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私はこう考える【公営競技・ギャンブル】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


『ギャンブルに関する学際研究』
日本リゾートクラブ協会スポーツ産業寄附講座
平成6年度研究報告シリーズ
松田義幸
7.ギャンブルの制度的側面
(1)ギャンブルと法制度
 第二次大戦後、アメリカでは合法、非合法を問わず、ギャンブルの人気が高まり、ネバダ州では、ギャンブルの中心地として、すべてのギャンブルが合法化されるに至った。1964年から1974年までの10年間に13州が州営富くじを開始している。わが国でも、戦後、公営ギャンブルの人気を集め、“ギャンブル”ブームは今も競馬、競艇をはじめ根強く続いている。
 ギャンブルの歴史は、ギャンブルの合法化、非合法化の歴史であると言えなくもない。第1章「ギャンブルの歴史」で述べたように、ギャンブルは人類の歴史と同じく古く、古今東西を問わず、人類はギャンブルに対する強い愛着を示してきた。ギャンブル熱によって個人はもちろんのこと、国民全体までが社会的危機を経験する事件すらあった。ギャンブルの偏在性とギャンブルがもたらす社会悪をどのように比較考量するかがギャンブル合法化、非合法化を分ける大きなポイントであるが、数多くあるギャンブルの中で比較的社会悪をもたらす可能性の少ないものを合法化して、国ないし、地方自治体の財源としようとする経済的理由も見逃せない。また先進工業国における余暇の増大、レジャー活動の大衆化という現象もギャンブル合理化を促進する大きな力になっている。
 ここでは、第二次大戦後、ギャンブル熱が急激に高まったアメリカにおけるギャンブル合法化の経緯を紹介する。
 まず、デニアン・V・バークの論文「アメリカにおけるギャンブル合法化、分析と予測」の概要を紹介しよう。
 
 アメリカでは第二次大戦後、1964年にニュー・ハンプシア州がはじめて州営富くじを開始した。その80年前まではルイジアナ州が州営富くじを行っていたが、その悪弊がひどすぎるため、州営富くじを禁止する州が増えたといういきさつがある。現在でも、当時のまま、州営富くじを禁止している州が多い。1967年にはニューヨーク州が州営富くじを開始した。1971年には、ニュージャージー州が加わり、これが大成功を収めたため、これに追随する州が増えた。1974年末現在で13州が州営富くじを行っている。
 ネバダ州のラスベガスではあらゆる種類のギャンブルが合法化されている。しかし、ラスベガスでギャンブルを運営しているのは、州政府の認可を得た民間企業である。これに対して、上記の州営富くじは、州政府が直接富くじを運営している。この両者の相違点に注目する必要がある。
 また、1971年にはニューヨーク市で競馬などの場外ギャンブルが合法化された。これが、アメリカにおける公営場外ギャンブルのはしりである。(ネバダ州でも場外ギャンブルが合法化されているが、場外ギャンブルの運営は民間企業によって行われている。他の州では場外ギャンブルも州政府ないし地方自治体が運営している。)
 アメリカではフットボール、バスケットボール、野球などの試合の結果に賭けるスポーツ・ギャンブルが異常にさかんであるが、このスポーツ・ギャンブルを合法化しているのはネバダ州だけである(運営は民間企業)。しかし、このスポーツ・ギャンブルを合法化して公営スポーツ・ギャンブルを運営したいという希望を持っている州が相当あるようである。
 司法省が発表した調査報告によると、アメリカでスポーツ・ギャンブルに次いで、ギャンブラー人口の多いのが数あて富くじ(ナンバーズ)である。しかし、このギャンブルを合法化している州はまだ一つもない。1973年に、ニュージャージー州が毎日抽せんの行われる富くじを実験に行ってたが、数あて富くじの人気には勝てず中止したといういきさつがある。カジノ・ギャンブルは今のところネバダ州だけで合法化されている(これを運営は民間企業)。
 このように、アメリカではギャンブル公営化(ネバダ州のように合法化しても、ギャンブル運営は民間企業に託すのではなく、合法化したギャンブルを州政府地方自治体が自ら運営する)の機運が高まっているが、その背後にあるのは何か?もちろん、公営ギャンブル運営にとって、文字通り渡りに舟であった。公営場外ギャンブルも同様に地方自治体にとって貴重な財源になっている。
 アメリカの国民は税金に対してきわめて辛辣で、税率引上げに対しては強い抵抗を見せる。税収入の増大がはかばかしく行かない州政府や地方自治体が、税収入にかわる財源はとしてギャンブル公営化政策を採用したことは、それなりに理解できることである。しかし、州営富くじは財源としてはさほど妙味のあるものではない。たいていの州の場合、州営富くじから得られる収入は州の前収入の3%以下であるという。それでも、州営富くじによる収入が州政府の財源において無視できないものであるということは、州政府の税収入が完全に行詰まっていることを物語るものであろう。
