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1987/01/18 朝日新聞朝刊
(社説)中国の改革はどこへ行く
中国共産党の胡耀邦総書記が辞任した。政治局拡大会議の席上で胡氏が批判を受け、当人も「党の集団指導原則に対する違反、重大な政治原則での誤り」を認めたというから、事実上の解任といえよう。
中国では6年前、華国鋒氏が党主席から降格された。だがあの時は、すでに勝者だった  小平体制の足固めをする要素が強かったのに対し、今回は実力者の  氏が同じ改革を目指していたはずの胡氏を辞任させた。
それだけに、事態はかえって深刻だ。政治局決定は「引き続き全面的改革を実行する」というが、改革路線の混乱は、一時にせよ、避けがたいのではないか。
○禁圧された党への批判
先月以来、中国各地で起きた学生デモが、政変をもたらす直接の引き金になった。学生たちは「自由」や「民主」を求め、党に対する批判も口にし始めた。危機感を抱いた体制側がデモ禁圧に転じ、学生に影響力のある方励之・科学技術大副学長ら3人を党から除名し、さらに胡氏の辞任にまで発展した。
学生デモは  、胡両氏が指導した改革に触発されたものだ。昨年春以来、政治を改めなければ経済改革も進まないとの指導部のお声がかりで政治体制改革論議が起きた。学生たちの主張は最も熱っぽく、純粋な形で民主化などを求めたものに過ぎない。
身近な生活上の要求もからみ、改革の足どりの遅さにいら立ったインテリ・学生が反体制的な色彩を強めることに、胡耀邦氏はあまり敏感でなかった。
これは、指導者のなかで最も歯切れのよい改革推進派だった胡氏の宿命かも知れない。世代交代での大胆すぎる発言に対する長老グループの不満や、改革に不安をもつ既得権益層からの圧力も加わり、政治局拡大会議で胡氏の孤立を招いたようだ。
趙紫陽首相を総書記代行に任命したことで一件落着、とはいえないのではないか。自由化の行き過ぎを避けながら、どうやって改革を続け、中国的社会主義を実現させるか、必ずしも道筋は明確でないからだ。
近代化推進にあたって、在来型社会主義につきものの非能率や官僚主義にメスを入れるところから、中国の改革は始まった。それが党のあり方を問う厳しい突き上げに発展すると「党の指導」への挑戦を禁じた4つの基本原則に違反するとして、体制側から「待った」がかかった。
○  ・趙体制のジレンマ
党批判を力で封じこめるだけで、インテリや学生を含む広範な人びとが納得して、国家建設に積極性を発揮できるだろうか。党だけの力で、自らの体質改善は可能なのか。秋の党大会に向け、当面は  ・趙体制で臨むことになる中国指導部のジレンマは深い。
社会主義国ながら開発途上国でもある現実から出発し、改革を進めて近代化の達成をめざすほかに、中国の進路は見当たらない。とはいえ、改革によって在来型社会主義の短所を補うといっても、例えばどの程度に市場原理をとり入れれば最も効率が上がるか、といったモデルがどこかにあるわけではない。時には試行錯誤があっても仕方のない、新しい実験なのだ。
今後の中国に求められるのは、衆知を集め、開明的な立場から改革に取り組み、困難をひとつずつ解決することだろう。その課題の大きさから見れば、個別的な利害から権力闘争にふけったりする余裕はないはずだ。
10億の人口を持つ隣国の安定と発展を願う立場から、中国の改革が多少のジグザグはあっても、着実に実を結んでいくことを、われわれは期待する。
中国指導部は、対外開放政策に変わりのないことを重ねて明らかにした。そう願いたいものだ。中国が示してきた開放と協力の姿勢は、日中など個別の関係はもちろん、地域の緊張緩和にとっても好ましい。
かりに今回の決定を契機に思想の引き締めが強まれば、西側との交流が後退し、結果として経済関係に影響する可能性も皆無とはいえない。こうした局面にも冷静に対処したいものだ。われわれの期待は中国大陸に住む民衆の幸福であり、われわれが重視するのは国民相互間の長期的な友好にある、との立場をつねに明らかにしておきたい。
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