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4-4 伊勢船型木造船完成披露式
 
開催日:平成16年11月13日(土)
開催時間:13:30〜14:30
開催場所:伊勢市神社町 神社「海の駅」
主催:社団法人東海小型船舶工業会
 NPO法人神社みなとまち再生グループ
事業名称:伊勢地域活性化に資する木造船建造・技術伝承事業
事業主体:社団法人東海小型船舶工業会
検討主体:伊勢木造船建造・技術伝承事業実施検討協議会
実施主体:伊勢木造船建造・技術伝承事業実施本部
 NPO法人伊勢河崎まちづくり衆
協力:NPO伊勢「海の駅・川の駅」運営会議
 NPO法人神社みなとまち再生グループ
式次第:主催者挨拶 NPO神社みなとまち再生グループ  理事長 中村清
 来賓挨拶
国土交通省中部運輸局鳥羽海事事務所長 朝日唯好
伊勢市  伊勢市長 加藤光徳
 命名の儀 社団法人東海小型船舶工業会  専務理事 山田恒治
 閉会の辞 社団法人東海小型船舶工業会 常任理事 出口元夫
 餅撒き
 試乗会 参加者120名
趣旨:伊勢船型の伝統を受け継ぐ木造船の完成を祝う会。
伊勢船型復元木造船の建造の目的。
(1)伊勢船型木造船の建造技術の記録と伝承
(2)木造船を使用した勢田川流域のまちづくり
木造船の基本設計:伊勢の伝統的な木造船の復元を中心に、勢田川での活用が行い易いことを基本とした。
◇船本体の基本形状(伊勢船型)
(1)船型:戸立水押
(2)船底構造:敷構造
(3)船体構造:棚板構造(棚と敷により船体縦強度を、横強度は横梁によって棚板を支える)
◇船の規格等
(1)乗船人員:20名程度
(2)主な活用:地域イベント及び勢田川の環境学習
(3)大きさ:地域シンボルとしての最小限必要な大きさ
(4)船の長さ:約11m
(5)船の幅:約2.1m
(6)推進機:船外機及び櫓
◇屋形の設置
不定期航路事業の活用をはかることを目標として、乗船客の利便性を高めるために、乗船時に小雨程度の風雨をしのげるように上部に屋形を設置。
◇屋根の形状
 下反り破風
木造船の活用方法:イベント等や観光など主にまちづくりに寄与するような活用を中心とする。
◇定期航路事業での活用
 毎週土・日曜日 観光客等の遊覧航行を行う。
 水上交通として、拠点間の運航。
◇イベントでの活用(定期運航以外の日)
1. 海の体験交流イベント 2. 一色能 3. どんどこ祭 4. 天王祭 5. マリンフェスタ
5. 港まつり 6. 御幣鯛船歓迎行事 7. その他
◇船を使った学習等への利用(定期運航以外の日)
 小・中・高生の学校行事や生涯学習としての市民参加の利用。
 
伊勢船型復元木造船完成披露式 (配付資料)
 
■木造船建造及び運航事業の位置づけ
伊勢市の計画
(1)伊勢市観光振興基本計画21 (2)伊勢志摩空間快適性向上整備計画
(3)伊勢市景観マスタープラン
計画の具体化への構想
・宇治山田港交流拠点整備構想
・海の駅・川の駅整備構想
上記の構想を結びつけ、広がりと深化させた事業
木造船建造・技術伝承事業(伊勢地域活性化に資する木造船建造・技術伝承事業)
1. 調査設計・技術伝承チーム
2. 管理運営チーム(船舶運航・語り部)
3. 記録・情報発信チーム
木造船の管理運営体制
 実施主体として、「NPO法人神社みなとまち再生グループ」が行い、勢田川流域の地元協力団体と調整組織である『NPO伊勢「海の駅・川の駅」運営会議』が支える。
 
