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海洋文学賞部門佳作受賞作品
『南風(まぜ)の海』
中川 富士男(なかがわ・ふじお)
本名=同じ。一九五九年高知県生まれ。高知工業高等専門学校卒。公務員。趣味は鮎釣で、昨年の釣果は約八〇〇匹。和歌山県和歌山市在住。
 
 梅雨入り宣言が出されたばかりなのに、紀伊水道は雲ひとつ無く晴れ渡っていた。
 船長の谷口史郎は、いつものように寡黙に舵を操っていた。
 その横で航海士の杉山基次郎が、双眼鏡を覗きながらゴミの行方を追っている。
 一昨日の大雨で紀ノ川が出水し、大量のゴミが海域に流れ込んだ。
 その壮大なゴミの帯は、目映いばかりの朝日を浴びて、紺碧の紀伊水道にゆったりと横たわっていた。
「船長、こりゃ大変な状態やして。どっからとろらァ?」
「一番遠くやしょ」
 谷口は表情を変えずに面舵を切った。
 海面清掃船「きしゅう」の船体が大きく傾くと同時に、杉山の指示が船内放送で響いた。
「一番遠くのあの流木から潮岬や」
 船内放送を聞いた船員らが、あわただしく動き始めた。
 潮岬とは、方角を指し南進すると言うことである。ちなみに北進は大阪。西進は四国、東進は和歌山である。
 きしゅうは、和歌山県と徳島県に挟まれた紀伊水道に面する自治体の、広域連携事業としてつくられた海面清掃船である。
 係船場は和歌山港にあり、管理運営は関係自治体の組合方式で行われている。乗組員は全部で七名、少数だが海面清掃で鍛えられた精鋭部隊である。
 この日は、船体に装備された、四十立方メートルのコンテナに三杯のゴミを回収した。
 ゴミは満杯になると係船場に帰港し、クレーンでコンテナごと陸揚げを行う。
 陸揚げされたゴミは、しばらくの期間天日干しにされ、塩抜きされた後、近くの焼却場で処分される。
 この日は、ゴミが浮遊している海域と、係船場を三往復もし、最後の陸揚げの頃には日がどっぷりと暮れていた。
 一日の作業を終え、船体をブラシで水洗いする船員達は、皆押し黙ったままであった。
 実は、この日はきしゅうにとって特別な日であった。
 定年を二年後に控えた山元機関長が、持病の難聴の悪化により、今日を最後にきしゅうを下船することになっていた。
 船員の誰もが、数十年苦楽を共にした同胞との別れを、惜しんでいたのだ。
 機関場の仕事は、その日のエンジンの調子を長年養った耳で聞き分ける。
 その耳が悪くなっては、機関長としての職務を全うすることは出来ない。
 誰よりもそのことを知っている山元であればこそ、年度の替わって間もない中途半端な時期に、下船を決断したのだった。
 山元の代わりには、機関士の免許を持っている江口が、昇格することに決まっていた。
 しかし、山元が抜けることによって生じる一名の欠員募集は、まだ始まったばかりだった。
 その後十日間ほどの募集期間を経て、大阪市出身の吉田雅彦という若者が採用された。
 弱冠二十三歳であったが、海技免許を持っており将来を考えての採用だった。
 彼はその童顔とは不釣り合いな、身長一八五センチ、体重は百キロを裕に超える体格を備えていた。
 初出勤の日、前川課長と中藤係長に連れられた吉田が、船員達と向かい合った。
 大柄な吉田を前にした船員達から、小さなざわめきが起こった。
 吉田は緊張し、両手を指の先まで伸ばすと気をつけしたまま固まってしまった。
 その蝋人形のように動かない吉田に、船員達から、今度は小さな笑いが起こった。
 何とか挨拶を終えた吉田は、事務所で一時間ほど、海面清掃の概要説明を聞かされると、早速きしゅうに乗船した。
 緊張のほぐれない吉田を乗せたきしゅうは、いつもどおり紀伊水道へと出航した。
