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1999/09/01 朝日新聞朝刊
裏方さん(最終コーナー 公営ギャンブルの明日:2)/神奈川
川崎競馬場。
柔らかなカクテル光線の中、地響きを立てて競走馬が駆け抜ける。競馬場は、川崎競輪場から国道132号を隔てた北側にある。
馬場の内側。面積七千五百平方メートルの芝生スタンドには、ナイター競馬を楽しむ人たちが集う。
「カンパーイ」と、ビールを酌み交わすグループ。OL、アベック、親子連れ・・・。あちこちで、車座になって弁当を広げる。巨大スクリーンに映し出されるレース中継をながめながら、夜のひとときをくつろぐ。
川崎市営競馬も、がけっぷちに立たされている。一九九二年度から実質赤字に転落。九五年度から始めたナイターで、やや持ち直したものの、赤字からは抜け出せない。競輪事業特別会計から穴埋めして、やっと息をついている有り様だ。九八年度までの借入金は約二十四億四千万円にのぼる。
競馬場の片隅に木造の小屋がある。「神奈川競輪競馬労働組合」の事務所。組合は、川崎競輪・競馬と花月園競輪場(横浜市鶴見区)の「臨時従事員」でつくる。
組合員は約千人。九割近くは女性だ。この三カ所でレースを開催するたびに県や市から採用される。日給制だ。
女性の仕事は、車券や馬券の販売と払い戻しが中心。男性が、警備や馬場の整備、馬の検尿、体重測定など様々だ。
組合の委員長は、大場規子さん(六四)。上部組織の全国競走労働組合の委員長も兼ねる。五九年から四十年間、裏方として公営ギャンブルを支えてきた。この仕事で、一人娘(二九)を一人前にしたのが誇りだ。
身の危険を感じたことがある。
六八年四月十一日。川崎競輪場で、レースが不明りょうだとファンが騒ぎ出し、売り場や払戻所などに火をつけた。
当時、大場さんは放火された売り場にいた。従業員が避難した二階の通路にも煙が入り込み、傘で売り場の窓ガラスを割って歩くファンもいた。
「死ぬほど怖い体験でした」
身長一四九センチと小柄。だが、労働条件や賃金交渉では、一歩も引かない。交渉相手の市幹部は「バックに全国組織を抱えていますし、手ごわい方です」と話す。
組合員の平均勤続年数は二十四年、平均年齢は約五十六歳と高齢化が進む。平均日給は約一万五千円。仕事のできる日数が最も多い人で二百二十日、少ない人だと七十二日しかない。
それでも年二回のボーナスや離職せんべつ金(退職金)が出ることに、「高すぎる」と批判もある。
大場さんはこう反論する。
「家族・住宅手当もない丸裸の賃金です。長年、地方財政を支えてきた私たちに、一時金や退職金があるのは当然よ」
市営競馬の開催は年五回(二十五日間)。追いつめられた市は九六年から、高配当が期待できる「馬番連勝単式」を導入。経済局長が主要企業を回り、「アフター5にはぜひ川崎競馬を」と歩いた。翌年には、ナイターを年二回から三回に増やした。経営改善の兆しはあるが、黒字回復への道のりは険しい。
大場さんが、最も心配しているのは、川崎競輪の先行きだ。黒字とはいえ、入場者、売上金とも減り続けている。競馬場と違って、補助照明しかない。施設の新設はできるが、「ナイターとなると、周辺住民の合意は得にくい」(市幹部)。全国的にも、福岡県の五市の競輪組合が九六年に解散するなど、先細りだ。
組合事務所のファクスが記事のコピーを吐き出し始めた。
「蒲郡ナイター競艇大盛況」
愛知県蒲郡市の状況を取り上げた公営ギャンブル専門誌の記事。手に取った大場さんは、ため息をついた。
「こっちも、もっと色々やらないとだめなのよ」
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