2004/08/31 朝日新聞朝刊
元GP王者、転身全開 川口オート・青木治親さん/埼玉
オートバイ世界選手権シリーズ125CCクラスで世界1位となり、鈴鹿8時間耐久ロードレースなどで活躍したGPライダーの青木治親(はるちか)さん(28)が今月、川口市の川口オートレースに転向した。スポンサーに恵まれず、一度はレースの一線を退いたが、現役にこだわった。「僕はレースをやめられない」と走り続ける。30日現在、8戦中6勝の成績だ。
青木さんは95、96年、オートバイ世界選手権シリーズのGP3(125CCクラス)で2年連続優勝を果たした。同じくGPライダーの宣篤(のぶあつ)さん、拓磨(たくま)さんの兄2人とともに、「青木3兄弟」として人気を集めた。
末っ子の青木さんはGP3のあと、GP2(250CC)、GP1(500CC)と、排気量の大きなクラスに挑戦した。しかし、不況の影響もあり、思うようにチームのスポンサーが集まらなかった。
オートバイ世界選手権のロードレースでは、マシンの性能が勝敗を大きく左右する。資金不足で「勝てるレースも勝てない」と嘆く日々が続いた。
青木さんは03年、「世界一を目指せるチーム以外では走らない」と決心し、レースを休む。その間も「自分からオートバイを取り上げたら何も残らない」と悩み続けた。
「やっぱり、現役で走り続けたい」と思った。そのころ、先輩から、競馬、競輪と同じ公営競技のオートレースに誘われた。最初は、ファンや家族が期待する世界チャンピオンをあきらめることにためらいがあった。
オートレースは楕円(だえん)形のコースを走り、順位を競う。決められた規格のオートバイを使うため、スポンサーの有無に左右されない。技術次第で、60歳まで現役で活躍できる。今まで満足に走れなかった思いをぶつけようと決めた。
6歳からポケットバイクに乗り、93年にロードレースでデビューした。レースに付き物のけがに強く「半月以上の入院はしたことがない」と誇る。
しかし、98年冬、次兄拓磨さん(30)がレース中に転倒し、脊椎(せきつい)を損傷したときだけは違った。車いすに乗る拓磨さんを見て、事故の恐ろしさを思い知らされた。
「決して自分を裏切ることはない」と信じ続けてきたオートバイだが、レースでカーブにさしかかると、兄の事故が頭をよぎった。アクセルを強く握ることができない。
「気持ちで負けては試合に勝てない」と、練習に没頭した。恐怖心が癒えるまで、ただひたすらコースを走り続けた。
「オートレースはたった一つのミスで1位を逃す厳しい世界」と、青木さんは話す。デビュー戦から5連勝。2位と5位を挟み、29日も1位だった。表情は明るい。「まだ成長できる。これからもアクセル全開でいきます」と笑った。
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