 州政府や地方自治体の財政状態がこのまま推移する限り、ギャンブル公営化の傾向は間違いなく全米に広まろう。かつてルイジアナ州営富くじのようにスキャンダルが発生する可能性もきわめて小さい。戦後の公営ギャンブルがギャンブルとして成功しているのは、州政府、地方自治体のギャンブル運営が誠実で公正であるからである。これは非常に重要な事実である。ゲームは公正に行われ、やくざ等が介入する余地はないし、公衆の利益がよく守られている。公衆が公営ギャンブルを信頼していることは、公営ギャンブルに参加する人の数が違法ギャンブルに参加する人の数に比べて圧倒的に多いことから見ても明らかである。
 また、州政府がギャンブル公営化に踏み切るもう一つの理由となったのは、他州の州営ギャンブルによって州民の金が他州に流れてしまうという事実である。たとえば、ニュージャージー州が州営富くじを開始したため、近隣の州は金がニュージャージー州に流出するのを防止するために、州営富くじを開始したと言われる。しかし、このような理由で州営ギャンブルが開始されるのは決して好ましいことではない。
 ギャンブルそのもののプロモーション活動がこの傾向を促進したことも事実である。特に州営富くじの場合、マーケティング技術の巧拙がその成否に重大な影響を及ぼすといわれる。同じく公営場外ギャンブルもプロモーションとマーケティングによって成功している。
 この傾向を促進するもう一つの要因に、違法ギャンブルが各地でさかんになり、これが犯罪組織の私腹をこやしているという事実がある。最近、司法省が非公式に行った調査の結果によると、違法ギャンブルで犯罪組織が動かしている金額は290〜390億ドルと推定されている。この金額のうち、約64%がスポーツ・ギャンブル、25%が数あて富くじ、11%が違法競馬に賭けられた金額であるという。このスポーツ・ギャンブル、数あて富くじ、違法競馬が現在アメリカで行われている主な違法ギャンブルである。また、この金額のうち、約42%が犯罪組織を経由してギャンブル以外の違法活動に利用されているという。州政府としては、ギャンブル公営化によって、違法ギャンブルを通して犯罪組織に金が流れるのを阻止したいという気持ちを持っている。また、一般大衆もこそこそギャンブルをするよりは、公営化によって公然と楽しみたいという欲求を持っている。依然としてギャンブルを罪悪視する南部を除いて、ギャンブルをレクリエーション活動と見る傾向が強まっている。
 アメリカで、ギャンブル公営化が進む背景には上記のような事情があるわけだが、この傾向が今後も続いた場合、どんな事態が発生するだろうか?
 最も確かなことは、ギャンブルがますますさかんになるだろうということである。従って、ギャンブル産業は急成長を遂げるものと思われる。公営のギャンブル事業所の数が増えれば、これが民間のギャンブル企業の成長を促す。
 この予測に関連する要因として次のようなものがある。(肯定的要因もあれば、否定的要因もある)
1. 現行の連邦規則は州営富くじを抑止する効果を果している。たとえば、州営富くじのプロモーションにテレビ、ラジオは使用できない(テレビ、ラジオは州境を越えて放送されるからである)。また、郵便によって州営富くじのプロモーションを行うこともできない。富くじに関する連邦法は富くじにまつわるスキャンダルが頻発した1800年代後半に制定されたものである。
2. もっとも、これらの連邦法、州法は実施面で問題があるようで、州によって規制活動に大きな違いがある。州営富くじを公営化する州が増えたため、ギャンブルを取締る連邦政府機関が州政府に代わって規制活動を強化しつつある。たとえば、国税庁、司法省、郵便公社などが州政府に富くじ規制の指導を行っている。
3. 連邦法そのものに変更が見られるようになってきた。現在、連邦議会に富くじ関係法案が23件提出されている。これらの法案が成立することになれば、州営富くじの人気はさらに高まるものと思われる。たとえば、テレビ使用禁止が解除されれば、州営富くじの売上高は25%以上増大するだろう。プロモーションの方法如何ではこの数字がさらに大きくなるかもしれない。
4. 新たに開設される富くじや公営場外ギャンブルの成否が重要性をおびてくる。なぜなら、これらが成功すれば、ギャンブル公営化に踏み切る州が増えるだろうし、失敗すれば、ギャンブル公営化を控える州が増えるだろう。
5. ギャンブルを取締る連邦政府機関、州政府機関の態度も無視できない。連邦政府機関はもとより、州政府機関の多くも州営富くじに反対の態度をとっている。州営富くじに限らず、公営ギャンブルが増えれば、それだけ規制活動が増大するからである。
