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1992/11/03 朝日新聞朝刊
国連中心主義の中、日本の「国家像」どう描く(国連物語:30)
「国連中心主義」を唱える日本外務省から来年夏、「国連局」が消える。
湾岸危機・戦争の際の対応への反省から、外相の私的諮問機関である外交強化懇談会(瀬島龍三座長)の提言に基づいて「外交全般について総合的・中長期的立案を行う」総合政策局が新設される。国連局はその代わりに廃止され、その主要部門は総合政策局の中に移る予定だ。
外務省は1957年の外交青書第1号で、外交活動3原則のトップに「国連中心」を掲げた。前年12月に、4年半待たされた国連加盟が実現した。しかし、米ソ対立、東西冷戦のなかで、国連は十分機能していなかった。翌年の青書第2号は「国連は所期の目的を十分果たすにいたっていない」と書いている。日本外交の主眼はその後、青書第1号で2番目に掲げた「自由主義諸国との協調」に移って行った。
だが、冷戦の終結で流れが変わる。米ソのパワーゲームは消え、国連を舞台に新しい世界秩序の構築が始まっている。「国連は半世紀近い歴史の中で、最も可能性に富んだ時期を迎えつつある」(渡辺美智雄副総理・外相)
国連局の廃止は、そういう情勢の変化と一見矛盾する。これは外務官僚の縄張り意識が絡んだ。もう一つの廃止対象だった条約局は戦前からの伝統があり、結局、国連局の仕事のほうが総合政策局に取り込みやすいということになった。外務省は国連中心主義が揺らいだ表れではなく、むしろ国連政策が外交政策の中核になると言っている。
ただし、政府が「国連」の名を挙げるのは、いまのところ国連平和維持活動(PKO)への参加など、国際貢献の必要性を説く場合に多い。経済大国になった日本の政治的役割を強化するうえで「国連は使える」(外務省幹部)と見るからだ。
カンボジア和平プロセスへの関与、カンボジアPKOへの参加、中東和平協議への参画、旧ソ連支援東京会議の開催――。冷戦終結後の日本外交の特徴は、政治性と積極性である。
しかし、冷戦終結後の日本の平和戦略、あるいは「国家像」といったものは不鮮明なままだ。国連を通じて、しかも国連の単なる一員以上の役割を果たそうとしている日本にとって、重いテーマである。(おわり)
このシリーズはニューヨーク支局を中心に、海外総・支局、政治部、外報部が担当しました。
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