北京で開催中の全国人民代表大会で、中国の実力者・

小平氏が、国家軍事委員会主席を辞任することが決まった。

氏はこれで名目上は、党内外のすべての職務から引退する。中国政治が、1つの曲がり角にさしかかっていることを感じさせるものだ。
昨年6月の天安門事件のあと、初めての全国人民代表大会だが、そこでの諸報告で中国の進路が明らかにされたとは言い難い。それほど流血事件の余波は、なお重苦しい。西側の制裁の影響もあって、経済活動はふるわない。李鵬首相は政府活動報告で経済の困難を認め、金詰まりにあえぐ企業への金融緩和や農業重視などを明らかにした。しかし、生産の乱れとインフレの悪循環に悩む経済に、どれほどの効果があるか疑わしい。
政治権力の安定度にも疑問がある。江沢民総書記を前面に立て、改革路線継続の形はとっているものの、

氏の「引退」で楊尚昆国家主席、李鵬首相らの保守強硬派の力が増す可能性が大きい。満85歳を超え、無位無冠になった

氏だが、今後も事あるごとに影響力の行使を迫られることになろう。
こうした状況を生んだ責任の一端は、

小平氏自身にあるといわざるを得ない。十余年前、華国鋒政権を倒して権力を握った後、対外開放と経済活性化という内外両面の開放政策をとり、めざましい成果を収めた。中英交渉による香港返還、中ソ関係正常化も実現した。東側では、ゴルバチョフ大統領と並んで最も存在感のある指導者といえる。
だがこの5年来、重大なつまずきを繰り返した。改革の進展で刺激を受けたインテリや学生が、政治体制改革要求から党の一党独裁批判に進むと、

氏はこれらの進歩派に同情的な胡耀邦総書記に詰め腹を切らせた。
民主化や汚職追放を求めた昨年春の北京のデモを武力弾圧するとともに、大胆な開放政策で保守派と対立を深めた趙紫陽総書記を解任した。

小平氏は、自らが育てた後継者を2人ながら切り捨てることで、現在の政治的不安定をつくりだしたのである。
国情に合った改革を進めるための、やむを得ぬ遠回りと考えたのかもしれない。だがこの間に、民心は党から大きく離れてしまった。

氏の引退自体は、共産国指導者にこれまで見られなかった賢明な措置として評価されるとしても、それが中国の党の威信を救うとは考えにくい。それほど、党の腐敗と硬直化は容赦なく進行している。

小平氏がかつて述べたように、中国は今世紀末に「小康」状態を実現し、来世紀半ばの「世界の中進国レベル」到達を目指して前進できるだろうか。
第1のかぎは、あくまで外に開かれた体制を維持しながら、経済の向上を図っていけるかどうかにある。その意味で、李鵬報告が重点政策の1つとして対外開放の堅持を掲げたのはうなずける。だが、ソ連・東欧の社会主義諸国が、相次いで承認せざるを得なかった多党化や民主拡大の流れに背を向けたまま、経済改革だけを進めるのは難しい。
李鵬首相は報告で「反革命暴乱への勝利」を強調した。このような強硬姿勢ばかりが目立ち、党の腐敗や一党独裁の弊害を防げなければ、インテリや大衆から、改革を進めるのに十分な支持を得る可能性は薄い。
中国が、世界の潮流に沿って政治、経済両面でバランスのとれた改革を進めることは、中国自身はもとより、日本を含めた近隣諸国や世界の利益にもつながる。

小平引退を経た中国に、いつの日か、そのような路線と、それにふさわしい指導部が確立されることを期待したいと思う。
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