6. 州政府や地方自治体の財政状態も重要である。州政府の場合、財政が安定していれば、ギャンブルを公営化する意欲は弱い。
7. 連邦ギャンブル委員会が設置され、ギャンブル公営化問題を調査研究している。ギャンブル国家政策審議委員会(CRNPC)がそれである。この委員会の今後の動きがアメリカにおけるギャンブル公営化、ギャンブル合法化に重大な影響をおよぼすだろう。
 
 以上の要因を考慮に入れて、今後10年間のギャンブル公営化、ギャンブル合法化の傾向を予測すると、次のようになる。
a. 28州で州営富くじが実施されるようになるだろう。そして、これら28州が運営する富くじの数は64にのぼるだろう。
b. ニューヨーク州における公営場外ギャンブルはさらにさかんになり、その他の5州でも公営場外ギャンブルがさかんになるだろう。この結果、アメリカにおける公営場外ギャンブル事業所数は合計12になるだろう。これは、ネバダ州における公認の民間場外ギャンブル企業とは別の存在である。
c. 現在、ネバダ州においてのみ、合法化されており、他の州では違法となっているスポーツ・ギャンブルは1980年までに少なくとも7つの州で公営化されているだろう。
d. スポーツ・ギャンブルに次いでギャンブラー人口が多いと言われる数あて富くじは今後5年間に6つの州で既存の州富くじ委員会によって公営ギャンブラーとして運営されるようになるだろう。
e. 競馬はスキャンダルが多く、一般大衆の関心が薄れてきているが、パリ・ミューチエル方式のギャンブルは今後も伸びるだろう。1980年までには、パリ・ミューチエル方式のギャンブルを行う州が現在の30州から35州に増えるだろう。ドッグ・レースは12州で、また、ハイアライは6州で公営化されるだろう。
f. カジノ・ギャンブルは、1980年までに3つの州で公営化されるだろう。ネバダ州では公認の民間企業がカジノを経営しでいるが、他の州ではカジノを公営化するものと思われる。ネバダ州のカジノにはいろいろ問題があるからである。
 最後に、ギャンブルに関する学問的研究の参考になると思われる提案を示しておこう。
a. アメリカで今後もギャンブル公営化が進むとすれば、ギャンブル機会の増大にともなう重大な社会的、経済的問題が表面化する可能性がある。また、ギャンブル市場に集中する資金をどのように活用するかも重大な問題である。
b. 現行の反ギャンブル法を実施する上でコストと便益の比較考量が急務である。また、ギャンブルが合法化された場合の犯罪防止コスト、社会福祉コストがどう変化するかも研究しなければならない。これまでのところ、この領域における研究が不足している。
c. 公営ギャンブルの運営にあたっては、ギャンブル規制法、ギャンブル制度、政府、運営機関が有機的に作用することによって、公正な運営が可能になることを忘れてはならない。公営ギャンブルは公共の利益を最優先させることに意義がある。
ネバダ州の合法ギャンブル
 次にウィリアム・R・イーディントンの論文「合法ギャンブリングに関する考察」を紹介しよう。この論文はネバダ州におけるギャンブル合法化の成功の理由を考察したものである。
 
 経済的見地から見れば、ネバダ州の合法ギャンブル実験はまさに大成功であった。それならば、なぜ他の州もギャンブル合法化に踏み切り、雇用と税制面の利益を享受しようとしないのか、という疑問が生じる。他の州がネバダ州にならっていたら、ネバダの基盤となっているギャンブル産業は衰退して、ネバダ州は40年前の状態に逆戻りしていたはずである。このような疑問がよく提示されるが、これは、アメリカでネバダ州だけが、カジノ・ギャンブルを合法化しているからであり、また、アメリカ中でカジノ・ギャンブルが合法化されたことがないからである。
 しかし、ネバダ州の実験からいくつか妥当な予測を行うことはできる。もっとも、この予測も、他の予測と同じく、推論に基づくものにすぎない。この予測を完全に検証するには、他の州でカジノを合法化し、その結果を観察する以外にないわけである。
 合法ギャンブルはネバダ州以外にも、30以上の州がなんらかのギャンブルを合法化している。パリ・ミューチエル方式の競馬、ハイアライ、スロット・マシン、ビンゴなどいろいろある。州営富くじを除いた合法ギャンブルによる政府の収入という点では、ネバダ州はニューヨーク州、カリフォルニア州、フロリダ州に続いて第4位なのである。たとえば、1973年度の数字を見ると、ニューヨーク州のギャンブル関連収入はネバダ州のそれの2倍以上であった(ニューヨーク州の1億5,670万ドルに対してネバダ州は6,230万ドルであった)。
