2001/03/06 朝日新聞朝刊
(社説)脱計画経済が強まる 中国全人代
中国の国会に当たる全国人民代表大会(全人代)が開会し、朱鎔基首相が今年から二〇〇五年までの「第十次五カ年計画要綱案」の概要を報告した。
中国の改革・開放政策が始まってほぼ二十年。朱首相はこの五カ年計画を「第三段階の戦略目標に向かって新たな進軍を始める」と位置づけた。
新しい五カ年計画には、これまでの五カ年計画と比べると大きく異なる点がある。
第九次五カ年計画では、経済成長率は年平均八%と設定されていた。それは「必ず達成しなければならない計画値」であった。ところが、今回の七%前後という数字は「期待する目標指数」に過ぎない。
人口や所得、失業率なども予想値を示している。つまり、経済活動の自立性を想定したうえでの五カ年計画である。
毛沢東時代の中国は、完全な指令型の計画経済だった。電力や石炭をはじめ、あらゆる物資の生産量の計画数値が細かく設定され、これを達成することが至上命題とされた。
市場原理を取り入れたトウ小平路線に転換した後も、「計画経済を主とし、市場経済は従とする」とされた。やがて「中国の特色ある社会主義市場経済」と定義が変更されたが、「社会主義」という形容詞は残った。
しかし、朱首相が登場して以来、市場経済の比重がますます高まり、毎年の経済成長率も予想値に変わった。この考えが五カ年計画にまで及んできたのは、中国経済が「計画」から「市場」へさらに軸足を移していることを端的に物語っている。
中国が市場経済への傾斜を深めれば深めるほど、生産活動をがんじがらめに縛るような計画は実行しにくくなる。私有や非公有経済が大きくなり、外資の投資が増え、輸出入が過去最大となった中国経済は、国際経済と深くつながっている。政府の指令による統制が以前のようには有効でなくなった。
朱首相の計画経済色を薄める路線は、中国の実情にかなった改革と評価できる。
それにしても七%の成長目標は高い。たしかにアジア経済危機下でも中国の経済は拡大した。昨年の成長率は八%に達し、国内総生産は一兆ドルを突破した。だが、この好調な経済が今後五年間も続くだろうか。
高度成長の陰で、貧富の格差、農村と都市の格差、上海や北京などの沿海部と、青海省や甘粛省など内陸部との格差は広がる一方だ。国有企業をレイオフされた都市の労働者の不平、大都市に出稼ぎに出たいが機会のない農民たちの不満はふくらんでいる。
世界貿易機関(WTO)に加盟すれば、中国の国有企業も農産物も、国際的競争の荒波にもまれることになる。
新五カ年計画では、農業の基盤強化が第一に取り上げられ、内陸部の開発を重点的に進める「西部大開発」が強調された。中国政府が格差の問題の深刻さを認識していることの表れだろう。
新計画にそって中国が市場経済化をさらに進め、安定的に発展することは、日本にとっても望ましいことだ。
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