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初秋 九州うんゆジャーナル
 
表紙絵(博多BAYSIDE)及び挿絵
森田正孝 作 日展会友、日洋会委員、熊本県美術協会会員、熊本県美術家連盟委員
 
九州での勤務を振り返って
 
 
国土交通省 国土交通大学校 教授
(前 九州運輸局次長)
小野芳計
 
 この7月1日、国土交通大学校教授を拝命するまで、約1年間九州運輸局海運本部長を勤めた。九州での勤務、生活を振り返ってみたい。初度巡視と称する最初の現場視察で各地域、各運輸支局を回った順に紹介したい。
 まずは、若松。本局と同じ北九州市内にあるが、鉄道で行くと鹿児島本線を折尾で乗り換え、筑豊本線で海の方へ向かうこととなる。洞海湾を抱え、いわゆる“川筋もん”と言われる気質である。ここでは、U所長を紹介せざるをえない。懇談の席で、私が「海老のシャコがすきだ」と言った瞬間である。彼は、「ガレジ、ガレジ」と連呼するのである。原産地では当該地名を用いないものである。例えば、筑前では筑前煮とは言わず、ガメニというようである。きっと若松地方ではシャコのことを「ガレジ」と言うものだと思っていた。しかし、違った。車庫をかけたガレージの「駄ジャレ」だった。その後、この話を他の7県で普及させたところ、「本当にそんなこと本部長の前で言ったのか」との問い合わせが殺到したとのことである。
 次は鹿児島。小倉からだと博多まで新幹線で約20分、(当時は九州新幹線ができる前だったので)博多から鹿児島本線で最速3時間40分。結構遠い感じがした。森田健作のようなS支局長が西鹿児島駅で迎えてくれた。桜島が雄大だ。この8月には長渕剛のオールナイトのコンサートがあるらしい。懇親の場はまたしても車の名前のようなカラオケ屋だ。誰がそんな趣向を広めたのだろうか。
 下関。山口県の西半分も海に関しては我が方の所管だ。門司港からは、下りで門司まで行き、山陽本線の上りで本州の方へ向かうこととなる。
 連絡船がないのに東京へ向かう方、即ち小倉から門司港へ向かう方が上りらしい。関門海峡の反対側からみると結構門司港も都会に見えるから不思議だ。T所長が案内してくれた。比較的女性の多い職場だ。
 
ガレージ
 
シャコ(車庫)
 
 佐世保。博多から長崎本線で肥前山口まで向かい、ここで同本線に別れを告げ、単線の佐世保線に入っていく。博多からおよそ2時間、早岐からは、逆方向となるから要注意である。造船、内航、米軍の街である。Yナンバーの車がたくさん走っている。W所長に聞くとヤンキーのYであると応えてくれた。ここで、Birthday Eveを迎えた。なぜか、懇談の席にケーキが用意されていた。W所長の気配りだろうか。感激ものである。
 長崎。今日も雨だった。博多から鹿児島本線、長崎本線と通り、その終点である。ここも造船、いやM社の街である。飲み屋では、M社、県庁、市役所の順にもてるという。ここでは、同趣向のO支局長がいた。更に忘れてはならないO専門官。音程はすっかりはずれているのにM社製と思われる装置の点数が妙に高い。私の点数を凌駕するのである。その後、再チャレンジして、この問題は無事解消した。このあと、長崎と鹿児島は何度も出向くこととなる。ただ、M社N造船所の火災は遺憾であった。
 佐賀(唐津)。ここは博多駅で地下鉄空港線に乗り、相互乗り入れしている筑肥線で、唐津に向かうこととなる。白砂青松の地である。競艇場も近くにあり、玄界灘越しに韓国を望む。K次長がにこやかに迎えてくれた。倉庫は内陸部の鳥栖の方に多いが、海事行政をやるにはもってこいの所である。
 熊本(三角)。鉄道では鹿児島本線を熊本で乗り換え、三角線の終点まで向かうこととなる。実際はF次長が熊本駅で迎えてくれ、車で三角まで向かった。その際、天草周辺も見せてもらった。ここでは三角弁が全くわからなかった。岡山という都会(?)で育った私には、難しい仕事だった。後で暗号を解読してもらって、ようやく理解できた。
 別途の用で、鵜飼の鵜匠のようなM次長らと肥薩線の人吉まで行ったが、その先にループやらスイッチバックやらがあり、鉄道愛好者にとっては夢のような素晴らしい線であった。また人吉は武雄以上の温泉街だという評判も耳にしたが、事実は確認できなかった。
 大分。小倉から日豊本線で一路大分へと向かう。サッカーの日本代表の試合の前日だった。T次長の案内で、チラッとビッグアイという壮大な試合会場を見たが、警備が厳しそうだった。別府から大分と非常に長い港湾の埠頭が印象的だった。もう少し集約した方がいい感じがした。ここにもCTがあるが、取扱量が今一歩である。懇親の場はいつものところ。これはどうやら私の趣味ではなく、皆さんの趣味のようである。
 福岡(沖浜)。やっと九州の州都といえる所にやってきた。ここの故M議員似のO次長が暖かく迎えてくれた。この方は、陸の出身らしいが妙に海のことも詳しい。当初、船乗りのような海の人かと思っていた。その後、やさしい対応ぶりに甘え、何度もお世話になった。
 その晩は、やっと中洲である。お魚屋での懇談の席でS課長から、「事務官なのに本部長は大学院をなぜ出ているのか」という質問には正直驚いた。
 例によって、更なる懇親は、カゼか二日酔いの時に食べるもののような名の店だった。(本当は「うずら」の仏語みたい)
 宮崎(細島、油津)。日豊本線で細島に向かう。途中、大分と宮崎の県境付近では、線形の関係で特急でも沿線の墓石の字が読めるスピードだということで有名だ。大分−佐伯間の高速化事業で、8分短縮するのに、数十億円をかけている。が、博多、小倉からは宮崎はあまりにも鉄路では遠い。陸の孤島と言われる所以だ。確か、九州各県知事が集まる会議は、東京か大阪で開催した方が早く集まれるという話を聞いたことがある。
 油津では、昼間からロシア人が多く歩いていた。今晩こそは数語覚えたロシア語を試すチャンスだと期待が広がる。が、K次長のアレンジは、レトロないつもの店だった。懇談、懇親の場が多くて、遊んでばかりいるように思われるが、ここでの重要な任務は、細島、油津の事務所を廃止し、宮崎の陸の庁舎に統合する事だった。N市の市長にもていねいに説明し、ご理解を得た。
 