 また、合法ギャンブルが実施されていないところでは違法ギャンブルがはびこるという事実にも注目したものである。控え目に見積もっても、違法ギャンブル・プロモーターが取得する金額は年間60〜70億ドルを越すといわれるから、州政府が選ぶ道はギャンブル合法かギャンブル全面禁止のいずれかだ、と考えるのは早計にすぎる。むしろ、カジノ・ギャンブルを合法化した場合、観光客の増加、雇用機会の増大、税収入の増加などによって得られる便益が、カジノ・ギャンブル合法化にともなって生じる社会的、経済的コストを上回るかどうかを比較考量することの方が重要である。しかし、この問題は経済分析だけで解決できる問題ではない。ギャンブルはアルコールと同じで、社会における個人にとって便益にもなるし、破滅の原因にもなる。しかし、ネバダ州における合法ギャンブルの経済学を分析することから新たに重要な事実が明らかにされるかもしれない。
(2)合法ギャンブルの成否は運営法次第
 完全な統計データがあるわけではないが、カジノに通うネバダ州の住民の多くは、ネバダ州に古くからいる住民でもなく、また、ギャンブル経験も浅いと言われている。また、この種の住民は中流階級の下層部ないし低所得層に属しているとも言われている。ネバダ州のカジノには専門的職業人やホワイト・カラー族が殆ど見当たらないという現象も、カジノ・ギャンブルの性質を考える上で重要である。
 中所得層、高所得層に属するネバダ州住民が殆どカジノ・ギャンブルをしないという理由は、新しくネバダ州に住民したギャンブラーのカジノ・ギャンブル観を調べることによって解明されるかも知れない。
 カジノは一種独特の娯楽施設である。新しくネバダ州に移住したギャンブラーたちは、当初、観光ギャンブラーと同じ動機でギャンブルを始めたかも知れない。カジノ・ギャンブルに参加するというスリルと時折勝利をおさめたときの快感が忘れられず、すっかりすってしまったにも拘らず、再びカジノを訪れる人が多いようである。しかし、時が経ち、カジノ独特の雰囲気に馴れてくると、ギャンブラーは次の二つの事実に気づく。たいていのカジノ・ゲームは勝っても負けても移動する金額は少ない。ギャンブラーに対するカジノ側の優位度は1〜10%と小さい。短期間に完全に負けてしまうことも時にはあるが、長期間にわたり負け続けることはあまりない。そのため、長期間カジノ・ギャンブルを続けていると、ゲームを適当に楽しむのが一番得策と思うようになり、ギャンブルをする楽しみを得るために一定の金額を使おうという気になって来るのである。
 ギャンブルの快感は主として「自分は運がいい」と感じるときに得られる快感である。しかし、幸運は参加の量に反比例する。人は、ギャンブル経験が深くなるにつれて、勝ち負けはあまり問題にしなくなるものである。賭け金1ドル当たりの損失額がゲームの期待値にほぼ等しくなる。その結果、当初強いスリルを覚えたギャンブラーもギャンブル衝動が次第に弱まってくる。はじめは、数回の賭けの結果についても不安を覚えるが、やがて数十回賭けた場合の結果についても確信がもてるようになり、同時に、最後には勝つという希望も消え、ゲームに参加するスリルもあまり感じなくなってしまう。その結果、富の追求、娯楽という動機も消えてしまう。
 この段階で、ギャンブラーは次の三つの道のいずれかを選ぶことになる。当初の理由がすべてなくなってしまったので、全面的にギャンブルをやめてしまう。最後には負けると知りながら、今まで通りギャンブルを続ける。あるいは損をしないようにゲームそのものを変えるか、戦略を変える(たとえば、勝つ確率が低く、勝っても負けても移動する金額が大きいギャンブルに変える)。
 しかし、この確率の低いギャンブルは、投資の形態としては、別のもっと割安で確率の高い投資方法を知っている中流階級、上流階級にとっては効率が悪い。この種の賭けごとは富を追求するギャンブラーの仕事という先入観も手伝って、中流階級、上流階級はこれ以上賭けをしようとは思わない。
 低所得層に属する人びとにとって、ギャンブルは富を増やす方法として効率がよい。それで、低所得層は、ギャンブルを富の追求よりむしろ娯楽と見ている中流階級や上流階級に比べて、ギャンブルを続ける傾向が強い。このようなわけで、カジノ・ギャンブルが合法化されている地域においては、ギャンブルをする住民の社会経済的レベルは地域全体のそれよりもいくぶん低くなると考えることができる。
