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第2章
草創期を語る
 
大村初開催の想い出
「全施協10年のあゆみ」(昭和39年発行)から転載
 
初代大村市事業課長
猪川 依明
 
 
四囲の状況
 私が大村市初代事業課長に招へいを受けましたのは昭和26年8月中旬であったと記憶します。当時は中央に於ける連合会誕生の悩みが極めて深刻で、レース開催など思いもよらない実情にあり大村市としては8月末完工予定の諸施設はその突貫工事を中止して、工期引き延ばしに切り替えざるを得ない政治的な苦境に立っていました。
選手、ボート、モーター
 開催ともなれば選手100名、ボート、モーターは100隻、100基直ちに間に合うと言うお話でありましたが、川崎助役の二ヵ月に渉る中央との折衝調査の結果は、実は逆の有様で、何等の影も形もない無の相でありました。従って選手は地元において養成し、ボート、モーターは取りあえず市において購入する以外に早期開催の見込は立ちませんでした。
イ、選手の養成
 市と競走会がタイアップして選手養成会を設立し、私が直接責任者として計画、実施に当ることに申し合わされました。県内から希望者を募集し(申込者150名位)一通りの検査、試問の後、約50名を養成員として採用したと記憶しています。
 何分にもレーサー、モーター、ボートを見たことすらない人々の集まりであります。先ず競走会は墨田川造船からハイドロプレーン1隻を購入され(色彩鮮明で美麗な赤に白の立縞で吾々は縞馬と愛称しました)同造船故杉浦社長は御令息誠氏を御同伴、キヌタ1OHPとサービスモーター各1基を携行来大されました。早速誠氏の試走が行われ養成員はじめ関係者多数は、感激の涙さえ浮かべながらそれを見守ったのであります。私はその軽快な航走状態と速度感にうたれ、これならば事業として必ず成功させ得ると決意も新たに希望湧然たるものを覚えました。
ロ、ボート、モーター
 市の財政は極めて急迫の実情にあり、従って最低所要数を1日10レース、2回出走、2割の予備計36隻、36基とし、在京中の川崎助役は、ボートは墨田川造船、モーターはキヌタと決定購入されました。
 このボート、モーターが選手養成に活用されたのでありますが、それ故に私は議会において相当ひどい吊るし上げを受けましたが、関係者の誠意と熱意が認められ、その後も継続活用して、開催迄の茨の路を切り拓いて行ったのであります。
第一回モーターボート競走開催許可
 立地条件、施設、機材その他全国的な環境からか、開催許可促進運動も仲々に効を奏し得ず実に暗たんたるものでありましたが、私は27年2月命を受けて上京し、運輸省並びに連合会に詳細説明と共に現状を訴え、開催許可の懇願を致しました。
 幸いにも連合会職員皆様の御好意と御同情を得て、殊に矢次運営委員長を御私宅に尋ね、幸いにも笹川会長の御臨席の栄をも得て、種々懇願と説明を繰り返し、御高説も拝聴しました。本席においてある程度の御了解を戴き、翌朝連合会事務局においてテストケースとして第一回開催が認可されたのであります。
 この喜びは実に筆紙に尽し難く、この感激は私の終生忘れ得ないものであります。
 
(筆者は、大村競艇場初開催産みの苦しみを体験した大村市初代事業課長)
 
 







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