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1987/07/06 朝日新聞朝刊
盧溝橋事件50年 (座標)
論説副主幹・田所竹彦
過去を直視する勇気を
北京近郊にある蘆溝橋は、800年もの歴史を持つ石造のアーチ橋である。1937年(昭和12年)7月7日夜、この美しい橋の近くで起きた日中両軍の衝突が、8年間にわたる日中戦争の幕開けとなった。
当時の新聞を見ていると、50年の歳月がうそのように、戦火の拡大を伝える活字の間から不安に満ちた雰囲気が伝わってくる。朝日新聞の場合、社説には7月9日付朝刊から蘆溝橋事件が登場する。この社説は「両軍部隊の衝突を見るに至ったのは、両国の不幸これより大なるはない」と述べ、交渉による解決を要望している。
その後もしばらくの間、日中関係の悪化を憂慮し、「不拡大」を主張する論調が続く。この年の8月中旬、戦闘が上海に飛び火し、政府が全面派兵に踏み切った段階になって、社説も中国軍に対し「ただ一撃あるのみ」と書くようになる。
戦争のタネは急に降ってわいたわけではない。日清、日露戦争以来、日本は中国大陸に勢力を伸ばした。1931年の「満州事変」を契機に、東北3省が事実上の植民地支配のもとに置かれた。このころから、日本の中国侵略が本格化したとされている。
○言論の抵抗弱まって
こうした動きに対し、言論側からの批判や抵抗もなくはなかった。だが大筋では、それは次第に弱まり、日中戦争から太平洋戦争へと進むにつれて、積極的な戦争協力さえ出てくる。さきに触れた社説の変化も、その過程で起きたことにすぎないのかもしれない。
従って、そこに述べられた平和への願いを過大評価するつもりはないが、50年前の執筆者たちが当初示した見識には敬意を表したい。同時に、なぜ彼らが大勢に流されざるをえなかったかも考えるべきだろう。きびしい統制下で情報が不足し、体制側の意に添わぬ言論には強い圧力がかかった。その上、ジャーナリズム側も自己中心的な見方がわざわいし、せっかくの情報や知識を生かし切れぬ場合もあった。
当時の社説は蘆溝橋事件の前年に起きた西安事件や、中国での抗日運動の高まりにも言及するが、それを「絶望的態度」ときめつけるだけに終わる。もし日本人の多くが、中国大陸やアジアに勢力を伸ばそうという国策だけにとらわれず、そこに住む人びとがどう受け取るかにも目を向けることができたなら、わが国の進路はよほど違っていたのではないか。
○きしみ出た日中関係
戦争は、中国をはじめとする相手国にも、日本自体にも大きな被害をもたらして終わった。
蘆溝橋事件から50年が過ぎて、私たちの身のまわりには平和な風景が広がり、経済発展のもたらした繁栄がある。中国との関係は、国交正常化以来、満15年になろうとしている。
日中間の経済関係は発展し、人の往来も活発だ。各種の世論調査結果を見ても、中国に親近感を持つ人が増えた。過去の歴史を思えば、極めて意義深いことといえよう。
ここ数年、さまざまなきしみも出た。教科書問題、靖国神社公式参拝、蒋介石遺徳顕彰、藤尾発言、政府機によるズ・ダン乗船者の台湾移送、防衛費1%枠突破、光華寮問題などで、いずれも中国側が提起した。
一見して明らかなように、戦争とのかかわりや台湾に関するものが多い。教科書問題や靖国公式参拝のように、すでに日本側が是正措置をとったものもあるが、光華寮のように、性急に対応を求められても処置に困る問題もある。改めるべき点があれば改め、日中関係の大局への悪影響を避けることが望ましいのはいうまでもない。
それにしても、すでに清算されたはずの過去をめぐって、隣国からなぜこれほど多くの問題が出てくるのか。
戦争はこりごりとはいうものの、あの時代に日本人をかり立てた一面的な発想は相変わらず――こんな傾向が私たちの間に多少なりともひそんでいるとすれば、他国から見ればやはり気になるのではないか。日本人の忘れっぽさや高慢への批判を聞くたびに、この疑問の消えがたいのを感じる。
○消えない戦争の記憶
最近、北京からきた知人によると、同じことが中国人の間でよく話題になるという。武器は捨てても、日本人が相手の立場を無視して経済的利益をむさぼるなら、かつての侵略と選ぶところがないと彼らはみる。日本側が投資や技術移転をしぶるような場合でさえ、ふと過去を連想するそうだ。
「戦争の記憶は傷跡のようなものだ。治っていても、消えはしない。何かの拍子にかゆくなったり、痛み出すこともある」と、今は米国籍だが、日中戦争期には中国側の新聞記者として活躍したこの知人はいう。
最善の道は忘れることではなく、双方がそれぞれの立場で戦争の記憶を大事にすることだ。中国人は蘆溝橋事件から長かった苦難の体験を振り返り、日本人も言論統制や軍部支配の暗さを語り伝えていく。「日中不再戦」の決意が両者の接点となりうる。これが異国の知人と話し合った結論だった。
過去を直視するには、時には勇気がいる。しかし、私たち自身の未来のために、その努力は欠かせない。
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