 以上はネバダ州の住民についての推論であるが、では、ネバダ州のカジノを訪問するカリフォルニア州住民の場合はどうであろうか?ある程度までは、同じことが言えると思う。観光に来てギャンブルを始めた人の多くは、やがて勝ち目がないことに気づいて、ネバダ州に来るのをやめてしまう可能性が強い。ネバダ州の住民と観光客の間には、自分のギャンブル経験に対する見方に大きな違いがある。観光客の場合は自分の住居がカジノから遠く離れているから、ギャンブルを日常生活から隔離された富の追求活動と考えがちである。一回の滞在期間が短いため、勝って家に帰る確率、また、そうしたい期待が強くなる。従って、何回かの訪問でどんな成績を収めたかを計算することを引きのばす傾向が強い。言い換えれば、観光客は毎回の成績を気にする。これに対して、住民の場合は、毎回の成績にばかりこだわってはいられない。観光客は勝って帰ろうという気持ちが強いが、住民の場合は、確率が低く、動く金額の多いゲームをしない限り、このような気持ちになることはない。従って、中流階級や上流階級に属する人は、ギャンブルが合法化されていないところに住んでいる場合、ギャンブル衝動が強くなる。しかし、合法ギャンブルは比較的身近なところで行われている。おそらく、ネバダ州を訪問する観光客の社会経済レベルはネバダ州住民でギャンブルをする人びとのそれよりも高いものと思われる。
 以上から、合法カジノを始めようとしている州に対するアドバイスは次のようになる。ギャンブルが低所得層以外にアピールするものにしようとするなら、ギャンブル場を中流階級、上流階級が住む地域からかなり離れたところに置くべきである。いっぽう、中流階級、上流階級にアピールするようにすると、カジノに来る下層階級の人びとの数は激減するだろう。従ってネバダ方式のカジノ・ギャンブルを実施しようという場合は、住民もさることながら、どの程度観光客を誘致できるかを真剣に考えるべきである。
 過去数年間、いくつかの州がネバダ方式の州営ギャンブルを実施する計画を明らかにした。これらの計画がうまく行くかどうかは、上の議論に照らして予測することができよう。発表された州営カジノ予定地のいくつかは、上の議論に照らして適切である。カリフォルニア州のアタリナ島、ニューヨーク州のキャッツキルズ、フロリダ州のマイアミ・ビーチ、ニュージャージー州のアトランティック・シティなど比較的遠隔地である。これらの予定地は少数の地元民がいるところか、すでに観光地として実績を有しているところである。これならば合法カジノで成功する可能性が大きい。しかし、本当に成功するか否かは、その地の要因―カジノの運営方法やカジノ規制の方法―に左右されるだろう。
 ワイオミング州、ニューメキシコ州、モンタナ州などの西部の州は収入源として、また観光振興の材料として、カジノ・ギャンブルを合法化する計画を立てている。しかし、この計画によって、ネバダ州に見られるような一大ギャンブル産業が出現するかどうかについては疑問の余地がある。その理由は、週末の観光、ギャンブル事業を成功させるほどの中心地区がその近隣にないからである。他の州から毎年相当数の観光客が来るにしても、ネバダ州に比べれば、観光客だけからのギャンブル収入では成功はおぼつかない。また、これらの州を訪れる観光客の主たる目的は観光であって、ギャンブルではなかろう。このような観光客はギャンブルでの損失については用心深いはずである。従ってギャンブル産業はその財源として近隣の住民に依存しなければならない。ギャンブルをしに来る近隣の住民は低所得層の人が多いはずであるから、ギャンブル税から得られる収入は、州政府が期待するほど多くはならないだろう。ネバダ州においてすら、カリフォルニア州の住民から期待できる税収入は、カリフォルニア州住民一人当たりわずか約3ドルである。モンタナ州やワイオミング州などの小さな州が、ギャンブル税収入を地元住民に依存しなければならないとしたら、ギャンブル合法化計画が成功する確率はきわめて低くなる。
 いっぽう、ニューヨーク州では、州営富くじや公営場外ギャンブルが成功したため、州議会が複数の候補地を募集する方式で合法カジノを実施する計画を立てている。しかし、この計画は、次のような理由で、問題がある。まず第一に、州内の各地でカジノが合法化されれば、カジノとギャンブラーの住居の間に充分な距離が確保されないから、中流階級や上流階級はカジノに来ないだろう。第二に、カジノが各地に分散されれば、ギャンブラーは特定のカジノに通うことはしないだろう。比較的容易にカジノからカジノへ渡り歩けるわけである。この方式ではカジノが一地域に集まらないから、カジノ産業が各地に分散して基盤が弱くなる。第三に、ある地域で観光客誘致が成功してカジノが成功しても、他の地域がこれに追随するだろうから、先発地域の優位性はすぐに失われてしまうだろう。ギャンブラーの大多数が観光客である位に相当数の観光客を誘致できる地域に限って合法ギャンブルを認める方式の方が成功率は高いと言える。
 要するに、カジノ・ギャンブルを成功させるためには、充分な数の観光客を誘致することが必要である。そのためには、カジノを近郊の中心地区から充分離れたところに設置することが必要である。都市部にカジノを設置すれば、来る客の殆どは下層階級に属する人となり、期待したほどの税収入を得ることは難しくなる。
(3)富くじとスポーツ・ギャンブル
