1996/11/21 朝日新聞朝刊
嘆かわしい米国の国連外交(社説)
今年いっぱいで任期が切れるブトロス・ガリ国連事務総長の再任をめぐり、米国が安全保障理事会で拒否権を行使した。
「国連は予算凍結、人員削減など抜本的改革を迫られているのに、ガリ氏はそれを最優先課題にしていない」というのが表向きの理由だ。ガリ氏が再選されると、議会で多数をしめる野党共和党が国連分担金の支出に応じないからだ、ともいう。
国連の財政問題だけが理由なら、交渉による解決策をさぐることもできたはずだ。ガリ氏の実績や力量に対する評価はともかく、問答無用の拒否権発動は、米国の言うことを聞かなければカネは出さないという、まるでだだっ子のような態度といわなければならない。
米国以外のすべての理事国はガリ氏再選を支持した。フランスが米政府の行動を「わずか一国が、世界のコンセンサスをブロックした」と批判したのももっともだ。
「ガリ氏は米大統領選の犠牲になった」と国連外交官が語るように、クリントン政権が拒否権を行使したのは、共和党支配が続くことになった議会との関係を配慮したもっぱら内政上の理由からだ。
選挙戦で、共和党のボブ・ドール候補は国連批判を展開した。上院外交委員長のジェシー・ヘルムズ共和党議員は、さきごろ米外交誌に「徹底改革か、米国の脱退か。国連に最後通告をつきつける」との論文を発表している。
二〇〇二年までに財政均衡を達成することを二期目の最優先課題とするクリントン大統領とすれば、議会共和党との対立をできるだけ避けたいのだろう。そうした事情も分からないではない。
しかし、いうまでもなく国連は米国一国のものではない。
冷戦の終わりから湾岸戦争の時期にかけて、米政府内には国連の安全保障機能を再評価する機運が強まった。それが国際社会の中で、安保理の機能回復につながり、国連の存在感を高める結果にもなった。
湾岸戦争でも、ハイチの民主化をめざす多国籍軍の派遣でも、国連決議という国際世論の後ろ盾を得て、米国主導の軍事行動が初めて可能になった。
だが、それも、必要なときには国連を利用するが、役に立たなかったり、自国の利害に反するとなれば手を引くという、米国の国連外交の伝統を変えることにはならなかった。
一九九三年、ソマリアで国連支援活動中の多数の米兵が惨殺された事件は、米国民の内向き志向とあいまって、国連離れを一段と加速した。
国連改革をいうのであれば、まず、もっとも影響力のある米国自身が、多国間の協調を重視し、国連の機能を高めるように行動するのが先決ではないか。
今月上旬におこなわれた国連の「行財政諮問委員会」の選挙で、米国は国連の発足から初めて議席を失うという事態にみまわれた。
今回のような拒否権の行使は、米国の威信低下をもたらすだけだろう。
それにしても、納得できないのは日本政府の対応である。
梶山静六官房長官は「安保理の論議の推移を注意深く見守りたい」と述べただけだった。国連中心外交をいい、安保理の常任理事国に手を挙げている日本が、国連の運営の基本にかかわる事柄で、こうした傍観者的態度をとっていていいのだろうか。
米国の同盟国としても、望ましい姿勢とはとても思えない。
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