1996/10/18 朝日新聞朝刊
国連改革に日本の青写真を(社説)
国連のガリ事務総長は、先ごろ発表した年次報告書で、加盟国の間に「国連離れ」が進んでいることに憂慮を表明した。その端的なあらわれが、財政危機だ。
国連事務局によると、加盟国に割り当てられる分担金の未払い累計は、九月下旬現在、通常予算で七億ドル、国連平和維持活動(PKO)予算で二十億ドルにも達した。国連全予算の一年分に相当する数字だ。未払い額のうち通常予算で七割、PKO予算で五割を占めるのが米国である。
国連の度重なる督促で、米政府は今月、ようやく重い腰をあげた。通常予算に、来年一月までに三億千三百万ドル、PKO予算に、期限は定めず三億五千二百万ドルを支払うという。だが全額を払っても、なお約十億ドルが未払いのままだ。破綻(はたん)すれすれの状況は今後も続く。
米国はこれまで、支払いの条件として「国連組織の合理化と効率化」を掲げてきた。いわば、未納の分担金を「人質」にして、改革を促進しようとする姿勢である。
これまで国連事務局が、何もしなかったわけではない。通常予算を凍結して人員を削減し、この一年間で文書の印刷・出版費、出張費を四分の一カットした。だが、共和党を中心に国連への不満がくすぶる米国は、不十分だとして、ガリ事務総長の再選不支持を表明した。
事務総長には、分担金の支払いを渋り、合理化の実績も評価しない米国の態度が「横暴だ」と見えても不思議ではない。米国と国連の不信の溝は深まるばかりだ。
深刻なのは、対立のはざまで、国連職員の士気が下がり、国連全体への信頼が損なわれかねないことである。
国連は、米国の関与なしに成り立たない。だが、その足元を見ての駆け引きは、指導力を自ら否定することにつながろう。いざという時に国際世論の支持を必要とする米国にとって、国連の威信の低下は、長い目で見れば得策ではあるまい。
国連機構の経費は加盟国が分担することになっており、支払いは当然の責務だ。米国に次ぐ分担金をきちんと納めてきた日本は、米国が期限ごとに支払いに応じるよう促すべきであろう。
しかし、中立を装う「優等生」の仲裁では、何の説得力もない。米国と国連の溝の根底には、冷戦後の国連像が定まらず、改革の方向が見えない、という本質的な問題が横たわっているからだ。
加盟国は近年、国連の機能強化を求め、ガリ事務総長は、PKOの拡大と紛争への積極介入を推し進めてきた。
だが、広がる一方の任務に予算と要員が追いつかず、武力による紛争抑止の手法にも限界が見えてきた。国連と、「内向き」に傾く米国との間に、互いを遠ざけようとする力学が働き始めたのはそのころだ。
だが、国連の限界と共に、見えてきた課題もある。紛争を未然に防ぐ予防外交、紛争の要因を取り除く開発問題の重要性だ。地味ではあるが、難民問題に取り組む国連の役割も、また再認識された。
国連改革でまず論議すべきは、事務局の経費削減や機構改革ではなく、近年の実績を踏まえたこうした国連の役割の見直しと、新たな課題の設定だろう。
安全保障理事会の常任理事国入りに意欲を示す日本は、いまだに、国連をどう改革するかの理念と具体案を示せずにいる。
あくまで常任理事国入りを目指すというのなら、その前に、どのような国連改革に取り組む決意があるのか、率先して具体的な青写真を示さなければならない。
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