■伊勢地域活性化に資する木造船建造・技術伝承事業の体制
 
 
■伝統的木造船建造の背景
◇ 伊勢神宮を核とした、伊勢市の変遷
(1)神宮鎮座 古代
・伊勢は山・平野・海のすべての要素に恵まれている。
・東国に向かって開かれた地域で、水上交通の要であり、大和朝廷の東国拡大の拠点の一つ。
(2)神宮と他地域との関係の深化 古代
・神宮の荘園(神戸・御厨・御園)からの産物の流通路として、街道及び水運路の整備。
神戸 ― 垂仁天皇に国造が寄進した本神戸を起源とする。
地域 11カ国(伊勢・大和・伊賀・志摩・尾張・三河・遠江・近江・美濃・上野・信濃)613戸
伊勢八郡の神戸 2,272戸
貢納品 米・八丈絹・布・卒駄(馬)
御厨 ― 魚介類などを中心に納めた。
御園 ― 野菜や果物を納めた。
(3)参宮者の増加による、伊勢の市場の拡大。 中世
・室町時代以後の参拝者の増加。
・御師の活動による伊勢信仰の全国的な拡がり。
参宮者拡大における伊勢の消費都市化
 伊勢参宮街道・二見街道及び港(大湊・神社)を拠点とした、米・野菜・各種海産物の流通の拡大。
大湊 ― 廻船問屋等が自治権を持ち、海運業や各地の廻船業者を対象にした宿屋が発達した。
・山田の町の市場化
大湊 南北朝時代には、吉野と東国を結ぶ中継港とし重要。
 熊野や九鬼水軍を押さえる港として重要。
 各地から神宮に奉納される品物を取り扱う港として重要。
 東国からの参拝者は、大湊へ船で渡ることが多くあった。
河崎
神宮への参拝者の拡大とともに、宇治(内宮)と山田(外宮)は市場町から門前町に変化。
宇治(内宮)と山田(外宮)にとって変わり、河崎が市場町としての機能を踏襲した。
要因
1. 勢田川の水運 2. 門前町山田の隣接地
  ↓
水運を確保するため、川ざらえ等の事業が行われた
伊勢の商船 伊勢船が東海と関東の物資の移動に使われていた。
文明13年(1481) 伊勢栗真・若松船三艘、有滝湊で北畠氏代官によて略奪される。
(船には諸国の参宮者が乗船していた)
永正6年(1509) 桑名船による神米や参宮者の輸送が懸念された。
(桑名が長野氏の討伐を受け、一斉に退去)
大正3年(1575) 北上氏政は、大湊の商人角屋助五郎に命じて参詣者の便船を命じる。
(4)造船業の発展と河崎の問屋街の形成 近世
江戸時代の海運
 当時は大阪と江戸が2大都市として多くの物資が海上輸送された。
主な輸送品 ― 米・油・木綿・酒・紙・醤油・下駄・金物・塩・砂糖・材木・炭・酢・
主な輸送船
・菱垣廻船
 始まりは堺の商人が、元和5年(1619)に和歌山富田浦の250石積船を借り、大坂から江戸に日常品(油・酒・木綿)を運んだ。
・樽廻船
 寛文(1661〜73)頃に、大坂伝法の船問屋が、伊丹の酒造仲間の援助で、小型船の「小早」と呼ばれる「伝法船」に伊丹の酒をはじめ、酢・醤油・塗り物・紙・木綿・金物・畳表等の雑貨品と組み合わせて送ったのが始まり。
宝永4年(1707)西宮に樽廻船問屋が成立。
船の大きさの変化
・江戸初期は500石以上の船の建造を禁止していた。
・寛永15年(1638)商船に限り、500石以上の船の建造が出来るようになった。
・元禄(1688〜1701)頃 500石の菱垣廻船が運航していた。
・享保(1716〜36)頃 1,000石の船が一般化した。
・19世紀初頭(1800) 1,500石が出来る。
・幕末 1,800石から1,850石
地域による船の構造の違い
・日本海 北国船、ハガセ船
オモキ造り ―
  刳り船の要素を残した、日本海沿岸の航行に適した船。船底材にオモキと呼ばれるL字に近い刳船部材を、左右に船尾から船首まで通し、その間に幅を広げるために丁と呼ばれる船底材を入れる。オモキの上には側材を継ぎ足した。
・瀬戸内海及び東海地方 二形船、伊勢型船、ベザイ船
 棚板構造 ― 船底材に中棚・上棚の外板を取り付ける。
大湊 造船の歴史
1. 角屋七郎次郎による大湊での建造船での安南(ベトナム)への渡航。
2. 徳川家光の伊豆伊東における安宅船建造に際しての、大湊出身棟梁内田三郎右衛門と大湊からの船大工の働き。
3. 伊能忠敬測量船の建造。
4. 幕末における幕府の船舶建造奨励による造船の活況。
河崎 問屋の歴史
1. 戦国時代に環濠と惣門を備えた河崎の原型が出来る(1439年頃)
2. 江戸時代参宮客の増加に伴い取引額が増加し、米と魚の卸し売りの専売件を得る。
3. 明治に入っても伊勢の商業の中心として、銀行の数も一番多くあった。
4. 昭和30年代を境に、輸送手段が船からトラックに変化し、問屋も郊外に移転した。
 
