1995/09/21 朝日新聞朝刊
冷戦の亡霊 機能硬直(再生への岐路 国連創設から50年:3)
ストックホルムから西へ約三百キロ。地方都市ハグフォルズ近くにあるスウェーデン国立防衛研究所の地震波監視所では、コンピューターが青や緑のランプを点滅させながら、センサーで感知した大地の動きを記録していた。これを人工衛星を経由してワシントンの国際データセンターへ送信する。すべての作業は無人の中で行われていた。
○軍縮会議での成果
これは一月から始まった核爆発探知網の実験の一環だ。地球上に最終的に五十カ所のキー局と百五十カ所程度の補助局をつくり、参加国がネットワーク情報で核爆発の有無を判断する。来年中の合意を目ざす包括的核実験禁止条約(CTBT)の検証システム実施に向け、一歩前進である。
オランダ・ハーグ。ここにある化学兵器禁止条約機関の暫定事務局では、条約実施に備えた作業が忙しくなってきた。サリンなどを使った化学兵器の生産と使用の禁止、査察などを定める同条約はすでに百五十九カ国が署名した。現在三十八カ国の批准が六十五カ国になると、条約は発効する。ケンヨン事務局長は「多くの国から査察などに必要な人材を確保したい」と語った。
これらはいずれも、ジュネーブ軍縮会議が冷戦後に達成した交渉の成果だ。
国連の軍縮機能に対する期待は、創設時から大きかった。一九四六年一月に開かれた第一回国連総会での歴史的な決議第一号は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を検討する原子力委員会の設立に関するものだった。
しかし皮肉なことに、軍縮機関としての国連が脚光を浴びるのは、軍拡競争が収まりを見せ始めた冷戦後のことである。それまでの軍縮は事実上、米ソ両超大国がイニシアチブを握っていた。
○東、西、非同盟の壁
湾岸戦争をきっかけに化学兵器禁止条約の交渉が加速した。冷戦の終結は、ジュネーブ軍縮会議のような多国間交渉の機能を見直す役回りを果たしたわけだ。同会議事務局長のペトロフスキー国連事務次長は「核実験でも条約がまとまれば、多国間交渉の場はもっと強化される」と期待する。
しかし、冷戦終結の興奮がおさまるにつれ、矛盾や限界もみえてきた。ガリ国連事務総長は九二年十月に発表した軍縮・軍備管理に関する報告で、冷戦が終結したにもかかわらず、なお国連には冷戦の枠組みを引きずっている面があると指摘。それを克服できるかどうかに国連の軍縮機能の将来がかかっている、と問題提起した。
ジュネーブ軍縮会議の前身は、五九年に東西両陣営から五カ国ずつを構成国として発足した。のちに非同盟八カ国を加え「十八カ国軍縮委」となり、その後拡大された。しかし、特別委議長は各ブロックから交代で選ぶなど、いまも東、西、非同盟という三ブロックの影を色濃く残している。グループの「既得権益」としてのポスト獲得にこだわり、適材適所の人材配置ができているとは言いがたい。まずグループ内の合意がなければ、話し合いそのものが止まってしまう、という硬直した場面も頻出するようになった。
○35カ国が加盟待ち
今年三月、軍縮会議で条約作成を検討することが決まった兵器用核分裂性物質の生産禁止(カットオフ)は、核兵器の根を絶つものとしてCTBTの次に重要な課題と位置づけられている。だが将来の生産だけでなく、既存の物質も管理の対象にすべきだという声に非同盟諸国の足並みは乱れ、交渉開始のめどは立たない。
「たった三十七カ国で軍縮会議を構成しているのでは、とても世界を代表しているとはいえない」と、ペトロフスキー氏は参加国の拡大を呼びかけている。しかし、単純な拡大は西側メンバーを増やすだけ、との疑念を深める非同盟諸国側の合意が得られず、加盟を希望する三十五カ国は受付の外で待たされたままだ。
国連に課された多国間会議の機能を十分にいかすには、なお時間が必要だ。
(ジュネーブ=二村克彦)
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