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1989/06/26 朝日新聞朝刊
(社説)前途多難な中国新指導部
中国共産党の総書記に、江沢民・上海党委書記が抜てきされた。上海の民主化運動を抑え込み、戒厳令発動や6月4日の「血の日曜日」の悲劇を招いた武力制圧に、いち早く支持を表明した強硬派である。
学生運動に理解を示した趙紫陽氏は、総書記はじめ党内のあらゆる職務を解任され、胡啓立政治局常務委員らとともに失脚した。胡耀邦元総書記の死去を契機に、2カ月間にわたって中国を揺るがした民主化運動は、その目ざした方向とは逆に、強硬派の台頭でひとまず幕を閉じることとなった。
25日付の共産党機関紙「人民日報」は、社説の中で最高実力者、  小平氏の次のような言葉を引用している。
「今回の嵐(あらし)は、遅かれ早かれやって来るものだった。国際的な大気候と中国自身の小気候によって決定されるものであり、必ず来るもので、人々の意思によって変えられるものでなかった」
国際的な陰謀があり、国内に反革命分子の動きがあったから、党や政府の努力をもってしても惨劇は避けられなかった、と  氏は言いたいのであろう。
だが「大気候」と「小気候」の認識は、別の意味では正しいと思う。
ソ連、東欧の社会主義国では、国民の政治参加、イデオロギーの多様性の容認、さらに複数政党制への動きが進んでいる。アジアにも、独裁的権力を批判する民主化の大きな流れがある。この「国際的な大気候」に中国が無縁であることはできまい。
「中国の小気候」も、矛盾をはらむ。10年間の  小平路線によって、経済の分野では、商品経済と市場メカニズムが導入され、対外開放策のもと外資や外国の技術が流入し、目を見はる成長をとげた。しかし、政治や思想の分野では、「4つの原則」(社会主義の道、共産党の指導、人民民主独裁、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想)が強調され、政治改革はなかなか進まなかった。
学生たちが求めたものは、経済発展に応じた政治の民主化であった。そして、「官倒」(官僚のブローカー化)追放のスローガンが、多くの市民の共感を得たのは、党幹部の特権化への怒りがあったためだ。人民日報社説の言う通り「この動乱と反革命暴乱には、社会的基礎があった」のである。
発足した新指導部は、こうした内外の気候の変化に、柔軟に対応できるだろうか。
その顔ぶれを見ると、長老とのつながりが強く、対話よりも強権を好む人が多いように思われる。人事を決めた党中央委全体会議のコミュニケで「古い世代のプロレタリア革命家が、今回の闘争で果たした重要な役割を高く称賛」していることからも、長老の影響力はいっそう強まるに違いない。
その一方でコミュニケは、「改革と開放は強国への道であり、決して閉鎖・鎖国の古い道に戻ってはならない」と強調している。
だがいま、国際世論が批判しているのは、対話を求めた学生や市民に対して武力弾圧で臨んだことであり、密告を奨励し、見せしめの処刑を繰り返すことに対してである。外国人と話せば、スパイの疑いがかかるような雰囲気で、はたして開放政策が機能するのか、疑問に思う。中国新指導部の前途は多難と言わざるを得ない。
天安門広場周辺で、おびただしい血が流された不幸を、中国の人びとはじっと胸の奥にしまっておくだろう。歴史は時にジグザグのコースをたどるものだ。私たちも近視眼的にものを見たり、性急に結論を出したりせずに、中国を見つめていきたい。
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