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1990/12/31 朝日新聞朝刊
(社説)70歳中国党の活路はどこに
北京で開かれた中国共産党の中央委員会全体会議(第13期7中全会)の主な議題は、90年代中国の国家計画の基本を決定することだった。来年から始まる第8次5カ年計画と、久々に登場した10カ年計画である。
21世紀には「統一された一つの中国」の実現をめざし、11億人民に対しては「衣食住が足りた小康水準の生活」の保障を国家目標とする中国にとり、きわめて重要な時期の中央委員会であったといえよう。
5カ年計画は今回も含め8回策定されたが、当初掲げた方針が、突然の政策変更によって途中でガラリ変わってしまう例もしばしばあった。「民主化」の要求を力で封じた1年半前の天安門事件の影響が依然残り、先行きに不透明感がただよう中で、向こう5年間、ましてや10年という長期にわたる道筋を見通すのは、もともと至難の業だろう。
7中全会コミュニケは、新計画の期間中の成長のペースについておおまかな枠だけを示すにとどめ、細かな指標までは打ち出さなかった。一方で改革・開放を一層すすめることがうたわれた。
いつまでも「内向きの中国」では、わが国のみならず、アジア地域の政治状況に大きな不安定要因を残すことになる。その意味では、開放政策を再び大いにやることが表明されたのは、歓迎したい。
天安門事件後の中国が直面した課題は、改革によって生じた社会のひずみを正し、次の前進のための環境を整備することにあった。だが今回の計画づくりの過程で、主に経済面をめぐり白熱した議論がかわされ、意見の食い違いが顕在化したのは注目されよう。
過去10年間の改革政策を前向きに評価する経済改革の「積極派」は、88年後半からとられたインフレ抑制、通貨発行量の圧縮、財政安定といった引き締め政策はもう十分であり、それによって生じた市場不振、失業者増、工業生産の落ち込みなどマイナス面に目を向け、市場経済化をさらに大胆に推進する成長政策に転換すべきだと主張した。
一方、保守派は調整政策の継続を主張。財政の中央集権化、貿易・外貨管理の体制強化など計画経済の要素をふたたび強めるべきであると譲らなかった。
結局は、両派の中間的な主張である、5カ年計画の初め1年は調整を続けるが、それ以後は改革政策を展開する、という折衷案で一応の決着がついたようだ。
当初、保守派ペースで練られた計画案で、近代化政策の柱である「改革・開放」政策が後退していたが、これに  小平氏が不満を表明し、修正がなされたとも伝えられる。
その  氏は半年近い空白を経て、26日、公開の場に姿を現した。7中全会の開会中の登場というタイミングは、引退後も政治的な面においてなお「健在」であることをアピールしようとした、とも理解できる。
中国はこの10年余り、  氏の指導力のもとに経済改革に取り組んできた。東欧改革の先陣を切ったハンガリー、ユーゴスラビアに続いたのは、スターリン的な中央集権的計画経済システムの行き詰まりという現状認識において、一致していたからである。
もちろん東欧の国々と、歴史も違い巨大な国土と人口を抱える中国を単純に比較できない。しかし、東欧諸国とソ連が計画経済体制から市場経済への転換で苦しんでいるのと同じく、中国も深い悩みの中にある。
来年は中国共産党の創立70周年の節目だ。「改革」によって硬直化した政治・経済体制にかわる新システムをどう生み出していくか。この重い課題は依然残されている。
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