 1960年代の半ば以来、13州が州営富くじを実施しているが、現在、税収入源として富くじ合法化を計画している州がいくつかある。1964年にニューハンプシア州が戦後はじめて州営富くじを実施したわけであるが、同州は当初、毎年富くじにより教育振興費として400万ドルを得る計画を立てていた。しかし、州営富くじを実施してからの7年間に得た収入の合計はわずか1,070万ドルであった。ニューヨーク州は1967年に州営富くじを実施したが、毎年1億ドルの収入を期待した。ところが1970年末までの4年間の収入はわずか2億3,300万ドルであった。これにひきかえ、1971年に開始されたニュージャージー州の州営富くじは大成功を収めた。開始してからわずか8カ月の間に収入は1億ドルに達し、また、最初の1年間の収入は5,000万ドルを越えた。これは当初の予想の5倍以上の結果であった。この成功に刺激されて、他の州が富くじ合法化に踏み切った。
 このように、ニューハンプシア州、ニューヨーク両州が失敗したのに対し、ニュージャージー州が大成功を収めたのは、富くじ運営法に関係がある。ニュージャージー州の富くじは毎週1回抽せんが行われる。ニューハンプシア州の場合は年3回、ニューヨーク州の場合は月1回である。ニュージャージー州の富くじは1枚50セントであるがニューハンプシア州、ニューヨーク州ではそれぞれ1ドル、3ドルである。また、ニュージャージー州の場合、切符10万枚につき、50,000ドルの賞金が出るようになっている。このニュージャージーの方式が見事に成功したわけで、その後この方式にならう州営富くじが一般的になった。
 1971年に場外ギャンブル公社がニューヨーク市に公営場外ギャンブル場を開設したが、最初の1年間にこれらの公営場外ギャンブル場は競馬で2億ドルの金額を扱った。アメリカではイギリスに劣らず競馬がさかんであるが、この公営ギャンブル場は、ネバダ州以外で初めて公認された場外ギャンブル場であった。しかし、違法ギャンブル中に占める競馬の比率はさほど大きくない。私設儲け元の営業内容の90%近くはスポーツ・ギャンブルであるといわれる。テレビでプロ・フットボールの試合を見る人の約半数は試合の結果に賭けているといわれる。ということは、前述の富くじとスポーツ・ギャンブルの市場はかなり大きいということになる。ギャンブル合法化の傾向がこのまま推移すれば、違法であるためにスポーツ・ギャンブル市場に接近できずにいる人がいずれこの市場に流入してくるものと思われる。
 富くじや場外ギャンブルで合法化しようという傾向がカジノ・ギャンブルに対する需要を増大させるか,それとも減少させるかを予測することは難しい。いっぽう、このようにギャンブルに接触する機会が増えてくると、これまで時おりギャンブルを楽しんでいた人びとはギャンブルに背を向けるようになるかもしれない。人は、ギャンブルで負ける回数が多くなれば、あらゆる形態のギャンブルに対して不定的態度を示すようになるだろう。ギャンブルをする動機から見て、低所得層よりも高所得層にこの傾向が強くなるはずである。
 いっぽう、富くじとスポーツ・ギャンブルはゲームの構造と方法がカジノ・ギャンブルとは大きく異なる。従って、ギャンブラーの多くは両者が補完関係にあると考えている。たとえば、富くじの場合、賭けの結果はすぐには出ない。賭けた金が返ってくる可能性も小さい。ギャンブルをしているというスリルも少ない。イギリスの王位賭けごと、富くじ、ギャンブル委員会が発表した報告書には、ギャンブル熱をあおる要因が列記されているが、そのいずれも富くじにはあてはまらないのである。富くじにはギャンブルに参加しているという臨場感が希薄なのである。
 スポーツ・ギャンブルは富くじに比べれば、ギャンブルのスリルに富んでいるか、カジノ・ギャンブルにはとてもおよばない。カジノで感じられる興奮した雰囲気は競馬場にも場外ギャンブルにもないのである。競馬や場外ギャンブルは金を賭けた瞬間から結果が判明するまでの時間が、カジノ・ギャンブルに比べて長い。このため、ギャンブラーは熟考する時間が長くなり、退屈することになる。もっとも、スポーツ・ギャンブルではギャンブラーは技術を駆使することができる。バーノン・スミスによれば、ギャンブル市場が存在するのは、個人が予想する技術を行使したがるからであるという。この動機だけでぼう大な違法ギャンブル市場の存在を説明しきることはできないが、このようなぼう大な違法ギャンブル市場が存在することは確かなようである。いっぽう、カジノゲームは個人的技術が介入する余地がない。カリフォルニア州のぼう大な競馬産業がネバダ州のゲーム産業と共存しているのは、この二つのギャンブル形態が補完関係にあることを意味しているものと思われる。確たる証拠がないので、スポーツ・ギャンブルがネバダ方式のギャンブルにどのような影響をおよぼすかを予測することは難しい。富くじはその構造的特徴から、カジノ・ギャンブルに対する需要にはなんの影響も与えないだろう。
