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1995/08/18 朝日新聞朝刊
(社説)中国核実験への憤りと悲しみ
南太平洋でフランスが準備している核実験に、世界中から反対の声がわきあがる中で、中国がまた地下核実験を強行した。五月の核実験からわずか三カ月、通算で四十三回目と言われる。
核の廃絶を求める国際世論に背を向けた中国の度重なる核実験に対し、強い憤りと深い悲しみを覚える。広島、長崎の被爆や核戦争の恐怖を、中国の指導者たちはどう考えているのだろう。
今回の中国の核実験によって、フランスの実験強行が正当化されるのを恐れる。それならばと、核保有国が核実験競争に走る悪循環が始まる恐れさえある。
「わが国の実験の回数は少なく、自衛のためのものである。包括的核実験禁止条約(CTBT)が発効すれば、中国は核実験を停止する」と中国外務省スポークスマンは釈明した。
しかしその論理は、核保有国にしか通用しない。世界の大多数の非核保有国にとって、問題なのは核実験の回数ではない。核兵器の存在そのものなのだ。
今年五月、核不拡散条約(NPT)の無期限延長が決まったとき、核実験について中国を含む核保有国は、CTBT発効まで「最大限自制する」ことに賛成した。にもかかわらず、二回も核実験を行ったのは、国際信義にも反する。
中国の江沢民国家主席は本紙との会見で「中国の核兵器、核実験は、いかなる国に向けたものでもなく、いかなる国への脅威となるものでもない。中日関係における問題とはならないはずである」と述べた。
だが、その認識は間違っている、と言わざるを得ない。「脅威」と感ずるかどうかは、「脅威」を受ける側が判断することである。私たちにとっては、どの国の核実験であれ恐ろしい。核兵器は、全人類に対する「脅威」なのである。
もちろん日中の友好関係は大切である。しかし、だからこそ友好関係にヒビを入れる核実験に反対するのだ。
私たちは五月の核実験の際、「日本政府は途上国援助(ODA)の供与のあり方を見直す、というきちんとした姿勢を、中国側に示すべきだ」と主張した。政府は、中国に対して抗議するだけでなく、今年度の中国への無償援助を昨年度より圧縮する措置をとった。
日本がこうした具体的な措置に踏み込んだのは初めてであった。これは、やむにやまれぬ日本国民の気持ちを反映したものだ。しかし、このメッセージを中国の指導者は理解しなかった。実に残念である。
そしてまた核実験が行われた。日本としては、どうすればよいのか。
河野外相は徐敦信駐日中国大使に、無償援助をさらに圧縮する方針を表明した。だが、日本国民の抗議の気持ちを、より強いかたちで表すべきだと思う。
無償援助は本来、主として人道的、文化的援助に使われる性格のものだ。無償援助をこれ以上圧縮するよりも、むしろ巨大プロジェクトに対する円借款を一部凍結するのが妥当ではないか。
そのことによって、日中関係は一時、表面的には後退することがあるかも知れない。だが、そうする以外に、中国側に核廃絶への悲願を伝える適当な方法はない。この際、率直にものを言った方が、長い目で見れば、相互理解に役立つ。
中国はこれまでも「援助に政治的条件をつけることに反対だ」と表明している。しかし、核実験反対は、「政治的条件」以前の問題だと私たちは考えている。
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