「中藤君よ。こりゃあ、今日は昼からマゼかもしれんな」
「たしかに雲の動きが怪しいですね。吉田君も着任早々にマゼの洗礼ですかね」
 と前川と中藤の二人は、空を見上げながら人ごとのように談笑した。
 マゼとはこの地方で南風のことを言う。
 瀬戸内海では、四国側の南から吹き下ろす強風を「やまじ風」とか、単に「まじ」と言うが、この紀伊水道を挟む和歌山や徳島では、南からの強風を「マゼ」と呼んでいる。
 紀伊水道には、太平洋から来る風を直接遮るものがないため、春先や夏場には強烈な南風が海上を吹き荒れる。
 きしゅうはゴミ回収の特殊船のため、小回りがきくように、船体はわずか百六十トンしかない。したがって、マゼの日には、大洋に浮かぶ木の葉のようにその船体は激しく揺さぶられた。
 揺れるだけなら船乗りの経験があれば、船酔いは避けられるかもしれない。
 だが、この状態でケンツキを操り、流木などのゴミを長時間回収するとなると、よほど神経を集中し続けなければならない。熟練者であっても、マゼの日の危険度や疲労度は数倍にも跳ね上がる。
 出航して半時間もすると、きしゅうは友が島の沖合に達していた。
「船長、今日はたいしたゴミはないやして」
「まぁ、吉田君にはちょうどええやしょ」
「前方の流れ藻にビニールがたくさんついてらしょ」
「よしゃ、あれにするかして」
 谷口船長の言葉を受けて、杉山はマイクを握った。
「前方三百メートル。大阪へ」
 船員達がケンツキを持って、各々所定の位置に着いた。
 ケンツキとは、物干し竿ほどの長い柄の先に、先端が十字型に尖った金具がついた道具である。
 見た感じは、小舟を操るためのハッカーに似ているが、よく見るとゴミ回収専用に作られたケンツキは、ハッカーとは似て非なる道具である。
 初出航の吉田は、船体中央部に装備されている、コンテナの最後尾に配属された。
 きしゅうの七名の配属は、右舷舳先に石本音吉、左舷舳先に満田巌、コンテナ中央部右舷側に江口良和、左舷側に上本達也、コンテナ最後尾に吉田雅彦である。
 そして、操船室では船長の谷口史郎が舵をさばき、航海士の杉山基次郎が司令塔となって、回収作業のコントロールを行う。
 ゴミに狙いを定めたきしゅうは、減速してゆっくりと前進を開始した。
 きしゅうは双胴船といって、二つの船を並列に繋げた構造で、その真ん中にある鉄網でできたコンテナにゴミを誘導し、集積する仕組みとなっている。
 ゴミの帯に合わせて、谷口船長が微妙な舵裁きを行う。
 舳先に立つ石本と満田のツートップは、腰を落として、巧みにケンツキを操り、次々とコンテナ内にゴミを誘導していく。
 そして、コンテナ内に流れ込んだゴミを江口と上本が、ケンツキを使って後方に効率よく送り込んでいく。
 最後尾の吉田の役割は、そのゴミをケンツキで掻き上げて、できるだけ高く積み重ねていくことであった。
 事前に説明を受けていた吉田は、実際臨場してその大変さに初めて気が付いた。
 コンテナ内に流れ込むゴミや海水は、川で言うと立っていられないほどの激流であり、誤って落ち込めばただごとではすまない。
 打ち砕ける海水の飛沫が顔にかかり、生臭い塩の臭いが鼻を突く。
 激しくゴミと海水が渦巻くコンテナをのぞき込んだまま、彼は思わず身をすくめてしまった。
「こら!吉田。はよォゴミ上げっしょ!」
 すかさず江口機関長の怒声が鳴った。
「は、はい」
 吉田は無我夢中でケンツキを操った。
 途中揺れる船体に何度も体をぶつけながら、延々と単純な動作を繰り返した。長身の彼は、他者ではぶつかり得ないところにまで頭をぶつけ、二三度はヘルメットが割れる勢いであった。