 
 奄美大島(名瀬)。身内の不幸で鹿児島から直接行けなかったので、羽田から航空機で向かうこととなる。門司から行くより時間的には早い。通常は鹿児島から航空機か船で向かうこととなる。F所長が暖かく迎えてくれた。お昼に「けいはん」というものを食したが、関西の私鉄のことかと一瞬間違えてしまった。とてもあっさりとした南国ならではの食べ物であった。
 ここも、平成15年度限りで閉鎖する事務所なので、N市の市長に説明、ご理解をいただいた。内輪の夜の懇談の席では、黒糖焼酎がだされ、この時以来、当該焼酎の虜となってしまった。ここでは「レント」と「里の曙」がポピュラーとのことであったが、喜界島の「南の島の貴婦人」は7月の初留取りの時しか生産していないレアなものでなかなか手に入らない。「ウォッカ」のように冷凍庫でも凍らずさっぱりしたロック向きで、その後この焼酎を好むようになった。
 なお、自然もまだまだ豊かで、偶々、ルリカケスを見ることができたが、耳があまり長くない黒ウサギは残念ながら見られなかった。黒ウサギグッズもキーホルダーぐらいで、せめてぬいぐるみくらいあればと思った。帰路、夜のフェリーで一路鹿児島港へ向かったが、ほとんど眠ることはできなかった。
 
 1年という短い期間で、あっという間に過ぎ去ったが、当初細かいことばかり言い、酒も飲めない(事実ドクターストップあけで、九州で飲めるというとどんなに飲まされるか恐れていた感もある)つまらない本部長だと言われてきたが、徐々に酒(九州の場合は焼酎)も飲めるようになり、局の皆さんとも仲良く仕事ができるようになった。
 心残りは、鉄道担当次長と自ら任じていたのに、門司港レトロ列車を軌道に乗せることができなかったことと種子島航路において、適正な競争を見届けることができなかったこと、「博多祇園山笠」と「海フェスタふくおか」を見られなかったことぐらいではないだろうか。
 離任にあたり、ある知事から今後の九州はどうすればよいかを聞かれたが、「九州が1つになって観光なら観光の分野で一体的に推進していくべきではないでしょうか。」とお応えした。
 今後の九州の発展を望むばかりである。
 
海フェスタふくおか
●期間 平成16年7月17日(土)〜25日(日)9日間
●会場 博多ぴあトピア(ベイサイドプレイス博多埠頭、中央ふ頭)、シーサイドももち、マリナタウン海浜公園、香椎浜地区、海の中道、志賀島、能古島など 博多湾一帯
●実施事業数 53事業
●総参加者数 35万人
●実施主体 主催 海フェスタふくおか実行委員会
共催 社団法人博多港振興協会
後援 国土交通省、海上保安庁、気象庁、独立行政法人航海訓練所、福岡県、福岡県教育委員会、福岡市、福岡市教育委員会
特別協賛 日本財団
 
日本丸セイルドリル
 
海フェスタふくおか記念式典
 
海フェスタふくおかヨットレース







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