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この1年をふりかえって
漆蝋をふりかえって
菅家 文
 私達が漆蝋を始めて三年、絞った蝋でローソク作りを始めて二年になります。昨年度はローソクとして固める事はできても、ヒビが入り、朝から蝋掛けをして午後になっても太くならず、「いつ家に帰れるのだろう」六時過ぎの頃までやっても、毎回ヒビと蝋掛けクシから取れないこと。この繰り返しで、私には、漆ローソク作りは出来ないと毎回思ってきました。
 このローソク作りで一番欲しかったもの! それは、この作り方を知っている人、見てきた人です。私たちは、だれも知らない、何もわからない、そんな中で始めました。中には、昔、家でやってはいたが、自分はやったことはなく、よく見た事もないという人もいました。ですから、なかなか、かくどこが掴めず、ローソクとして今の形になるまでは、とても苦労しました。
 ローソクは、芯巻きから始めるのですが、いざ芯巻きをしようと思っても巻いた事のある人がいないのでできない。半日、一本も巻けない。材料や道具は全部そろっているのに! 何か手がかりはつかめないか悩んでいました。そこに栗城君が用事で来ました。私達は救われました。栗城君いわく「芯巻きは蜜蝋も漆蝋も同じだろう」と。彼は蜜ローソク作りの指導者です。忙しかったでしょうに、とてもよく教えてくれました。午後はとにかく巻きました。そうしているうちに要領もつかめるようになり、何とか燈芯ができて、巻けるようになりました。
 そして“蝋掛け”。狭く囲まれた部屋。中の温度が四十度もあり、その中での作業。額に汗とりを巻き、一度部屋に入ったら戸の開け閉めも注意しなければならない。とにかく温度を下げないこと。季節は真夏ですよ! 腕からも顔からも汗が吹き出て、目に入り、かすんできます。
 そんなやり方で一年以上、それでも納得のいくローソクにはなりませんでした。「もう、やめよう。先の見えないこんなこと」毎回そう思いながら家に帰っていました。
 そんな中、今年度は新しい会員が入会しました。若い方なので、会の中がとても明るくなってきました。少しでもいいローソクを作ろうと、十月に全員で研修にも行きました。以前、連続テレビ小説「さくら」のモデルとなった、飛騨、古川の三嶋和ローソク店です。ここでの研修が今のローソク作りにとても役に立ち、皆でやる気を出して一生懸命やることができました。
 やはり実際に見て、そして話を聞いてみないとダメだという事がよく分かりました。第一に古川の方ではやっていない時期にローソク作りをしていたということ。まして四〇度もあるところではやってはいけない、やらないとのこと。
 蝋掛けのできる温度は、○度から十八度位で、二十二〜二十四度位までは掛けられるということ。時期は春と秋が一番いいということでした。よく考えてみると、金山の場合、冬の仕事としてやっていたので、あのやり方でしかなかったのかな?
 それからローソクを作るのには、温度が一番大事なことだと分かりました。溶かした蝋の温度も以前は熱すぎました。だからいつになっても太くならないし、そのためにヒビも入っていたのでは。
 古川で使っている蝋は、漆ではなくハゼ蝋でした。そのハゼも買っているとのこと。金山のように実もぎからやるのではない。そうしてみると金山のやり方は他ではやっていないということです。
 十一月には高郷村に話を聞きにいきました。漆のローソクを最後まで作っていた人のところです。立派な農家の家で、玄関を入るとすぐのところに蝋掛けをしていた部屋がありました。やはり冬に作っていたのです。でも私達のような暑いところではやっていませんでした。今でもその時のローソクがあり、見せてもらいました。仕上げの色がとても良く、きれいなローソクでした。
 十二月十日に漆の実採りをしました。でも私は漆にまけるので、参加しただけでした。今年は実が少ないとかで、昔のように実を集めるのがとても大変です。漆の実採りから全ての作業を会員でやるのです。翌年の春から実落とし、実搗き、そして実をふかし蝋を絞り、蝋掛けをします。蝋にするまでは、漆にまける人はできないので、私は蝋掛けからの作業をしております。今年の後半は悩みながらも皆で話合いながら楽しく作業ができました。
 ローソク作りを始めて二年、やっとローソクになりました。それも買ってもらえるローソク。嬉しいです! 会員みんなで感激してしまいました。
 これから冬に入るので、ローソク作りの現場での作業は春まで休みです。休んでいる間に習った事を忘れないか心配です。
 来年は、もっといいローソクができますように! そう願うばかりです。
 