■伊勢船型の由来と経緯
 
◇伊勢船型が生み出された風土
(1)中世からの造船所として大湊(宮川・勢田川・五十鈴川によって出来た三角州に位置する)があった。
(2)宮川上流部に、杉及び檜などの造船用材に適した森林を豊富に有する大台ヶ原山系を控えている。
(3)宮川の水利を活かして造船用材を筏を組んで搬出することが容易であった。
 
◇伊勢船型の歴史
(1)15世紀(1400年代)頃に確立された。
(2)16世紀の中頃には伊勢の大湊を中心に発達した。
 軍船として艤装を施し、安宅船としても使われた。
事例1. 織田信長や豊臣秀吉の軍船として活躍した、九鬼水軍の阿宅船。
日本丸 全長約100尺・航長約83尺・肩幅31.3尺・深さ10尺
三国丸 全長約 尺・航長約 尺・肩幅 尺・深さ 尺
太一丸 全長約113尺・航長約93.8尺・肩幅35.5尺・深さ10.5尺
2. 『志州鳥羽船寸法』によると、豊臣秀吉の朝鮮出兵当時の鳥羽周辺で作った船のほとんどが伊勢船型であった。
伊勢船型の利点
荷物船として
 船首が広いため積載容積が大きく取れた。
軍船として
 大砲を装備するのに都合が良かった。
伊勢船型の欠点
 船首の水切が悪いため、速力が出にくい。
 航の幅が広く、根棚も中棚と同じように開いていて、横風帆走に不利。
 
(3)戦国時代から江戸時代初期には、伊勢地方のほか瀬戸内海や関東地方でも使用された。
(4)元禄元年(1688)に建造された快風丸(水戸黄門が蝦夷地探検用に造った船)は伊勢船型。
(5)江戸中期以後には帆走性能が重視され、伊勢船型の重要が激減した。
 大坂と江戸の航路が開設され、大量の荷物を短期間に運ぶ必要から、スピードの出る水押を採用したベザイ船が主流を占めるようになった。
(6)江戸中期以後は主に川船(利根川の高瀬舟)として全国の河川で使われた。
(7)江戸時代から名称が現れる団平船は、明治以後主に伊勢湾や三河湾沿岸の輸送に使われ、伊勢船型の流れを汲んでいる。(棚押さえと称した肋骨を設置した西洋型構造と和船型構造の折衷構造を持つ)
 
◇伊勢船型の特徴
(1)船首が戸立(平板)を採用している。
(2)棚(外板)と敷(船底)で構成された棚板構造で、横の強度は横梁によって支えている。
(3)櫓と帆両用の中世的な船型。
 
■伊勢型復元木造船の名称由来
 
詠人不知の詩に由来する
 
「舟遊び かのみやびとの それににて
みずき いざなう 神います杜」







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