 リチャード・シューツは、アメリカにおける団体スポーツの発達とこのような団体スポーツに対する個人のかかわり合い方に着目し、この両者の関係を延長線上にアメリカにおけるギャンブルの将来を位置づけようとする。以下はシューツの論文「スポーツ、工業技術、そしてギャンブル」と題する論文のあらましである。
 
 アメリカは典型的な競争社会である。従って、国民の競争意欲も旺盛である。アメリカの政治、産業経済、教育はすべてその根底に競争原理を置いている。アメリカの哲学や文学もこの例外ではない。アメリカではすべての事件が対立関係においてとらえられる。アメリカでは、対立する当事者の双方に利益をもたらす事件としいうものは考えられないのである。ときによって、このあまりに強烈な競争精神がこの国の制度の内部に不公正、不公平な現実をもたらしてきた。この競争心はスポーツなどの始業活動においてもいかんなく発揮される。
 アメリカでは、その歴史が始まって以来、男性はなんらかの形の肉体活動に参加してきた。初期のアメリカにおいては、国民の大多数は肉体労働によって生計を立てていた。筋骨のたくましさによって男性の経済的地位がきまったと言ってもよい。当時のアメリカ国民の大多数は土地あるいは機械に密着した生活を送っていたが、土地にしても機械にしても力仕事を必要としたのである。言い換えれば、当時のアメリカの男性の大多数は重荷を背負って獣の如き生活を送っていたのである。
 男性の多くが肉体労働を要する職業に就いていたため、スポーツに参加することが男性の社会活動の一つとして、重視された。このように、スポーツは社会活動の一部とみなされ、男性同士が友好関係を深めるための活動として、各地でさかんに行われた。従って、当時はスポーツに参加することはきわめて容易であった。当時の地域社会は小規模なもので、輸送機関も発達していなかったから、集まる人も少なかった。いきおい、スポーツに参加する男性は過激な行動に走り、また競争意欲が強かった。スポーツ用具のコストはほとんど問題にならなかったから、スポーツは男性に共通のレジャー活動として愛好された。肉体労働を職業としている男性にとって、スポーツに要する労力はさほど苦にならなかったのである。
 しかし、工業技術の発達にともない、この状況に変化が生じてきた。まず、各地の人口が急激に増え始めた。機械化が進むにつれて、騒音がそれまで静かだった環境を破壊し始めた。工業化の波がアメリカに一気に押し寄せたのである。この工業化の圧力が国民の気持ちに大きな変化をもたらした。人びとは機械が支配する環境に順応し始めたのである。かつては1台の機械ですんだのが、2台必要になり、個人営業の店が会社となり、やがて、大企業に成長した。こうして社会における個人の役割が大きく変化することになった。
 このようなアメリカの変貌は、必然的に男性の筋力の重要性を低減させることになった。筋力に代わって、サービスと知的職業が脚光を浴びるようになった。同時に大人口の地域社会が台頭した。田園に孤立して暮らすことをやめて、都会から得られる便益を求めるようにする人が増えたからである。アメリカの住民は、あたかも磁石に引きつけられるように、都市に集まり始めたのである。
 このように地域社会の人口が激増すると、スポーツはぼう大な人口のごく一部しか参加できないものになり、参加したいという欲求だけで参加することは不可能になり、可能が重視されるようになった。特に競技場でのスポーツに参加するには厳しい肉体的条件を満足させることが必要になり、職業によってはとうていこの条件を満たせない人が続出するようになった。また、スポーツ以外のことに興味を持つ人も多くなり、このような人はスポーツに参加しなくなった。その結果、スポーツに参加できない人はスポーツに参加できる人の動きを見る側に立たされた。そして、実際にスポーツをするチームとこれを見る観客という新しい関係が生まれたわけである。自分が支持するチームが相手チームと試合をするのを見ることが、かつてのスポーツ参加の代替物となったのである。人びとは、なんらかの理由でチームを支持するようになり、その結果、試合中に、試合の結果をひどく気にするようになった。こうして観客が育ってきたのである。
 観客は自分の支持するチームに感情を投入し、排他的にこれを応援するようになった。こうして、観客はプロ・スポーツを育てる結果になった。観客はプロの選手を羨望し、プロの選手の肉体的能力を偶像化するようになった。観客は選手を通して自分が競技場を走り回る光景を胸に描くことができた。観客があるチームを熱烈に支持するのは、そのチームが地元のチームであるから、というチームが多かった。この感情移入によって、観客は観客席に居ながら、自分の競争意欲を高めることができた。そして、向こう側の観客席には、相手チームを熱烈に応援する観客が居るから、自分が勝てば相手チームを支持する観客が負けるという、観客同士の競争心が生まれてきた。