漆ローソク作りに参加して
若林富江
 「金山学を後世に伝える会」という大きな目的をもった会とは知らずちょっとした興味で今年から参加させていただいている新人です。
 この会が発足してから四年目を迎えると言う事も知らなかった。道具の復元製作から始まり試行錯誤の末、昨年からようやく本格的にロウソクを作り始めて今日に至ったとの事。先輩会員の皆さんには大変なご苦労があったことと思います。復元された数々の道具には大変な驚きであった。
 私は漆の実さえ見たこともなく、更にその木に雌木、雄木がある事すら知らなかった。実採り、木の実搗き、木の実ふかし、芯巻き、芯湿し、蝋掛けと参加して来たが、その一つひとつの行程は思ったよりつらい作業であった。昔の人たちの多くの知恵と苦労には頭が下がる思いであった。
 始めての作業は芯巻きだった。フワフワで柔らかいイグサは手に取るだけで切れてしまう。これをどう巻いていくのか、なかなかコツを掴む事が出来ずイライラした。先輩にやさしく指導してもらい、今では楽しく巻いている。これは女性の仕事として受け持っている。
 木の実搗き、蝋絞りは大変な重労働で主に男性全員の仕事である。蝋掛けはビニールで囲った密閉された小室内での作業で、中で火を使う為三十五度以上の高温となる。一日入ったきりの作業は大変なものであった。体中の水分が全て流れ出てしまうのではと思う程の汗をかいた。(デブの私には素晴らしいダイエットなのかも知れないぞ!! と自分に言い聞かせてみたり・・・)
 そんな厳しい条件の中での仕事にもかかわらず、完成する頃にはひびが入ったり、蝋かけクシが抜けなかったり、蝋が欠けたりと半分も良品が出来上がらない。がっかりだ。何回かそんな事の繰り返しの作業であった。何で? ・・・どうして・・・悔しくて仕方なかった。
 そんな中、十月半ば飛騨古川「三嶋和ろうそく店」の研修の話があった。NHKテレビのドラマ「さくら」で放映され全国的に有名になった所である。
 当店何代目? の主人が実演しながら一つひとつの工程をていねいに説明してくれた。会員全員が必死で聞き入った。質問もどんどんした。
 まず驚いた事は蝋掛け作業が開け放しの広い部屋で行われていた事だった。こんな状態でひびが入らないものかと。金山での密室からは想像もつかないことであった。十度〜十八度が望ましく、春、秋の作業が適しているとの事だった。暑い夏、寒い冬の作業は休まれるそうだ。
 金山では、その真夏の状態を作り出していた事になるのか・・・。飛騨地方では昔よりハゼ蝋を使用していて、漆蝋より製蝋しやすく、温度管理もらくとのことであった。蝋掛け時の温度は全て手のカンであり、温度計は一度も使用した事がないとの事。長年の職人技にはびっくりだった。試しに手を入れてみたがそんなに熱くない。金山での温度はずい分熱過ぎたようだ。五十度前後がベストではないか。蝋ごきの蝋は何回も良く練ること、などなど。これまで手探り状態であった私たちにとって、得る事の多い素晴らしい研修であった。
 私たちは十日後、期待を胸にさっそく飛騨流で作業を再開した。四〇本すべて出来上がった。とてもきれいなロウソクだ。みんなで歓声をあげた。研修の成果が表れたのだ。
 その後、高郷で昔、ロウソク作りをしていたというお爺さんにも話しを聞きに行った。長い経験の中で修得された参考になる話を沢山聞くことができた。
 とにかく自分でやってみなければ何が問題なのか想像もつかなかった。多くの失敗を繰り返すうちに、あれこれ試してみる前向きの意欲がわいてきた。その様な中での研修は私たちにとって素晴らしい収穫があったものと思われます。
 私は単純なきっかけから漆に関わりを持つこととなったが、この会に入れた事本当に良かったと思う。ロウソク作りがますます好きになってきたし、仲間とこれからも楽しくやって行きたいと思う。
 みんなに漆カブレが心配されたが、一度もカブレる事なく終る事ができました。と思ってもこればかりは、どうもわからないものらしい。カブレた事がなかった会員の人も今年はすごいカブレたりと体調にもよるのかもしれない。
 実は、私の兄も数年前から漆かきを始めた。時々カブレるらしく、ひどい顔をしている時がある。それでも最高の趣味を楽しんでいるようだ。兄妹で漆の話にはなしが弾むこの頃である。
 会員の皆さん、これからもよろしくご指導下さい。
 力を合わせてきれいなロウソクを作りたいと思います。
 
