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1991/03/24 朝日新聞朝刊
(社説)中国の開放政策はどう進むか
南中国の山紫水明の地・桂林は日本人にはとりわけ人気のある観光地だが、昨年の邦人客は6万人足らずと伸び悩んだ。天安門事件前の88年は14万人だったから、まだ半分にも回復していない。
こうした数字にも、事件が日本の各方面へ与えた影響が、まだ十分にぬぐい去られていないことがうかがえる。
橋本蔵相に続いて中尾通産相が訪中し、第3次円借款の凍結などわが国の事実上の対中制裁措置が全面的に解除されることになった。だが、これで企業などが抱えている中国に対する漠然とした「政情不安」といった感覚が薄れ、投資活動が再び活発化することにつながるであろうか。
そうした意味からも注目されるのが、あすから北京で開幕する中国の国会、全国人民代表大会の論議の行方である。
この会議の主要議題は第8次5カ年計画(91〜95年)と90年代全体を見通す、国民経済・社会発展10カ年計画の要綱を決めることである。
今後の中国の行方を左右するであろう2つの長期計画の中で、具体的な成長目標や農業と工業の発展のバランスなどがどの程度に設定され、新たな改革措置がどう盛り込まれるか。こうした点は中国政治の安定度を測るうえからも、公的な資金協力を長期的に約束しているわが国のみならず、広く関心を呼ぶ問題であろう。
2つの計画のガイドラインは昨年末に開かれた中国共産党の中央委員会全体会議(7中全会)ですでに決定され、コミュニケの形で公表されている。
その中では、当面は安定持続と中央集権強化の重要性が強調されるとともに、中国を「社会主義の初級段階」と規定した趙紫陽総書記時代の党13回大会の基本路線が確認された。そして西暦2000年までに国民総生産(GNP)を80年の4倍にする目標が再び正面に掲げられた。
「改革と開放」については、「80年代の経験の総括を基礎に、改革を不断に深化させ、開放をさらに拡大する」と積極的な言い回しで言及されたのが目立った。
だが一方で、改革のカギである市場経済の導入に関しては、「計画経済と市場経済を結合した経済体制を初歩的にうちたてる」など抽象的な規定がなされただけで、趙紫陽時代から後退した印象は否めない。
全体的には保守、改革の両派の主張が併記された玉虫色の妥協の産物、との評価が一般的であった。
したがって、今回の全人代の討議を経て打ち出される計画案の具体的な内容が、はたして保守、改革、どちらの色彩が鮮明であるかが、まず着目すべき点であろう。
もう1つ興味を引くのは、巨額の財政赤字に悩む中央と、開放経済の先進地で経済発展のテンポが抜きん出て速い広東省など一部沿海地方との関係だ。財政赤字を抱えていれば新規投資も進まず、抑え込んだインフレの再燃の要因にもなりかねない。開放政策のもとで「まず豊かになった」地方からの税収を増やしたい、と中央政府は考えるが、地方は猛反発している。
先の中央委を含め、計画案づくりの過程では、ここが鋭い対立点になった。中央財政強化のために導入が提案された新税制の「分税制」は、妥協点が求められず、第8次5カ年計画中の本格実施は見送りになったほどである。
地方エゴを克服し、中央が地方の活力を引き出し、それを大きく国全体の発展にどう結びつけるか。90年代の中国の経済建設の行方を占う1つのカギである。
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