|
1989/06/05 朝日新聞朝刊
(社説)天安門広場の流血を悲しむ
中国の首都北京の天安門広場に、おびただしい血が流された。民主化と対話を求めて座り込みを続けてきた学生とそれを支援する市民たちに、戦車や装甲車を動員した人民解放軍が本格的な銃撃を加えたのである。
死者だけで少なくとも百数十人、そのなかには老人や女性も含まれているという。新中国の建国以来、文化大革命のときに、対立するグループ同士の武闘で多数の死傷者を出したことはあっても、軍がこれほど多くの民間人に銃口を向け、引き金を引いたことはかつてなかった。兵士にも死者が出た。
学生や市民の運動は一貫して非暴力を追求してきた。出動した兵士には「人間の壁」をつくり、説得で対抗した。武器を持たぬ、無抵抗に近い学生や市民を弾圧した軍の行動は、きわめて遺憾と言わざるを得ない。
北京の中心部に戒厳令が出された後、当局は「軍は学生に向けられたのではなく、ごくごく少数の動乱を企てる者に向けられるもの」と繰り返し説明してきた。だが、「ごくごく少数の者」はだれなのか、なにを企てているのかについて納得できる説明のないままに、学生に対する強硬措置となった。
戒厳令は、中国共産党の最高ポストにあるはずの趙紫陽総書記を対象とした深刻な権力闘争の反映という見方が一般的だ。趙紫陽氏は学生の運動に対して理解を示し、対話に応じようとしたが、これを  小平氏ら党の長老が軟弱ときめつけたとされている。
首脳の居住区である北京・中南海の密室でなにがあったのかはわからないが、権力闘争のはてに多くの学生や市民が殺されたとすれば、その面では現指導部がきびしく否定したはずの文革の再現ではないだろうか。
天安門広場の武力弾圧事件は、国内的には党と解放軍の威信の失墜、国際的には中国のイメージダウンを呼ぶだろう。
 小平氏らの指導で始まった開放・改革路線は、さまざまなひずみを残しながらも全体としては大きな成果を収めた。中国は近代化へ向けて歩み出し、党の威信も少しずつ回復してきたかに見えた。しかし、経済改革に伴うインフレや幹部の職権を利用した腐敗(官倒)は社会に大きな不安をもたらし、これに対する批判が高まった。
学生デモを市民が支援したのは、こうした批判を非暴力的方法で整然と提出した学生たちの姿に共感を覚えたからだろう。だが党中央は対話に応ずるかわりに、かしゃくない武力をもってこたえてしまった。
革命期には、人民解放軍は人民のものは針1本盗まない規律の高い人民の軍隊との評価があった。学生や市民の間には「人民の軍隊が人民に銃口を向けるはずがない」という信頼があった。だが、それも崩れ去った。
開放政策をとって以来の中国は、世界の国ぐにから好意的に見られてきた。だが首都での今回の流血事件で、強権に頼って批判を封ずる国、という暗いイメージが広がるのを防ぐことはできない。それは、中国が今後も進めるはずの改革と開放の政策にとって、極めて好ましくない影響を及ぼすだろう。
香港の資本家たちは早くも動揺している。日、米をはじめ西側の企業も、新たな投資を手控えるかもしれない。
米国は今回の事件に「遺憾の意」を、わが国は「憂慮」を表明した。日米とも中国と友好関係にあり、中国情勢がこれ以上悪化しないことを望んでいる。中国が今後も開放政策を進め、世界各国との関係発展を望むのなら、国際的に広がる不安にも正面から目を向けてほしい。
天安門広場の学生の姿は、インタナショナルの歌声とともに消えた。4月中旬以来続いた中国の民主化運動は、当面は力で抑え込まれることになるだろう。だが、この事件によって、中国指導部は国内的にも国際的にも、大きな負債を抱えることになった。
学生や市民が熱っぽく求め続けた問題は、なにひとつ解決されていない。大切な隣国である中国が、民主的方法に立ち返って問題解決に当たり、内外の理解と協力を得られるようになってくれることを強く望みたい。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
|