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■木造船建造及び運航事業の位置づけ
伊勢市の計画
(1)伊勢市観光振興基本計画21 (2)伊勢志摩空間快適性向上整備計画
(3)伊勢市景観マスタープラン
計画の具体化への構想
・宇治山田港交流拠点整備構想
・海の駅・川の駅整備構想
上記の構想を結びつけ、広がりと深化させた事業
木造船建造・技術伝承事業(伊勢地域活性化に資する木造船建造・技術伝承事業)
1. 調査設計・技術伝承チーム
2. 管理運営チーム(船舶運航・語り部)
3. 記録・情報発信チーム
木造船の管理運営体制
 実施主体として、「NPO法人神社みなとまち再生グループ」が行い、勢田川流域の地元協力団体と調整組織である『NPO伊勢「海の駅・川の駅」運営会議』が支える。
 
■伊勢地域活性化に資する木造船建造・技術伝承事業の体制
 
 
■伝統的木造船建造の背景
◇伊勢神宮を核とした、伊勢市の変遷
(1)神宮鎮座 古代
・伊勢は山・平野・海のすべての要素に恵まれている。
・東国に向かって開かれた地域で、水上交通の要であり、大和朝廷の東国拡大の拠点の一つ。
(2)神宮と他地域との関係の深化 古代
・神宮の荘園(神戸・御厨・御園)からの産物の流通路として、街道及び水運路の整備。
(3)参宮者の増加による、伊勢の市場の拡大。 中世
・室町時代以後の参拝者の増加。
・御師の活動による伊勢信仰の全国的な拡がり。
参宮者拡大における伊勢の消費都市化
伊勢参宮街道・二見街道及び港(大湊・神社)を拠点とした、米・野菜・各種海産物の流通の拡大。
大湊 ― 廻船問屋等が自治権を持ち、海運業や各地の廻船業者を対象にした宿屋が発達した。
・山田の町の市場化
大湊
南北朝時代には、吉野と東国を結ぶ中継港とし重要。
熊野や九鬼水軍を押さえる港として重要。
各地から神宮に奉納される品物を取り扱う港として重要。
東国からの参拝者は、大湊へ船で渡ることが多くあった。
河崎
神宮への参拝者の拡大とともに、宇治(内宮)と山田(外宮)は市場町から門前町に変化。
宇治(内宮)と山田(外宮)にとって変わり、河崎が市場町としての機能を踏襲した。
要因
1. 勢田川の水運 2. 門前町山田の隣接地
 ↓
水運を確保するため、川ざらえ等の事業が行われた
(4)造船業の発展と河崎の問屋街の形成 近世
大湊 造船の歴史
1. 角屋七郎次郎による大湊での建造船での安南(ベトナム)への渡航。
2. 徳川家光の伊豆伊東における安宅船建造に際しての、大湊出身棟梁内田三郎右衛門と大湊からの船大工の働き。
3. 伊能忠敬測量船の建造。
4. 幕末における幕府の船舶建造奨励による造船の活況
河崎 問屋の歴史
1. 戦国時代に環濠と惣門を備えた河崎の原型が出来る(1439年頃)
2. 江戸時代参宮客の増加に伴い取引額が増加し、米と魚の卸し売りの専売件を得る。
3. 明治に入っても伊勢の商業の中心として、銀行の数も一番多くあった。
4. 昭和30年代を境に、輸送手段が船からトラックに変化し、問屋も郊外に移転した。
 
■木造船の基本構想
◇想定規模 ― 乗船人員10〜20名
・地域イベント活用と勢田川環境学習
・地域シンボルとして最小限必要な大きさ
◇操作性 ― 川幅の最狭ポイントの約二分の一に船の長さが抑えられることで、河崎川の駅までの航行が可能。
(この大きさだと、櫓での航行が可能)
◇活用 ―
(1)観光
(2)観光以外の産業
(3)教育・学習
(4)水上交通
◇最小乗務員 ― 2名
◇経済効率性 ― 汎用性が高く、定員に無理がなく、運用率、乗車率の向上を図りやすい。
 
■木造船の基本設計
◇船本体の基本形状(伊勢船型)
(1)船型:戸立水押の採用
(2)船底構造:敷構造
(3)船体構造:棚板構造(棚と敷により船体縦強度を、横強度は横梁によって棚板を支える)
◇船の規格等
(1)乗船人員:10〜20名程度
(2)主な活用:地域イベント及び勢田川の環境学習
(3)大きさ:地域シンボルとしての最小限必要な大きさ
(4)船の長さ:約11m
(5)船の幅:約2.1m
(6)推進機:船外機及び櫓
◇屋形の設置
不定期航路事業の活用をはかることを目標に、乗船客の利便せいを高めるために、乗船時に小雨程度の風雨をしのげるように上部に屋形を設置。
屋根の形状 下反り破風
 
■木造船製作協力者 6名(竹ヶ鼻町在住者)







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