた。
 崔成龍氏は陳氏以外にも救出を求める拉致被害者がいるとして「政府が拉致被害者を帰還させるという断固たる意志だけがあれば、今すぐでも10名の拉致被害者を韓国に連れてこられるのだ」と語っている(注4)。実際、その後もう一人拉致被害者を救出した。
 崔成龍氏が救出した3人の拉致被害者が、2004年2月、民主党の招きで訪日し、衆議院外交委員会拉致問題小委員会で参考人として証言した。
 なお、金大中政権は日本人拉致犯人を「政治犯」として北朝鮮に送還してしまった。
 
(注1)西岡がその日、崔祐英氏らから聞いた要旨。
(注2)李在根著・河合聡訳『北朝鮮に拉致された男』河出書房新237〜238頁。
(注3)『月刊朝鮮』は首脳会談終了後の7月1日発行7月号で金容3「拉致漁夫李在根氏、30年ぶりの生還記」(『正論』2000年11月号にほぼ全文が訳載されている)を掲載し李在根氏救出を大きく伝えた。
(注4)金演光「北朝鮮に拉致された漁民・陳正8氏34年ぶりに帰還」『月刊朝鮮』2001年12月号。同記事では陳氏が潜伏していた国を「第3国」と記しているが、さまざまな情報からここでは中国と断定して書いた。







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