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2003/08/02 産経新聞朝刊
【国連再考】(6)第1部(6)最大の目的 阻止されなかった民族抹殺
 
 国連の第一の目的はまず「国際の平和と安全を維持すること」である。国連憲章の第一条に明記されている。
 この最大の目的が現実にどこまで達成されているのかを測るときに、考察を欠かせないのは、ルワンダでの大虐殺だろう。大虐殺のなかでもジェノサイド(民族抹殺)と呼ばれる大規模な蛮行だった。一民族全体を徹底して滅ぼそうという大量殺戮(さつりく)の行為である。しかもナチのユダヤ民族抹殺などという体系的で機械的な殺人と異なり、個々の人間が山刀などを使い、憎しみと怒りをこめて別の人間を自分の手で殺していくという行動だった。
 国連が介入し、平和を保つための行動を始めながら、なおこうした大規模な殺戮を許してしまう、という実例なのである。国連の平和維持活動とルワンダの大虐殺とを並べて考えると、どうしても国連とは一体なんなのか、という根底からの疑問に襲われる。
 国際社会でルワンダという国について知る人は少ない。アフリカ東部の内陸に位置する人口六百万人ほどの小国である。タンザニアやコンゴに隣接し、面積は日本の二十分の一ほどという目立たない国だからだ。
 一九九四年四月六日以降の百日間にこのルワンダでなんと約八十万人もの住民が虐殺されたのである。全国民の七人に一人近くが殺されたことになる。国連はこの時点ですでにルワンダの平和や安全の維持のために介入していた。だが全土で公然と展開される残酷な大量殺人行為を阻むことはまったくなかった。
 ルワンダでは人口全体の八五%のフツ族代表が率いる政府に対し、残り一五%ほどのツチ族が九〇年はじめから「ルワンダ愛国戦線」というゲリラ組織を作って、戦いを挑んだ。九三年八月には両勢力が和平協定を結び、停戦監視のために「国連ルワンダ支援団」の各国将兵が送りこまれた。当初、フランスやベルギーなど諸国の軍人計二千五百人が駐屯した。
 ところが九四年はじめ、ルワンダ政府の首相府の警備にあたっていたベルギーの平和維持部隊計十人がツチ族系武装勢力に惨殺される。そのショックのため他の国連部隊がほとんど引き揚げ、残りはチュニジアとガーナの兵士合計数百人となった。その空白をぬうかのように起きたのが同年四月六日のルワンダのハビャリマナ大統領の専用機撃墜事件だった。
 フツ族の同大統領は殺され、ツチ族側の犯行とみたフツ族の政府軍や民兵はツチ族住民を無差別に殺し始めた。フツ族の一般住民までが加わり、少数民族のツチ族全体を抹殺するような勢いの大虐殺となった。しかもその方法が単に銃撃に留まらず、ナタやナイフ、牛刀、棍棒(こんぼう)など、ありとあらゆる野蛮な武器が使われていた。歴史上でも類例の少ない大規模かつ残虐な大虐殺が展開されたのである。
 ルワンダ上空を飛ぶ航空機から下を眺めた外国政府高官が眼下の川の光景をみて丸太を組んだイカダが並んで、流れていく、と一瞬、思った。だが丸太にみえるのは、みな虐殺されたらしい男女の死体だったという。
 このように目前で繰り広げられるジェノサイドに対して国連はなんの行動もとらなかった。当時の国連の直接の責任者は平和維持活動担当のコフィ・アナン事務次長(現事務総長)だった。
 超大国の米国も同様だった。クリントン大統領も、マドレーン・オルブライト国連大使も、行動を起こそうとはしなかった。
 ルワンダの大虐殺がソマリアでの国連の平和維持活動の延長として米軍を巻き込んだ惨劇のあと、わずか半年で起きたことも大きなブレーキとなっていた。米国政府としても国連活動への参加に反対する国内世論の高まりに留意せざるをえなくなった。国連側もソマリアでの被害にたじろぎ、部隊の派遣には慎重になっていた。
 全土が血の海となるような、こんなむごい殺人は阻止が可能ではなかったのか。予知はできなかったのか。国連も米国もなぜ連日、殺人が続くのに手をこまねいていたのか。
 五年ほどが過ぎた九九年十二月、ルワンダ大虐殺への国連の行動、非行動を分析した報告書が出た。当時のルワンダPKO軍司令官のカナダ人、ロメオ・ダレア将軍らが調査した結果による報告だった。報告はフツ族過激派が実は以前からひそかにツチ族大虐殺の計画を立て、推進し、国連側のアナン氏らもそれを知っていた、と結んでいた。
(ワシントン 古森義久)
 
 
 
 
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