本年度の蝋燭作りを終えて
金山学を後世に伝える会
会長 渡部啓子
 漆の実による蝋燭作りは“かぶれ”との戦いである。書物によると「乾燥した漆の実では、かぶれない」とあったが、会員の中にはかぶれて医者通いする者のでる中、我々は、実の採取から木の実搗き、蒸し、蝋絞り、蝋掛けへと先人の手法そのままに蝋燭作りに励んできた。
 昨年までは書物を見ての試行錯誤であったが、研修に行って見聞して来た事により、漆蝋とハゼ蝋の扱い方の違い、今までの蝋及び室温の温度管理の誤り等を知り、ヒビの入らない製品ができる様になった事は一歩前進できたと思う。
 又、本年度は新たな会員を迎える事ができ、嬉しく思います。これからも年に一人でも二人でも会員が増えて行く事を望んでいます。
 
 平成十三年から少しずつ道具の復元をし、製蝋技術を復興させながら、平成十六年度本格的に蝋燭づくりを開始いたしました。本年の目標である“商品に耐えうる蝋燭三〇〇本”は、作業を開始した頃は技術的にも未熟であり、荷が重いように感じられましたが、会員が意欲的に試行錯誤を繰り返し、冬の始まりの頃にはそれを上回る数の蝋燭が出来上がりました。商品と呼ぶには、多少の改良点が必要なものもありますが、実もぎから一連の作業の労力や手間を考えるとまずまずの蝋燭ができたのではないかと思います。
 また、岐阜に研修に行き、かねてからの希望であった蝋燭づくりの現場を視察することができた事は、私たちにとって大きな収穫でした。それまでは、資料を参考に手さぐりでやっていた事を、実際に見て、聞いて、改めて今までの作業を見直すきっかけができ、更には技術の向上にもつながりました。
 特に蝋掛け部屋の温度管理については、自分たちの大きな間違いに気付き、その後の作業がとてもしやすくなりました。それにご主人のお話の中に自分たちの作業にも参考にできる事が多々あり、参加者は、〈やる気〉になって帰ってきました。実際、研修後最初につくった蝋燭が形、質とも一番のものです。
 更に県内でも最後まで蝋燭づくりをしていた人が見つかったので、その人のお話も伺うことができました。同じ漆蝋ということで、細かい作業内容についての質問にも的確に答えて下さり、その当時の生活の様子なども交えて聞くことができたので、昔やっていた作業のあらましを理解することができました。
 本年度の蝋掛けが終了後、私たちは出来上がった蝋燭を持って、県知事、会津地方振興局、そして金山町長に取り組みの成果を報告に行って来ました。全国でも稀な伝統文化を多くの人に理解してもらい、役立てる機会を模索していかなければなりません。
 来年度に向けて考えていかなければならないことに、漆の実の確保の問題があります。金山町には二ケ所計一〇・五ヘクタールの漆団地があります。これは、約三十年前に樹液採取を目的に植栽されたものですが、需用の激減により、現在は放置されています。昨年は実をつけましたが、今年は二ケ所ともだめで、実の確保が大変でした。今後は漆団地の下刈りや整備も考えながら、自分たちの力で集めていけるようにしたいと考えております。
 また、蝋掛けの技術を高め、均一の形にできるよう研鑚を重ね、更には一般住民を交えて“ろうそく作り”の一部を体験してもらえるような体験講座などを確立していきたいと思います。
 まだまだ蝋燭づくりは始まったばかりです。和ろうそくの温かな灯りを次世代に残せるよう、そして技術を伝えられるように努力していきたいと思います。
 
事務局 菅家波江
 
金山学を後世に伝える会
 
渡部啓子(会長)
星 正弥(副会長)
五ノ井信雄 諏佐義則 菅家 文
佐藤たい子 若林富江
菅家波江(事務局)
 
 競艇の交付金による日本財団の助成金を受けて作成しました。







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