|
1998/10/15 朝日新聞夕刊
「カジノ経済時代」の覚悟を(ギャンブル!を問う:下)
ギャンブルと投資の違いは何か。ギャンブルは胴元の懐を潤すだけだが、投資は企業に資金を与えたり、国の財政基盤を強化したり、新しい産業を進展させたりする。つまり「実体経済」に寄与するものとされてきた。「フィクショナルな主体」に酔い、負けを覚悟で無謀な勝負に出たがるギャンブラーの振る舞いとは、およそ次元が違うはずだった。
今、あたりの様子はそうなっていない。九月末、ノーベル賞経済学者二人を抱え、一兆ドルを超える資金を動かしていた米国・ウォール街きっての頭脳派投資会社「ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)」が事実上破たんし、ドルは急落、円は急騰した。いったいどれくらいの人が「予想」の範囲内だっただろうか。
少なくとも、デリバティブ(金融派生商品)の理論で一九九七年度のノーベル経済学賞を受け、一年後にデリバティブで沈んだマートンとショールズには予測できなかった。
英国の経済学者スーザン・ストレンジが、マネーゲームにひっかき回される世界金融市場の状況を「カジノ資本主義」と表現したのは八六年のこと。問題点を指摘するための名称だったが、時代はこの絶妙の言い回しをさらに具現化するように進んだ。バブルの大波をかぶった日本も例外ではない。
大波が引いたあとの金融ビッグバン。公正さの確保、競争の拡大、国際標準の導入などを柱とした経済近代化を看板に掲げておきながら、小暗い階段を下りると「小口でもどうぞ。カジノビッグバン・日本支店開業」という仕掛けなのではないか。そんな疑いはぬぐえない。
しかし、このカジノ、ひとつ決定的にギャンブルと違う点がある。株が、為替が、債券が、これからどう動くのか。ギャンブルであれば、明確に分かる「リスク=危険率」が見切れない。
○見えにくくなった未来
もともと、経済にはリスクなどなかった。八月下旬に邦訳が出た米国の経済学者ピーター・バーンスタイン著『リスク』によると、第一次大戦前の古典派経済学者は、経済を「常に最適な結果を生む無リスクのシステム」と定義していた。小さな動揺があっても、全体をみればやがては合理的な均衡状態へと戻ると見ていたのである。
ところが、このあと本書がたどる「リスクの経済史」は、がらりと様相を変える。人間がいかに非合理で主観にとらわれ、訳のわからない経済行動をとるか、将来がいかに見えにくいかの歴史。未来を測る新しい理論ができては現実に裏切られていく。統計は未来の保証にならず、安定は、前触れなき突発事で簡単に崩れる。
「いや、今でも株の基本は、やっぱりファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)なんです。その国の株がGDP(国内総生産)以上に伸びれば、バブル状態といえます」と翻訳者の青山護・横浜国立大学教授(経営学)はいう。「ただ、リスクはこれまでのように、値上がりの期待値を基準にしたぶれでなく、まさに元本を基準にしたマイナスと考えた方がいいでしょう」
○ルール設定に「異議」も
実体経済の伸びが悪くなると、その「地に足着いた」世界に我慢できない人たちも出てくる。みんなで、ちびちびもうけ合うのではなく、その分の金を出し合い、勝ち負けのあるルールで分捕り合戦をやろうといいだす。デリバティブとはそういうものだろう。カジノビッグバン日本支店で、一応のルールだけは知っていても、勝つコツを身につけていない東洋のだんながいいカモになってもおかしくはない。
『リスクの経済学』の著者酒井泰弘・筑波大学教授は「米国主導のルール設定には大いに異議がある」という。「広い土地にぽつんとシェリフがいるような非常に特殊な社会では自分で自分を守ることが必要だったでしょう。しかし、コツコツ働いてきた日本で、ギャンブル型の経済をやろうとすると、むしろリスク部分の情報が隠されてしまう恐れがある。金融企業のモラルハザード(倫理欠落の危機)が心配だ」
とはいえ、ビッグバンをやめてしまうリスクもまたある。
○「前例主義の日本、心配」
リスクは未来である。リスクをとりにいくこと自体は、ギャンブルではない。リスクをとりにいく人が、自分に不利な要因をきちんと計測し切っているかどうかが問題なのだ。彼が向こう見ずなだけの愚か者なのか、未来を知る有能で勇敢な者なのか、見定めることは難しい。
「気になるのは」と、青山教授はことばをはさんだ。「これまで、順張り(過去の流れが続く方に張る)の有名投資家が、必ずと言っていいほどつぶれてきたこと。ここに至っても前例にこだわりたがる日本の現状は、ちょっと心配ですね」
九七年度のGDPの伸びはマイナスだった。ということは、今日なみの生活を明日も送ることを願う人は、気づいていないながら、少しずつリスクをとっているのかもしれない。
過去のように続いていかない未来。不確実さを増していく未来に何をかけ、だれに託すか。ギャンブルより難しいギャンブル、かもしれない。
(鈴木繁)
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
|