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1989/06/11 朝日新聞朝刊
(社説)暗く閉鎖的な中国に戻るのか
ソ連のゴルバチョフ書記長と会談して以来、公式の場から姿を消していた中国の  小平・中央軍事委主席が、長老幹部や李鵬首相らを従えて、テレビに登場した。
学生運動への対応をめぐる党中央政治局内部の権力闘争は、これで強硬派の勝利に終わり、「血の日曜日」の武力弾圧をめぐって伝えられた軍内部の反目も一応は否定された。中国の政局は、  氏を頂点とする強硬派が指導権を固める形で、表面的には安定を取り戻しつつある。
胡耀邦前総書記の死去に始まった中国の民主化運動は、軍の力で封じられた。学生と市民のおびただしい血が流されたが、  氏は学生や市民の動きを「共産党と社会主義、中華人民共和国を打倒、転覆させる反革命暴乱」ときめつけ、鎮圧の際死亡した兵士と公安職員に対してのみ黙とうをささげた。
しかし、子どもや母親まで無差別の発砲で死んでいった事実を世界中の人々は知っている。われわれはこの事件の犠牲者すべてに哀悼の意を表したいと思う。
学生指導者への追及が始まった。公安職員が大学にはいり、学生を逮捕、連行していると伝えられる。全国人民代表大会(国会)の万里常務委員長らは「学生の責任を追及しない」と表明していた。この約束をほごにするつもりなのだろうか。
学生指導者の摘発は、さらに改革派のインテリや学者に及ぶのではないかと懸念されている。戒厳指揮部は電話を特設して、密告を呼びかけている。文革中もそうだったように、人々は口をつぐみ、密告されるのではないかとおびえる暗い社会に逆戻りする危険も強まっている。
ハンスト開始後のぎりぎりの局面で学生運動に理解を示した趙紫陽総書記と、強硬・穏健両派の間を揺れ動いたとされる胡啓立・政治局常務委員の失脚が確実となった。
一昨年1月の胡耀邦辞任の際もそうだったが、選出母体である党中央委員会全体会議が開かれる前に、党の最高指導者の人事が実質的に決められる事態がくり返されようとしている。政治の透明度を高め、「人治」ではなく「法治」を重んじようとしてきた数年来の政治改革は、またも大きく後退した。
一連の強硬措置によって中国が失ったものは、少なくとも3つある。第1に共産党に対する人々の信頼、第2に「人民の軍隊は人民に銃口を向けるはずがない」という神話、そして第3に、国際的な信用である。
この10年、中国の発展ぶりは目ざましかった。開放・改革路線が人々に支持され、国際的にも歓迎されてたからこそ、人々の働く意欲が高まり、外国の投資がふえたのだ。
中国指導部は「開放・改革路線を堅持する」と再三表明している。だが開放政策は、国際的信用がともなわなければ成果があがらない。改革も、人々が心を合わせて取り組まなければ、形式的なお題目に終わるだろう。この意味で、中国が失ったものを取り戻すのは容易ではない。
日中両国は、歴史的にも地理的にも関係が深い。それだけに、時に大きな摩擦もあったし、中国への侵略戦争を起こした苦い歴史もある。しかしそれを乗り越えて日中間の友好関係をここまで発展させ、いまや社会体制こそ違うが親しい友人関係となった。
だからこそ、友人として苦言を呈さねばならないときもある。力だけで問題は解決しないこと、文革時のような暗くて閉鎖的な中国になってほしくないことをわかってほしい。世界が中国の事態をどう見ているか、中国の指導者は虚心に受けとめてほしいと思う。
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