 二時間ほど経つと、そのあたりのゴミはすっかりと回収された。
「作業終了。今日は全員でいっぷくやして」
 その放送を聴くと、吉田は周りにはばかることなく、その場にしりもちをついた。
「なんやしょこれは、全然積み上がってないやして」
 とコンテナをのぞき込んだエグチンこと江口機関長の言葉が、うなだれる吉田の頭を更に押さえつけた。
「す、すいません」
 とっさに、吉田は大きく肩で息をしながら、立ち上がって謝った。
 確かに、これが荒天で流木だったらと考えると、彼は一層辟易した。
「まぁ、エグチン、そう言うても最初からは無理やっしょ」
 と、みんなから上ヤンと呼ばれている上本が、江口を宥めるように言った。
「どうやしょ、新米。まいったかして」
 と今度は、いかにも酒でつぶれたという、がらがら声が近づいてきた。
「人間は、こないして体を動かして働くもんやしょ。ばてるから飯がうまい。飯がうまいから健康やしょ。ほやから夜遊びにいけるんやしょ。わかったかぁ、ひよっこ」
 舳先から戻ってきた石本は、へたり込んだ吉田を見て大笑いすると、満田とともに船内に入って行った。
 この石本音吉は、みんなから音ヤンと呼ばれている。
 年齢は五十前後で、身長は百六十足らずの小柄だが、体重は百キロを超えている。
 顔というか正確には丸坊主にした頭の先まで赤銅色で、獅子舞のような顔立ちである。
 年季の入ったヘルメットには、何故かタオルのねじりはちまきが巻かれてあった。
 この音やんは毎日みんなの昼飯をつくっている、きしゅうの厨房長だ。
 だが、メニューはひとつしかない。それがきしゅう鍋である。
 きしゅう鍋は牛のすじ肉のだし汁で、その日によって何が入っているかは分からないごった煮の料理である。
 船員らは、飯だけ弁当箱に詰めて持ってきて、このきしゅう鍋をおかずに毎日昼食をとるのである。
 吉田は、寮のおばさんから渡された大きめの白飯弁当を広げた。
 落ち込み気味の彼は最初こそ遠慮気味であったが、きしゅう鍋のあまりのおいしさに、いつしか勢いよく箸を動かし始めていた。
 そして、気が付くと、最後のお汁まですっかり平らげてしまった。
「やっぱり若いもんはくいっぷりが違うわして。見てるだけでも気持ちがえいわしょ」
 谷口船長が、食後のたばこに火をつけながら目を細めた。
 吉田は、恐縮して大きな体を少し丸めた。「でも、さっきはちとびびっとったんとちゃうかっしょ」
 と横から音ヤンが、にやつきながらコーヒーをズルルとすすった。
「はぁ、きつかったです」
 吉田は謙虚に答えた。
「まあ、慣れやして」
 無口な満田が初めて口を開いた。
 満田は満ヤンと呼ばれ、四十代前半で、面長の顔立ちに鋭く切れ上がった目尻が特徴で、長くのばした髪の毛は後ろで結わえられ、口には立派な髭を蓄えていた。
 噂では、和歌山市内にある空手道場で、師範代を務めているとのことだが、その腕前を見た者はきしゅうにはいない。
 ただし、ケンツキを使わせたらきしゅうで、満ヤンの右に出るものは誰一人おらず、回収効率はこの人の腕にかかっていると言っても過言ではない。
「満ヤンのケンツキは、小次郎のツバメ返しやって呼ばれてらっしょ」
 とエグチンが、鼈甲の色つきメガネの端を指先でチョンと上げると、すかさず上ヤンが続けた。
「そうそう、風に舞い上がったゴミまで引っ掻き込むっしょ」
 すると音ヤンが、ケンツキに見立てた箸を一本づつ両手に持って、「満ヤンが小次郎のツバメ返しやったら、わいは武蔵の二刀流やして」とへっぴり腰でおどけると、食堂は爆笑に包まれ、吉田の口元もやっとゆるんだ。







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