 アメリカの人口爆発はさらに続き、都市と都市の境界線があいまいになってきた。機械化はさらに進み、遂にコンピューターが出現した。そして、コンピューター技術の発達は工業技術の優位性を再度アメリカ国民に印象づけることになった。スポーツにもその影響が現れた。スポーツと国民の関係にも変化が生じた。スポーツに参加する選手の専門化傾向が一段と強まってきたのである。もはや一個人が複雑化し、制度化されたスポーツに、才能と機会を頼りに自分の意志で参加することは殆ど不可能になってきた。スポーツ界は平均的市民から遠い存在となり、スポーツ界の一員と知り合いであるという事態がきわめて稀な現象になってきた。スポーツ界は、かつてのように市民の生活の一部にかかわる存在ではなくなり、市民の職業、ライフ・スタイルと対立する存在になってしまったのである。コストの面から見ても、肉体的条件から見ても、また、必要な時間という点からみても、一般市民はスポーツに参加することが殆ど不可能になってしまった。
 スポーツは大都会だけで行われるようになり、そのため、自分が観客席に座って観客として競争心を燃やすことも容易ではなくなってきた。プロの最高級の試合内容を知った市民にとって、アマチュアの稚拙な試合は見るに値しなくなったのである。その結果、プロ・スポーツのテレビ放送に人気が集まるようになった。このように、アメリカの男性はまず競技場での試合から閉め出され、次いで観客として競争心を燃やす機会を奪われ、そして遂にテレビでプロ・スポーツの試合を見るだけの立場に追いやられてしまったわけである。この一連の事件は、アメリカ男性の去勢を意味すると言ってもよかろう。スポーツを通して競争意欲を満足させることができなくなってしまったのである。
 これは、現代アメリカの男児の生成過程にはっきりあらわれている。男児は小学校、中学校時代は自由にスポーツに参加することができる。しかし、高等学校に入ると、体格や才能による制限が加わるから、スポーツに参加するのはなかなか難しくなる。スポーツに参加できない生徒は、学校での他の課外活動に参加したり、応援団に加わったりして欲求不満をまぎらす。さらに上の学校に進むと、スポーツはますます無縁のものになってくる。大学卒業後も同じである。
 しかし、アメリカの男性は自分がスポーツに参加したいという欲求を断念したわけではない。環境のために競技に参加できないだけだと思っている。このようなあくなく競争意欲をうまく満たしてくるのが、スポーツ・ギャンブルである。不幸なことに、このスポーツ・ギャンブルは合法化されていない。違法であるにも拘らず、スポーツ・ギャンブルがさかんなのは、スポーツ・ギャンブルが競技場における実際の試合で経験される競争心を再現してくれるからである。すなわち、勝つか負けるかであり、スポーツ・ギャンブルをする人は、試合の結果、勝者の快感あるいは敗者の悲哀を味わうことができる。
 スポーツ・ギャンブルにはもちろん賭けの要素も濃厚であるが、それ以上に、スポーツで競争したいというアメリカの男性の根強い願望が強いように思われる。スポーツ・ギャンブルに熱中する人は、勝敗を賭けることによって、実際に競技するひいきのチームとの一体感を強めているように思われる。テレビを見ながら彼らは試合の結果に責任を感じているようである。スポーツ・ギャンブルは、ギャンブル術を覚えたアメリカの男性にとっては逃げられない誘惑となりつつある。
 
 以上、バーク、イーディントン、シューツの小論文のあらましを紹介したが、アメリカにおけるギャンブル熱の実相を一応理解していただけたと思う。また、ギャンブルの制度的側面―すなわち、合法化か非合法化―についても一つの展望が提示されたと思う。ネバダ州におけるギャンブル合法化の成功は、ギャンブルの制度的側面のみならず、ギャンブルの経済的側面、社会的側面についても興味深い示唆を与えてくれる。
 日本では比較的なじみの薄いスポーツ・ギャンブルがアメリカで異常な人気を集めている事実も注目したい。アメリカ人は歴史的に競争意欲と投機意欲が強いといわれるが、スポーツ・ギャンブルは、スポーツを媒体としてこの両者をうまくかみ合わせた仕組みに思われる。
 わが国も宝くじと公営競馬に異常な人気が集まっており、その意味でわが国のギャンブル合法化の動きはアメリカのパターンと酷似している。以上の三論文から、わが国におけるギャンブル行政の本質が理解できるような気がする。
松田義幸(まつだ よしゆき)
1939年生まれ。
東京教育大学卒業。
余暇開発センター主任研究員を経て、筑波大学教授、実践女子大学教授を歴任。
 
 
 
 
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