1995/09/24 朝日新聞朝刊
揺らぎ 姿描けぬ日本(再生への岐路 国連創設から50年:5)
「国連の問題にはすっかり関心がなくなったということでしょうかねえ」
国連活動などの勉強もしている超党派の国会議員の集まり「世界連邦日本国会委員会」(会長・村田敬次郎元自治相)のメンバーの一人はため息まじりに話す。
○急速に冷めた関心
同委員会は今年五月、国連改革について百六十二人の会員にアンケートを行った。回答率はわずか二割。「閣僚だからコメントを控えたい」というのもかなりあり、報告書には回答者数を載せなかった。
国連総会での河野洋平外相の演説に、日本の常任理事国入りへの意欲をどう表現するか――政府・与党内の議論が沸騰したのは一年前だった。結局は「武力行使はしない」ことを前提に、「常任理事国としての責任を果たす用意がある」という表現で、事実上の「立候補」を表明した。しかし、いま日本国内の国連論議は、そのころの熱気がうそのように静まり返っている。
日本の常任理入り問題は、二十二日投票が行われた自民党総裁選でも一応の論議にはなった。だが、常任理入りに前向きな橋本龍太郎氏と、やや慎重な小泉純一郎氏の違いは「ニュアンスの差」程度に過ぎず、郵政事業民営化問題などの陰に隠れてしまった。国連本部で二十六日午後(日本時間二十七日未明)に予定されている外相演説も、二十日の与党外務調整会議で「昨年と同様の表現で」という外務省の説明がすんなり了承された。
与党幹部の一人は「この問題にあまり踏み込むと、連立政権がおかしくなる」という。事情は、党内に根強い慎重論を抱える新進党も同様だ。
○底浅い是非論先行
国連をめぐる国内論議のこの低調ぶりは、いまの政治状況だけが要因ではない。常任理事国になるべきか否か、という底の浅い是非論ばかりが先行するなかで、「日本としての国連像が明確に描き切れていない」(外務省幹部)ことが背景にありそうだ。
日本は戦後、「国連中心主義」を唱えてきた。だが、冷戦構造の下で国連はあまり機能せず、現実の外交政策は日米安保条約を軸とする「対米協調主義」に基づいて実施されてきた。「国連中心主義」は、野党の日米安保反対論に対する政府の「言い訳」でしかなかったといえる。
だが冷戦が終結し、国連が本来の機能をわずかずつながら果たし始めたことで、従来の国連像は大きく変化した。湾岸戦争後、日本で急速に高まった国際貢献論議のなかで、国連の存在はにわかに注目を集めた。一九九二年、日本はカンボジアの国連平和維持活動(PKO)に初めて自衛隊を送った。だが、その後はソマリアやボスニア・ヘルツェゴビナで、むしろPKOの行き詰まりが露呈している。
「国連をユートピアと見る風潮はなくなった。一方で、どうせ国連には何もできないというシニカルな見方もある」。小和田恒国連大使は日本での国連像の変化をこう説明する。そのうえで「だが、いずれも間違っているだけでなく、日本にとって危険なことだ」と強調する。日本がよるべき国際的な協調体制をリードできるのは、国連しかないとの認識からだ。
○新たな役割を探る
河野外相は二十六日の国連演説で、経済社会理事会を活性化して地球規模での開発戦略を構築することなどを柱とする日本の提案を打ち出す。村山富市首相の私的諮問機関として「国連問題懇談会」も近く発足する。国連での日本の新たな役割を描こうという試みだが、まだ具体的な方向は見えていない。
「国連には新しい役割を見いだそうとする勢力と、過去の惰性のなかに自己の国益を見いだそうという保守的な勢力が交錯している」(小和田氏)。国連そのものの行方が定まらないなかで、日本の国連像も依然混とんとしている。
(政治部・森山二朗)=おわり
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